【山頂に】硫黄島⑥【あるものは】 | 今日の出来事や思ったこと

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オッサンがたまのお出かけや食事、言いたいことを書き残すブログ

さて前回は、摺鉢山山頂まで来ましたが、
現在の摺鉢山山頂の星条旗を掲げたであろう
場所にはこのような記念碑があります。
米軍目線から石碑には文字が刻まれています。

「1945年2月23日山頂に達した栄光を…」

という内容が刻まれております。
獲ったどー!!
みたいな感じですかね、米軍としては。
すごい誇らしげなものを感じます。


実際に星条旗を掲げたのは

この記念碑の後ろにある

この地点だと思われます。

あと一歩前に出たら山頂から転落してしまう。

これも77年の歳月と火山活動による隆起が

影響しているのでしょう。


昭和19〜20年になると飛んで行った航空機は

ほとんど未帰還または全滅だったのでしょう。


このあたりは日本側の慰霊碑が。


石碑に英霊の姿が…!

いや、オッサンの脚か。


読みたい方はどうぞ。


「慰霊」の文字は小泉元首相によるもの。


日本軍将兵にいろんな都道府県出身者が

おられたためか、

もしくは各都道府県の慰霊の気持ちか、

それぞれの都道府県で採れたであろう石材で

日本列島が作られておりました。
オッサンの県は、ツルツルの石材でした。


この日は実に良い天気でした。

突然スコールが降ることもありますがね。


オッサンはこの時、重大な問題に面していた。

トイレに…行きたい…。

いや、オッサンだから最悪、

その辺で用を足すこともできるで!?

せやけど、この硫黄島、未だに10000柱の

遺骨が眠っていて発掘作業が行われている…。

そんな島でその辺で用を足してもしかして

便をかけるなんて申し訳ないしできないので

なんとか帰るまで我慢します。

もしかしたら遺骨は小さな粒となって

その辺一帯に存在しているかもしれないし…。

帰り道、このように各部隊の壕を示す


石碑が至るところに存在します。


壕とか言っても、どのようなものか、

正直なところ想像つきませんよね。


こんな小さな出入り口なんですね。

当時の日本人は、現在に比べて体格は

小さかったのでしょうが窮屈そうですよ…。

地下壕を通って各地へ移動するのは。

これらの壕はツルハシなどを使って

全て日本軍将兵が手掘りであったというのが

素直にすごいと思う。

地熱による高温、湿気、火山性ガス…

それらの中でよく掘れたものだ。
で、中には入ったのかって?
いえ、入ったら最後、
出れなくなるかもしれないし、
どこにつながっているのか不明だし、
とても単独では入るべきところでは
ないと思います。


〜続く〜