タバコのパッケージに、はっきりと、

「肺ガンのリスクになる」と明記される

ようになってから久しいが、依存の

可能性がある物質、事柄には、売る側、

提供する側も、自主規制がなされている。


僕がまだ福祉を受ける前、パチンコ屋で、

スーツを着て、明らかに一つの人が座って

いる台をじっと眺めている男性を見掛けた

ことがある。その時僕は休みで、そして

朝っぱらからハマり台、それも0.5円パチ

という低貸しが隣に空いていたので、それを

打とうと見ていたのだが、そのスーツ姿の

男性が邪魔で入れない。

4円パチやスロットならばともかく、普通の

客なら、人がどきそうもない、しかも

0.5パチの一つの台に固執するだろうか。


ちなみに僕は、そのお目当ての台に入って

見事少額の勝ちと余り玉でニュータッチの

御当地カップ麺を獲得できた訳だが、そんな

ことはさておき、打つ気もないのに、通路を

ふさぐように立つのは、ホールにとっては

営業妨害でもあるし、マナーというものが

あるはずだ。


そのスーツの男性は、役所の福祉課か

何かの人間であった可能性が高い。恐らく、

見詰める先の台を打っていた男性を監視

していたのだろう。

パチンコは、よくギャンブル依存症の

槍玉に挙げられるが、厳密に言えば正式な

ギャンブルではない。換金する際は、

「特殊景品」という、言わば「仮想通貨」に

変えるという手はずが必要となる。よく、

マンガなどでは、パチンコで勝った描写を、

お菓子が大量に入った紙袋で表現されて

いるのは、そのためであろう。


つまり、パチンコ、パチスロは、いわば、

「大人のゲーセン」。従って、ギャンブル

というよりは、「浪費、贅沢」の意味合いが

強いと言える。ならば、働く意欲もないのに

遊戯に福祉として与えられた金を注ぎ込む

のは、確かに健全とは言い難いであろう。


また、パチンコ、パチスロには、全くゼロ

という訳ではないが、還元率が一定でない。

例えば、馬券の還元率は、0.7倍が基本だ。

ネット投票まで一般化した現代においては

ほぼ起こり得なくなったが、「特払い」と

いう制度が存在する。特払いとは、その馬券

種別ごとに、その的中票がない場合、100円

につき、70円が返還されるというもので、

的中票がないことで主催者が全て有利になる

という公平さを欠く事態を避けるために

存在する、馬券のルールだ。

一方、パチンコ、パチスロは、(天井=

それ以上ハマらないという限界が存在する

という説もあるが)客が全員勝つ可能性も、

逆に負けてホールがボロ儲けという事態も

起こり得る。確変でもない限り、次の千円が

吉と出るか凶と出るかは分からない。

次々と財布にある限り吸い込まれてしまう。

そもそもがゲームなのだから当然であるが。

それにのめり込んでしまう、負けを勝ちで

取り返そうとする、確かに依存症だ。


競馬、特に本場開催の競馬場に出向くのを

「ギャンブル依存症」と記載されている

テキストを見たことがあるが、それはむしろ

誤りであろう。ネット投票を使わないなら、

競馬場の発売機に、マークシートに記入して

買いに行かなければならない。そして手持ち

資金しか購入できない。食事代や帰りの

電車賃なども必要ならば、それも気にしな

ければならない。そしてあれこれ追加購入を

考えたりと余計なことをしていたら、

せっかく陣取っていたパドックやレースが

見やすい場所に人が入ってしまったりと、

迫力あるレースが堪能できなくなってしまう。

わざわざ本場開催を見に来たのであれば、

生のレースを楽しみ、映像もターフビジョン、

無料のお茶コーナーもあるので、しっかり

水分補給をして充実した1日にしようでは

ないか。


むしろ、現代はネット投票が主流になり、

無料場外馬券場の「ウインズ」が統廃合を

されるなどし、逆にギャンブル依存症に

拍車を掛けているような気がしてならない。

スマホのネット投票は、手持ちに現金が

なくても、IDとパスワード、そして口座が

紐付けられているので、ボタン一つで追加

入金ができてしまう。JRAは、クレジット

カード投票もある。

現金は、手持ちがなくなればそれで今日は

もう馬券を諦めなければならなくなるが、

ネット投票の場合、口座に残高さえあれば、

予算を超えて買うことができてしまう。

むしろ、競馬場に出向くよりも、スマホに

依存し、更にネット投票にハマる方のが、

どれだけリスクがあるかは、言うまでも

ないだろう。


ただ、最も、「依存症」の立場として困る

ことは、一つ依存症とレッテルを貼られれば

芋づる式に、次々と自由や権利を奪われる

ことだ。「アルコール依存症」になると、

「酒、アルコール」を連想させるもの、

従って、酒の肴を思い浮かべてしまうもの、

ノンアルコールビール、更には、料理酒、

みりんと言ったものまで制約を受けてしまう。

料理を美味しくする、臭みなどを抜いて、

食べやすくする、そんな権利まで、依存症は

放棄せねばならないのか。それだけには

留まらず、「酒を買ってしまうから」、と、

一銭も現金を持たせてもらえなくなったり、

金を借りたり、ポイ活などで貯めたものを

換金し、酒を買う可能性がある、飲み友と

連絡を取る可能性がある、などと勘ぐられ、

スマホも制限、または剥奪される。


一つ、自由、権利を取り戻すのには山をも

動かす努力、実力が必要だが、一つを失えば

十を失うのは容易いこと。

そんなことは目に見えているのに、二言目

には、「勘ぐり」、「被害妄想」などと

浴びせられる。

便利な世の中になっても、それを駆使できる

者は限られた支配者だ。ただ、何もかもを

一括りに邪道のレッテルを貼り付ける行為は

僕は、自分の目の黒い内は、抵抗したい。