そうだ 京都、行こうのお話の続き、とうとう?最終回です。
境内へと進みます。
警備員さんが横断歩道を通りましょう~と言うので、まあ、言われなくてもですが・・・渡って行きます。
三十三間堂[蓮華王院][さんじゅうさんげんどう [れんげおういん]] ご本堂の入り口へと到着です。
数年前、何かの用事で近くまで来て、やはりこの入り口まで来ましたが、理由は忘れましたけどその時は入りませんでした。
今日はもちろん入って見ます。
ホームページに依りますと、三十三間堂の歴史というところには、
『久寿2年(1155)、第77代天皇として即位した後白河天皇は、わずか3年で二条天皇に位を譲って以後、上皇として「院政」をおこないました。
三十三間堂は、その御所に長寛2年(1164)造営されましたが、80年後に焼失し、まもなく後嵯峨上皇によって再建されました。
その後も手厚く護持され、室町期・足利第六代将軍義教により本格的な修復がおこなわれました。
彼は仏門に入って、比叡山・天台座主を勤め、京洛の禅寺に修理の寄付勧進を命じて、屋根瓦の葺き替えをはじめ、中尊・千体仏など内外両面の整備をおこないました。』
とありますが、そのリンクが貼れないようになっていたので残念です。
大人1人 600円を納めて入らせて頂きます。
これ以降、本堂などは撮影禁止になっています。
境内については、ホームページの説明をお借りすれば、
『正式には蓮華王院(れんげおういん)で、天台宗の古刹。
鎌倉時代に再建された本堂は南北約120メートルの長大なお堂で国宝に指定されています。
堂内の内陣にある柱間が33あることから「三十三間堂」と通称されています。
また、境内には2021年に整備された池泉回遊式庭園や、桃山時代に建立された南大門、太閤塀は重要文化財に指定されています。』
となっています。
本堂には、
『本尊千手観音坐像はじめ千体千手観音立像などが安置され、諸仏すべてが国宝です。
千手観音立像は、平成30年(2018)にそのすべてが国宝指定されたことを記念して、国立博物館に寄託されていた像が本堂に還座し、1,001体が勢ぞろいしました。
また、同年に二十八部衆像と風神・雷神像の配置が、鎌倉時代の版画やこれまでの学術研究に基づき、本来の状態に戻されました。』
と言うことです。
見るもの全てが圧巻ですが、ずらりと隅から隅まで安置された1001体の千手観音立像を実際に目の前にすると、その迫力には静かに圧倒されます。
中でも本尊である千手観音坐像は、
『像高が355cm、桧材の寄木造りで玉眼(水晶材)が嵌め込まれ、全身に漆箔が施されています。
四十二手で「千手」を表す通例の像形で、台座は八角七重の蓮華座、光背は舟形に雲形や宝樹形を透かし彫りしています。
鎌倉期の再建時に、大仏師湛慶(たんけい)が同族の弟子を率いて完成させました。』
と言うもので、見応えがあるのは勿論ですが、見れば見るほど惹き付けられてしまう魅力があります。
リンクが貼れないので、ホームページから本尊の写真をお借りしました。
そして、毎年正月15日ころに大的大会(おおまとたいかい)と言うのが行われるので有名ですが・・・
『江戸時代の「通し矢」にちなむ弓道大会で、全国から二千人が参加し、楊枝のお加持と同日に行なわれます。
特に新成人の晴れ着姿での競技は、正月ならではの華やかさで、京都の風物詩のひとつです。
無料公開される境内は、終日、賑わいをみせています。』
って、ちょうどこちらの軒下の右から左へと矢を射ると言うものですね。
本堂の裏側に当たるところです。
禁煙🚭などの表示はありましたが、撮影禁止の札が見当たらなかったので撮ってみました。
その他、詳しくは三十三間堂のホームページを検索して見て下さいね。
先ずは、本堂内をぐる~っと一周しました。
中は空調とかないので、とても暑いです。
しかし、千手観音立像などの迫力が凄くて、ずっと観ていられます。
正式には「十一面千手千眼観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)」と呼ばれるそうですが、観音が困苦の衆生を救うために「十一面と千手千眼」の姿を具備されたものとされています。
そして、1001体ある一体一体それぞれに特徴があり、みんな違います。
また、その前には、それぞれ風神、雷神や、二十八部衆像が順番に安置されております。
水晶を使った玉眼が用いられおり、眼を見るとその光でさらに迫力を感じます。
そして、ちょうど中央に安置されている御本尊のところで御朱印を頂きました。
なんて熱心に見ていると、とっくに愛妻は姿が見えなくなっておりました。
本堂を一周すると博物館で言うミュージアムショップみたいなところがあり、そこだけは空調がバツグンに効いていました。
愛妻は、ササッと本堂を一周して、こちらで寛いでいました。
その後、本堂を出て、境内と言うか本堂の建物の周りを一周、庭園や法然塔、東大門などなどあちこち拝観をして出て来ました。
三十三間堂を出て、向かいにある京都博物館を見ると、明治古都館の屋根の上がおしゃれなので見とれてしまいました。
ここでカフェへと行こうと思います。
予定していた梅香堂さんへと向かっていましたが、良く見るとこの日は定休日でした。
ガーン!!
