今回の大宇陀の旅も最終回となりました。
4月1日のことです。
いよいよ見えて来ましたね。
言うまでも無く、右に見えるとても大きな枝垂れ桜が又兵衛桜です。
可愛い桃色の桃?花桃?も可愛いですね。
小さく見えている白いテントのゲートで一人100円を支払って、入場です。
相当久し振り、クオーターセンチュリー(quarter of a century)😆と言うか、大体四半世紀振りくらいです。
まあ、樹齢300年余りと言われているので、二十数年程度では、桜そのものはそれほど大きく変わってはいない印象ではあります。
2000年のNHK大河ドラマのオープニングに使われたりした事もあり、滅茶苦茶人が多くなってからは、来たことがありませんでした。
しかし、それより以前に訪れていた頃は、又兵衛桜の下にも自由に?入れたと思いましたが、何~と・・・周りを電気柵で囲まれて、桜に近付くことが出来なくなっていました。
電気柵の中につくしがいっぱい生えています。
愛妻が、あ~採りたいね~って言っていますが、電気柵がなくてもそれはあきませんな。😆
案内板に依ると又兵衛桜を時計回りに巡る順路になっています。
順路に従って、一旦上に上がります。
まだ満開ではありませんが、青い空に、薄桃色の枝垂れ桜が風に揺れて、何とも雅な感じがします。
ちょっと高い、桜の高さくらいから見ると、こんな感じになっています。(風は強めです。)
時計回りに回って、坂を下ります。
春らしい開放感のある気持ちの良い景色ですね。
飛行機雲~♪
又兵衛桜の又兵衛とは、実はあまり詳細な資料も残っておらず、確かなことは分から無いことも多いそうです。
『通称、後藤又兵衛で、名は後藤基次と言い、黒田孝高・長政に仕え、豊臣秀吉の九州出兵、文禄の役・慶長の役、関ヶ原の戦いに功をあげたが、のち、長政に疎んぜられて(?諸説あり)黒田家を退去。
諸国流浪ののち豊臣秀頼に招かれて大坂城に入り、大坂夏の陣で56歳の時に戦死したと言われている』そうです。
今の単位で言えば、身長が180cmほどと、当時としてはかなり体格が良く、巨漢だったと言われているのは確かな様です。
また、軍事に優れており、勘も利いて度々困難を乗り越えて来たとも言われていますが、『大阪夏の陣で濃霧のため、真田幸村ら援軍の到着が遅れ、10倍以上となった相手に対し、基次は山を降りての展開・突撃を敢行し、乱戦の中に討死したとされている』そうです。
他の武将にも有りがちな話では有りますが、大分県の耶馬溪や、今の愛媛、伊予に落ち延びて帰農、妻帯し、治水と開墾で現地の発展に寄与したという逸話などが、その他各地にも残っている様です。
そんな戦国武将として活躍した後藤又兵衛には、一説として、この地、大宇陀の『本郷地区へと落ちのび、僧侶となり一生を終えたという伝説が残っており、枝だれ桜が残るこの地も、後藤家の屋敷跡にあたることから地元では「又兵衛桜」と呼ばれ親しまれている。』とのことです。
又兵衛桜は、樹齢300年余りといわれ、幹周約3m、高さ約13mの見事な桜です。
私の立っているこの左には、写していませんか、たくさんの人たちがシートを広げて花見をしながら寛いでいました。
桜だけではなくて、モクレンなんかも白く輝き今を盛りと咲いています。
こちらの角度からは、一番のお気に入りの一枚です。
以前に訪れた時は、気の所為だとは思いますが、何だか後藤又兵衛の怨念なのか?と思えるくらい、特に長く枝垂れた枝がおどろおどろしく感じられました。
当時、愛妻も同じことを言っていました。
しかし、今日観る又兵衛桜は、何言ってんだ!!って思うでしょうが、何だか明るくて、桜の木全体からとても楽しいオーラが出ている様に感じられます。
動画🎥では、こんな感じになっています。
電気柵に囲まれて人が入らなくなった分、桜も元気になり、根元も緑に覆われて印象も変わったからと言うこともあるのかもですね。
私の記憶が正しければ、昔は柵もなかったので、桜の根元まで入れたし、枝垂れを通して根元側から向こうの景色を眺めていたと思います。
そして、結構、地面も荒れていた様な気がします。
さらに、川の向こう側は田んぼだった様に思います。
付近の駐車場はほぼ満車、普通車は500円です。
300mくらい離れたところにも駐車場があり、そちらは空いていましたが、やはり500円でした。
道路が細いからだと思いますが、バス用の駐車場は、さらに離れたところで、そこからツアーの人たちが次々と歩いて来ていました。
川で言えば上流、こちら側にもゲートがあり、ゲートを出ると草餅のお店がありました。
さくら奈良漬け?梅干し、紅しょうが、山椒、山ぶき佃煮、ふき味噌、ゆず味噌、黒米おにぎりに、串こんにゃくなどもありました。
こちらの桜、『プリンセス雅』です。
ちょっと濃いめの桃色が何だか艶やかで可愛い、埼玉県さいたま市で発見された桜で、当時の皇太子妃雅子様のご成婚記念として命名された桜だそうです。
ちょうど愛子さまが日本赤十字社に入られて挨拶されていましたね。
かつては、凄く痩せたり、体重が増えたり、烏滸(おこ)がましくも、我が娘の様に、何だか心配しておりましたが、何か色々と乗り越えられたのか、表情もとても良い感じで安心しました。
橋を渡り、川の向こう側から眺めます。
とても綺麗に整備されていますね~ほぼ四半世紀の時を超えて久方振りに来たので、ちょっと驚きました。
良い天気で、満開ではありませんが、のびのびと良い感じで咲いていますね。
言うまでも有りませんが、きっと地元の方がたのお世話、努力の賜物なのだと思います。
旅行雑誌とかに出ているような色合いに、少しだけ補正してみました。
こちらもちょっとお気に入りの一枚です。
水仙も綺麗に咲いていますね。