BUTTER ZUKKER BROT。
生地がしっとり美味しい ブッターツッカーパン。
ヨーロッパには多く置いてある。
じぶんで作ったのは格別。
お母さんのリクエストでよく作るこのパンは
デブのモトだけど 超うまい。
材料の 小麦粉300gから少しだけとって(おおさじ5くらい)
それに ドライイースト11gと 砂糖45gを入れて
お湯120ccをまぜていく。
きれいにまざったらぷつぷつ泡が出てくるまでまつ。
残りの小麦粉には 塩4.5gを混ぜておく。
塩を混ぜた方の小麦粉にゆるいパンの種をいれて
バター60gも加え、生地がつやつやになるまでこねる。
パンを混ぜる機械があったらそれでも大丈夫。
きれいにこねられたら下に引っ張ってまるめて休ませる。
2倍に膨らんだら、指で少し穴をあけてみる。
あいた穴がすぐに閉じなかったら上手に発酵できてるよ♪
生地をぺったんこにしてまた、2倍にふくらむまでお休み。
パン生地をフォカッチャみたいに穴あけながら
バター(好みの量)をちぎっておいていく。
最後に 砂糖(好みの量)を全体にまぶす。
オーブンは摂氏220度くらいにしておく。
15分~16分ずつ焼いたら出来上がり♪
最後にかける砂糖は特に
グラニュー糖じゃなくてキビ砂糖とか
甜菜とかからとった砂糖だとおいしいよ。
過程と結果。
着眼点は姿勢だ。
ピアノをならって賞をとるより
ピアノを弾けるようになることを目的にやる
積極的な姿勢が重要だ。
結果を大事にする場合
着眼点は形だ。
ピアノの賞を取るために
ならうだけじゃなく家でも練習し
楽譜をみなくても弾けるようになるまで手に覚えさせ
いろんな音楽を聴き芸術に振れ
生活を新鮮に感じるように
感覚を優先する。
賞が取れるという 形になるために 全力を尽くす。
積極的な姿勢は関係ない。
恐怖感だろうが逃げだろうが形になればいい。
どっちがいい悪いじゃなく
自分を育てたいなら取り組み方を意識し
物事を形にしたいなら結果にこだわればいい。
それぞれは利用の仕方が違うだけで
できない理由にはなりえない。
ピアノをたくさん練習しても自由に弾けるようにならなかったとき、
コンテストのための一曲でいくら賞を取っても目的は達成されてない。
「賞をとったからいいじゃん」じゃない。
逆に賞を取りたいと思っている人が「練習はたくさんしたからしかたない」もナンセンス。
目的と手段をすりかえるのが弁解だ。
何かをやった「意志」は理由であって 弁解じゃない。
何かをやることになっちゃった環境は弁解になる。
弁解が嫌いな友達がいて
そのこはだから理由も話さない。
かっこいいようだけど
自分の意志に責任をもてないだけだ。
開き直りゃ 楽なのに。
極端な子。
なんでも極論で考えすぎるとおもう。
直したいなあと思っても
直らないから
環境を変えるようにしている。
極論過ぎる人は
毎日の日常生活をやってみるといい。
ずーっとやってると
「あ、今日は燃えるごみの日だ」とか
気付くようになる。
「おなべのお湯を沸かす間にあらいものをしよう」とか
思うようになったりする。
そのうち
雨の日は乗らない自分に気付いたりするはずだ。
極論じゃなく度合いの問題。
程度を分かるようになると
細かいことの決断力が出てくる。
「今日は紅茶よりコーヒーだな」とか
「明日は晴れてたら浅草に行こう」とかだ。
極端な考え方だと
コーヒーを飲んでも紅茶を飲んでも所詮一緒だし
晴れてても雨でも行く必要があるなら浅草にいくが
用事がないなら行かない。
どっちだっていい感じになる。
最近、生活を大事にしている。
だから度合いに気付きようになって
少々戸惑い気味。
極論で捉えるメリットは
人や物事を嫌いにならないってことと
でかいことへの決断があっさり出来ることだ。
明日の飯を決めるように海外に行こう。とか決められるし
お金よりも自分の状態を大事にするべく
仕事をいきなり貯金なしに丸ごとやめたり出来る。
極端に考えることで出していた
大きな決断力を
なくさないようにしたい。