事前に良く見ておけよ!!って話ですが、しかし、定休日でなくても、行って見ると臨時休業だったなんてことは、私には日常茶飯事なので、予備の案を発動します。
そんな訳で清水一芳園カフェ京都本店へと向かいます。
そしてやって来ました。
こちらのお店です。
こちらのお店は無事営業しておりました。
入場予約のタッチパネルがありましたが、この時はすぐ入ることが出来ました。
帰りには順番待ちの行列が出来ていて、ベンチなどでお客さんが待っていましたのでラッキーでした。
メニューです。
入ると大き目のタッチパネルがあって、先に注文と支払いも済ませてから席に着きます。
老舗のお茶のお店だけあって、落ち着いた良い感じです。
桐の箱があり、なんじゃこりゃ?っと思ったら、お店の方を呼び出す呼び鈴が貼り付けられていました。
ボサノバ調の静かでムーディーな感じの音楽が流れています。
ちょっとGoogle先生に聞いてみると答えてくれました。
あ~!今回も、タッチしても音楽は流れませんからね。
私はおすすめのメニュー 泡抹茶雪氷&白玉5個 夏のおすすめ品です。
やって来ました~♪
何とも言えない良いビジュアル、色合いで美しいですよね~♪
しばし眺めていましたが、溶けるといけないので早速頂きます。
凄く抹茶の味が濃くて味わい深いのにくどくない、とても美味しい泡抹茶クリームのエスプーマです。
あっさりとした白玉が良い仕事をして、口の中をニュートラルにしてくれます。
エスプーマの中の不思議な氷は、ミルクを使っているそうです。
中も最後までドロドロにならず、とても美味しく頂きました。
愛妻は、清水抹茶パフェにしました。
お~絵に描いた様なちょっと豪華で素敵な抹茶パフェですね~♪
あんこに栗も・・・あんこも甘すぎずとても上品で良いお味だそうです。
ごちそうさまでした。
お店を出て、京阪の七条駅を目指して散策しながら向かいます。
有名な池田屋事件 もうひとつの舞台地 土佐志士寓居跡だそうです。
三十三間堂の鮮やかで美しい東大門側が見えていますが、手前は南大門です。
引いて見るとこんな感じになっています。
不謹慎を承知でいえば、南大門 もちろん焼肉のお店ではありません。
三十三間堂の南大門です。
太閤塀がそれに続いています。
いずれも国の重要文化財に指定されています。
こちらも太閤塀、ヒメムカシヨモギっぽい雑草が伸びてはいますが、この壁(塀)の中は三十三間堂の境内となっています。
帰りは京阪で七条駅から京橋まで戻り、京橋駅でJRに乗り換えるついでに京阪モールにちょっと寄り道、その後、関空快速に乗り鳳経由で大人しく帰って来ました。
こちらは、京都のお土産の一部です。
お菓子ばかりですが、見た目は中華のおこげみたいなお煎餅? その名もおこげはん
コンパクトで軽くて、九条ネギと海老、和風出汁の効いた味もとても良い 堂々の人気NO1(京都駅おみやげ街道のランキング)と言うことでした。
クリアファイル、表と裏です。
無くなり次第終了となっていましたが、おこげはん1箱に付き1枚付いて来ました。
家で食べるのと、愛妻がお友達にあげるので2箱購入です。
京ばあむ プレーンと抹茶の二層になって、外に抹茶のクリームが掛かっている今風のバームクーヘンです。
これは私が自分に買ったもの、抹茶が濃くて滅茶苦茶美味しかったです。
こちらも私のお土産、安定の味 ブラックサンダーの宇治抹茶バージョン 雷神どすう!です。
いや、確かに応仁の乱 以来の衝撃!の美味しさですな!!😆
『先の戦争』と言うと、普通、太平洋戦争、第二次大戦のことだと言うのが我々の共通の認識だと思いますが、京都では、先の戦争、あるいは、先の戦(いくさ)と言うと、応仁の乱のことを指すと言うのが共通の認識だと言う話、都市伝説とか、冗談だと思っていましたが、案外と一定の年齢以上だと実際にも共通認識なのかもですね。
まあ、ある意味、常識かも知れませんが、京都は第二次大戦では、他の同様の規模の都市から見ると、そこまで大きな被害は受けていないため、歴史的に街全体が大規模な戦禍、あるいは戦火に遭ったのは、応仁の乱と言うことなんですよね。
と言うところで、懸賞で京都国立博物館のチケットが当たったことから始まった『そうだ 京都、行こう!』のお話ですがそろそろお仕舞いとなります。
最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。