時々、自分が本当に生きているのか、今見えている世界は何なのか、夢と現実の違いが分からなくなる。
天涯孤独で、友達もいないから、人と関わるのは役所の人とか、スーパーの店員なんかの業務上の接点しかない。
現実味がない現実。あらゆる事に、意味を感じない。
僕の場合、嫌な言い方だけど、自分以外にも苦しんでいる人がいるという事実だけが、孤独をほんの少しだけ和らげてくれる。
たぶん、インターネットが無かったら、入ってくる情報が、身の回りのルーティーンだけになって完全に思考停止して、ふとした瞬間に感情が死んで、二度と布団から起き上がれなくなりそう。
ネットで情報に触れ続けて、無理やり頭の中に刺激を与える事で、何とか正気を保っている感じ。
一方で、それが現実への執着として、僕自身の苦しみが続く理由でもあるのだが。
ただ、たまにある、親が死んだひきこもりが、親の遺体を放置したまま自分も餓死してしまう気持ちが、何となく分かる。
僕らは生活能力が無いから、次に何をすればいいか分からない、人とかかわるのが怖くてそんな気力が起きないというのもあるけど、ひきこもりにとって世界との唯一の接点である親を失うと、心が死んで、現実が完全に意味を失うのだと思う。
そうなったら仮に周りが何をしても、何を言っても、どうにもならない。本人たちも助かりたいとか、死にたくないとかすら、もはや望まなくなっていたのではないかな。
思考さえ放棄して、肉体にわずかに宿る本能に突き動かされて、残った食糧で食いつなぐけど、それが無くなったら、本当に抜け殻。それでおしまい。
そうなる前に、とりあえず命だけでも助けたいと思うのが、人情だろうけど、じゃあ助けた後、その人が今後幸せになれるのかといったら、そんな保証はないし、誰も責任を負うわけでもない。成人していれば少なくとも自立して生きなければならない。そこまでしてなぜ生きる? そう思い悩んで結局同じような寂しい最期になるだけかもしれない。
道徳的には助けなくちゃいけないけど、諦めきって死を受け入れる意思が固まっている人は、そっと死なせてあげてもいいんじゃないかと、考えてしまう。
もちろん、最後の意思確認は必要だけどね。
「助けてあげるよ? どうする? マジで今死ぬん?」
「・・・死ぬ」
「おk。邪魔したね。乙!」
こんな感じで語り掛ければ、とりあえず10人に一人くらいは
「ちょっ、待てや!」
って乗ってくるかもしれない。
生と死を天秤にかけて、生に比重が傾いているうちは、たとえどんなに絶望していても、少なくとも生きようとして足掻くわけだからね。今の僕みたいにさ。