100名城めぐりの旅が終わったので

またまた近場の

小田原北条家めぐりです。

 

前に紹介した伊勢宗瑞(北条早雲)は

玉縄城から

三浦半島・三浦家を攻めます。

三浦同寸は3年に渡る籠城戦のすえ1516年に降伏

ここで相模平定が完成します。

 

三浦家最後の居城 新井城へはすでに行っているので

こちらの記事をご覧下さいダウンダウン

相模を平定した伊勢宗瑞は1519年に逝去。

 

一代にして伊豆・相模を平定した宗瑞の時代は終わり

二代目氏綱へ。

(氏綱の時代に姓を伊勢から北条に改姓

ここからは北条と書かせていただきます。)

 

ここから氏綱・三代目 氏康と関東制覇に向けて

北条は苦難の連続。

 

関東に縁もゆかりもないクセに・・・と

他国の凶徒と蔑まれ

相模から武蔵の平定を試みるも

逆にスキあらば相模・伊豆を取り返そうとする

周囲全てが敵となって戦う日々

 

まず跡を継いだ氏綱が取った行動。

早雲時代の軽い税制度・四公六民をそのまま踏襲し

農民を味方につけて

今ある土地を盤石にします。

 

そして満を持して

1524年に江戸城攻めを開始。

 

扇谷上杉家と今の港区高輪辺りで激突。

 (高縄原の戦い)

 

すでに相模を取られていた扇谷上杉家は死に物狂いで戦い

北条が後退していく展開。

 

一時は玉縄城まで兵を退けますが

ひょんな所から(調略が功を奏し)

氏綱側が江戸城を落城させます。

 

江戸城を守っていた太田資高・資貞兄弟が北条側に寝返ったのです。

この太田兄弟は江戸城を築城した太田道灌の孫。

 

太田道灌についても以前の記事をご覧下さい。

おじいちゃんは誅殺され自分たちも冷遇。

我が物顔で江戸城に居座ってる。

そんな扇谷上杉家に腹を立て謀反

 

氏綱は意気揚々と江戸城に入城。

 

怒ったのが扇谷上杉家。

江戸城奪取を試みるも攻めきれず

成す術なく河越城に敗走。

 

ここで初めて北条家は武蔵の国を手に入れ

東京から伊豆まで

南関東一体を治めることになります。

 

現在の江戸城は徳川家が築いた城ですが

またまた行ってきました。

 

再訪の江戸城については

次のブログで。