超意識への飛翔


題名に惹かれて選んだ、ドン・ファン・シリーズ九作目。


メキシコのヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンに師事したカスタネダの体験が書かれた本。


一作目から順番に読まなくても最終巻の『無限の本質』は(ちゃんと理解しているかはともかく)楽しむことができたんだから、きっと大丈夫でしょうと思ったんですけど……いまは順番に読めばよかったのかもしれないと思っています。


題名から「夢を意識の拡張に使う」ということは、明晰夢をみたり、体外離脱なんかもしながら、最終的に熟睡中も気づきを保つことを目指していくのだろうと想像して読み始めました。書かれていることはそんなに大きく外れていないと思うのですけど、ドン・ファンの世界観というか、繰り広げられるストーリーが、わたしの想像の斜め上過ぎて息切れしながらついていった、いや、ついていけなかったかもしれないです。それでも抜群におもしろかったです。


ストーリーを追っていると深い意識世界で起きていることなのか寓話なのかと混乱してくるところもありました。だけどストーリーを支える細かいところ、ドン・ファンが話すことや、カスタネダが体験から得たこと、夢見の具体的なことは、実践を通して導き出した真実としか思えないんです。意識(自己)を深く探求したひとならではのことがたくさん書かれていると思いました。


『私たちのエネルギーの大半は自尊心(※ わたしだったら自尊心より自我という言葉を使う)を保つために消費されている、というのがドン・ファンの論だった。それは、私たちが際限なく自分の体裁を気にすることを見れば明らかだ。ほめられているかいないか、好かれているかいないか、認められているかいないか、とまったくきりがない。彼は、もし私たちがその自尊心をいくらかでも手放せれば驚くべきことがふたつ起こる、といった。ひとつは、自分が偉大であるという幻想を保っているエネルギーを解放することができる。もうひとつは、(略)宇宙の本物の偉大さをかいま見ることができるのだ。』


『自分を忘れるんだ。そうすれば怖いものなど何もなくなる。』


『知覚の社会的部分を取り除くことによって、すべての本質が知覚できる。何であれ、わしらが知覚しているのはエネルギーだ。』



この本だけで『夢見』をするのは難しいと思いますけど、ほかの本などを参考にして『夢見』的なこと、明晰夢のトレーニング的なことをしているひとは、読むと参考になる部分も多そうです。


明晰夢をみる方法として「手を見る」というのはよく聴きます。それってこの本からきているんですかね。ドン・ファンが同じことをカスタネダに教えていました。


ちなみにわたしも数回、明晰夢をみたことがあります。夢のなかで夢だと気づいたのは「手を見る」んじゃなくて、現実離れした違和感からでした。


たとえば、飛んでいるけれど地上1.5メートルくらいの高さをのろのろ飛ぶことしかできなくて「なんでもっと飛べないの」と思った瞬間「え、飛ぶとかおかしいじゃん。これ、夢だわ」と気づいたり。夢だと気づいて「高く飛ぶ」ことを意識したら身体が高く舞い上がった……なんてことはなくて、瞬時に周りの景色が変わりました。夜の街の上を飛んでいる夢に切り替わったんです。


あるときも夢のなかで夢だと気づいて、夢のなかを見まわしたことがあります。遠くの景色がぼやぼやしてきて見ていると溶けるように崩れてきたんです。カスタネダも似たようなことを体験しているようです。


ドン・ファン・シリーズはまだ二冊目だけしか読んでいませんけどとてもおもしろいです。残念なのは絶版なこと。それと利用している図書館では全巻そろっていないこと。古本で状態がいいものを探すのもしんどいので、たぶん、わたしは全巻読むことができません。本当に残念。


『ドン・ファンは、私たちが単一で完全なものと信じているこの世界をタマネギの皮のような、層状に連続した世界のひとつにすぎないと考えている。彼は、私たちがエネルギー的に私たちの世界だけを知覚するような状態になっているとしても、本来は誰もが他の領域に入り込む能力を備えていて、その領域も私たちが住む世界と同じくリアルで、単一で、完全であり、包み込むものなのだ、と断言した。』


実話怪談、というか怪奇体験談を聴いていると、意図せずほかの領域を垣間見てしまった、なんて思われる話もあったりしますね。