Appassionato -18ページ目

エヴァンゲリオン

エヴァンゲリオンの新劇場版:破が公開されていますね。
今度見に行きたいです。
昨晩、
TV版の最終話をリメイクした「Air/まごころを、君に」を見てしまいました。
初めてではなかったのですけれど、それでも面白いです。

よく、教科書などの本で、
各章の扉ページに有名人の言葉を引用することがありますよね。
僕のD論でもやってみようかしら。
「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」
「ごめんなさい、こういうときどんな顔をすればいいのかわからないの」「笑えばいいと思うよ」
「最低だ、オレって」
「ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でもそのたびに前に進めた気がする」
「私はあなたの人形じゃない」
などなど。
・・・ダメか。

読書

臓器移植法の改訂に影響され、この問題をもう少し考えてみたいと思い、
ピーター・シンガー 「生と死の倫理 伝統的倫理の崩壊」
という本を読みました。
実は、いつか読もうと思ってずっと前に買ったのですが、
読んでいなかった本です。

功利主義的思考を突き詰めて行けばこうなる、といった内容の本です。
功利主義とは、全員の利益を平等に考えて、それが最大になるようにしよう、
という思想です。
ただし著者は、ある人の利益を考える際に、
その人が「人格(パーソン)」であるかどうかを重要視します。
ある存在が「人格」であるとは、
理性および時間的に連続する自分という意識を持っていること、
と定義されます。
従って、脳死患者はもちろん、植物状態の人、脳に重度の障害をもった人、
胎児、新生児などは人格ではなく、逆に大型類人猿などは人格になり得ます。

そして、人格でない存在は「生きたい」という選好を持ち得ないのだから、
その存在を殺すこと自体に何ら問題はないと言い切ります。
ただし、その存在が快苦を感じ得るならば、苦しませるるのは良くない、
とも付け加えますが。

従って、脳死患者を(生命維持装置を外すなどして)殺すかどうかは、
脳死患者本人以外の人の利益によって決定されることになります。
例えば、脳死患者から臓器を取り出して移植すれば助かる人がいる、
治療を停止すれば家族が悲しむ、
限りある医療費を他の患者に振り向けるべき、などです。
意識を回復する可能性のない植物状態の人に対しても全く同じことが言えます。
ただし意識を回復する可能性があれば別です。
なぜなら、その人の「生きたい」という選好や
将来への様々な希望を無視することになるからでもあるし、
他の人々へ恐怖を与える可能性があるからでもあります
(僕も意識を回復する可能性があっても殺されてしまうのかもしれない、など)。
また、
人工妊娠中絶がほぼどんな理由でも許される(胎児は人格ではない)のはもちろん、
障害を持っているなどの理由で新生児を殺すことも許されます
(ただし新生児には痛みを感じる感覚は備わっているだろうから、苦しませずに)。

非常に明快ですが、かなり激しいです。
僕としては、そこまで言い切ってしまっていいのだろうか、という気がします。
ただ明快なだけに、
理論的にきちんと反論するのは意外にも難しいのではないでしょうか?
皆様はどうお感じでしょうか?


他に、最近読んだ本。
村上龍「恋愛の格差」
ジョン・グレイ「ベスト・パートナーになるために」
感想はまた機会があったら書きたいと思います。

冷蔵庫

我が家の冷蔵庫くんが不調ぎみです。
なんか、時々モーターがすごいうるさいんです。
まだ買って一年ちょっとで、新しいのに。
前からたまにモーター音が気になることがあったのですが、
面倒なので気にならないふりをしてきました。
しかし、最近になってモーターががんばる頻度があがってきました。
音もだんだん大きくなってきたような・・・
ついに、夜中に目覚めてしまいました。
故障かな・・・
これから活躍してもらわないといけないシーズンなのに・・・

嫉妬心?

先日、大学のときの同期の人たちと久々に飲みに行きました。
学部時代に野球をやっていて、そのときの同期です。
行こうか少し迷ったのですが、
せっかく誘ってもらったので行くことにしました。
かなり久しぶりでしたし(卒業以来初めて会う人もいたかも)、
ある程度予想もしていたのですが、
全然話に付いて行けませんでした。。。
会社の話とか女の子の話とか金の話とか、○○が結婚するとか、
僕にはほとんど縁のないものばかりなので・・・。
特に女の子の話とか、
聞いているとどうしても嫉妬心のようなものを感じてしまうのです。
非常に良くないこと、人として情けないことだとわかってはいても
わき上がってきてしまうのです。
「どうせこの中で、
女の子に相手にもしてもらえないようなのはおれだけだよ」
みたいな・・・
最低ですよね・・・
どうしてなんでしょう、どうしたらいいのでしょう。

臓器移植法

先日、臓器移植法が改訂されました。
恥ずかしながら、当日にインターネット上のニュースで初めて知りました。
果たして本当に十分に議論されたのでしょうか?
僕個人の感想としてはC案が一番妥当だったと思います。
今回の改訂で、脳死は一律人の死となったようです。
また、これまでとは逆に、提供しないという意思表示をしていない限り
臓器が提供されてしまう可能性があるようです。
脳死・臓器移植に関しては多くの問題があると聞いたことがあります。
例えば、まず臓器移植ありきでのずさんな救命処置や脳死判定にならないか、
そもそも臨床現場での脳死判定によって定義通りの脳死が判定できるのか
(テストを通過したからといって本当に脳全体の機能が不可逆的に失われていると断言できるのか)、
呼吸器を外したり臓器を摘出しようとする際に何らかの反応を示すことがあるが
一体なんなのか、
いったん生命の質の判断を行うことを認めれば、なし崩し的に進んで行かないか
(例えば、植物状態の人、重度の障害をもつ新生児、などに対して)、
まだ体が温かく心臓も動いている人、妊娠していれば出産もできる人を死体とみなせるのか、
などなど。
また、いずれ今回の改訂のような方向へ進むだろうということは
臓器移植法が制定された当時から反対派の人たちから言われていたことでもあります。
とはいえ、
臓器移植を受けなければ死んでしまうという人が数多くいることも事実であり、
大変難しい問題だと思います。
皆様はどのようにお考えでしょうか?