財布を落としたことあるかって?
先日、落としたばっかりや!
それよりも、皆様、台風は大丈夫でしたか?
各地で堤防が決壊して浸水被害が出ている様子の報道を見て心が痛みます。
被害を受けた皆様の生活が早く元に戻りますように…。
〜前回からの続き〜
神戸市の全日本海員組合の中にある、戦没した船と海員の資料館に入ったオッサン。
沈没した船舶の中にはダイビングスポットとなっているものもあるのだろう。
トラック島空襲で戦没した平安丸。
横浜にある氷川丸とは同型船。
ところで、船舶用の鋼材が不足したため、コンクリートで造られた船舶があったのを知ってますか?
かちかち山の狸が乗った泥船みたいにすぐ沈むとか、そもそも船として使えるのか…そう思いませんか?
現存と言っても、呉市安浦町漁港の防波堤になっています。
先の大戦中に実に6万人の船員が戦没した記録があります。
戦時中で若者は徴兵ということもあり、14歳の少年船員もたくさんいたそうです。
民間船舶の犠牲は多く、そういった若者を含めて半数くらいが還らぬ人になったとか。
そろそろ、オッサンの心に強く残った部分を紹介して終わろうと思います。
画像は、ぶら志゛る丸という大型商船。
助けを求めているように見えますか?
天皇陛下万歳をした後、船と運命を共にしたそうです。
旧日本海軍で有名なところでは戦艦大和、武蔵などの艦長は沈没時に退艦することなく艦と運命を共にしましたが…商船でも同じようなことがあったとは…!
以下は軍艦になるけれど、神戸の川崎造船所で建造された航空母艦「瑞鶴」(ウィキペディアより)
降下される軍艦旗に敬礼し、万歳三唱して総員退艦が指示されたとされている。
ちなみにこの時、瑞鶴艦長も艦と運命を共にしています。
これは有名なので、知ってる人は知っている画像。(ウィキペディアより)
戦時中は敵に見つからないように、コソコソ航海していたのが商船のイメージでした。
しかし商船にも軍艦に劣らぬ乗組員の矜持を見た気がします。
今回も多くのことを学びました。
ぜひ、教科書に載らない歴史に触れていただきたく思います。
オッサンの記事で紹介できたのは、一部分だけではありますが、皆様はどのように感じられましたか?
次の画像に、オッサンの想いを託します。