昨年「どうする家康」を見て

家康が関東に国替えになった後の

徳川家臣団の行方が気になっておりました。

 

すでに服部半蔵の半蔵門は見てきましたが

他の方も見に行きたい照れ照れ

 

まずは井伊直政ゆかりの城へ。

 

家康が関東に国替えになった際

家康家臣団の中で石高が一番多かったのは井伊直政

 

与えられたのは上野箕輪城12万石

 

箕輪城は日本100名城なので、すでに訪問済み。

 

井伊直政は箕輪城を近代城郭に改修しますが

8年後の1598年、家康の命により高崎城に移ります。

 

その高崎城跡はJR高崎駅から徒歩15分

 

駅から大通りを真っ直ぐ歩くと到着。

今は高崎市の官公庁街となっています。

 

わずかに遺構があるので見てきました。

城址公園にある土塁です。

 

かつての本丸跡

現在の高崎市のランドマークである市役所が

そびえ立っています。

 

堀沿いに

 

乾櫓

 

乾櫓と並び立つ東門

 

高崎城の碑と石垣

 

 

なぜか・・・。

はてなマークはてなマーク

 

高崎市はここを城跡として重視していないみたい。

もういいかあせるあせる

攻城を終えます。

 

気になる井伊直政と井伊家のその後です。

 

この後、井伊直政は関ヶ原の功により

石田三成の領土だった佐和山城へ18万石で加増転封

 

平穏な世となり山にある佐和山城では不便。

彦根に築城を開始しますが

彦根城の完成を見ることなく1602年42歳で逝去。

 

直政が逝去した後の井伊家は!?

明治維新まで彦根の地を治め

さらに幕府の大老職を歴任するなど

四天王の子孫として幕府の要職に就き続けます

幕末に桜田門外の変で殺害された大老・井伊直弼は

彦根藩13代目の藩主です。

 

こうやって井伊家の再興を見事に果たした井伊直政

「どうする家康」を見て

背負った荷物の大きさが分かっただけに

その功績に大尊敬です。

 

また井伊家の赤備えですが・・・

私は武田の赤備えが強そうで格好良かったから

真似をしたと思っていたんです。

大きな誤解でしたあせるあせる

誠に申し訳ない。

 

昨年の「どうする家康」で色んな事が分かりました。

 

以前、訪問している彦根城。

現存十二天守として訪問しましたが

今度は井伊家ゆかりの城として再訪したいです。