8月30日の昼、
レオの身体は天に向かって
昇って行きました。
私は立ち会うことはできませんでしたが、
こちらの方角でしょう。
正確な時刻は分かりませんが、
ただ、感謝の念を捧げるのみでした。
海と山が美しい景色の中、
もっと、こういう風景を見せに
いろいろ一緒に出かけたかった。
いくら愛情を注いでも、
満足というものはなく、
結局はもっと何かできたのではないか。
そう思うのかもしれない。
それが残された者の宿命なのだろうか。
そして今、レオが旅立ってから、
1週間が過ぎようとしております。
変わり果てた姿になり、小さくなったなぁ…。
家に帰れば
落ち着きながらも尻尾を振りまくり
座れば膝の上に乗って寛ぎ
横になれば腕枕が定位置の
彼はもう居ない。
この世から光や音や感情というものが
失われたような喪失感を感じる。
13年以上を共に過ごし、
手のかからない子だったから
余計にそう感じるのだろうか。
亡きネネちゃんの仏壇…
と、いうほど立派なものではありませんが、
その下にレオ君の仏壇もできました。
生前の犬にあげられませんが、
洋酒ケーキを私はお供えいたしました。
広島県三次市の洋酒ケーキを
お土産でいただいて食べたら
美味しかったので…ね。
私がお供えしたのは三次市とは別の
洋酒ケーキですが、これも美味しい。
すると後ろから
「レオはビスケットみたいなのが好きなのに
(何でそんなものを供えるの)」
と、文句が聞こえてきます。
シニアとなり、
食べることが大好きだったから
美味しいものなら
喜んでくれそうだからさ。
なかなか帰れない事情のある中で
突然のことだったので、
もう犬の姿をしたレオを
見ることも触ることもできないと思って、
せめて何かこの世界を生きた証を残したい…。
何か形見の品を残したかったのは
私のワガママではありますが、
「面倒くさい、後のことを考えて発言しいや」
と文句を言われております。
亡きレオを弔う心は純粋なものだと
自分では思っておりますが、
その心にいちいち難癖を付ける人の心が
私には理解できない。
それとも、私が間違っているのだろうか?
まぁ、何にせよ、
他人を馬鹿にした態度を続ける者は
いつかバチ当たるで。
そう思って今は、耐え忍ぶ。

