人はなぜ見えないものを見るのか

 

ランディさんのエッセイ。ノンフィクション。変性意識に興味があるひとはおもしろいと思いますよ。

 

ランディさんはメキシコで儀式に参加してマジックマッシュルームによる変性意識を体験しています。そのとき汚物にまみれたトイレまでもが神々しく見えたそうです。ランディさんは思います。意識状態が変わるだけで神秘と神性の世界が現れるならなぜいつもこの世界にいられないのかと……。脳はなにを好き好んで常識や既成概念に刷り込まれた汚い檻のなかで生きているのかと……。

 

変性意識を体験したひとなら一度くらいは思うことじゃないですかねえ。なんであの状態が続かないのって。そもそもアレはなんなのって。こういうことを納得するまで突き詰めていくのもそれはそれでおもしろいと思いますけど、ここでは変性意識そのものについてはとりあえず置いておきます。

 

ちなみに変性意識はどこかの国に行って儀式に参加しなくても体験することができます。瞑想をすればいいんです。だけど変性意識にこだわるのはよくないですよ、たぶん。

 

わたしがこの本に興味を持ったのはズバリ変性意識というより、ちょっと変わった "UFO体験" が載っていると知ったからでした。たしかにちょっと変わった "UFO体験" が載っていました。

 

ランディさんはUFOを目撃したひとに直接会って話を聴いています。体験した方が "UFO・宇宙人" と解釈しているなら、もちろんそれで全然いいんですけど、わたしには「意識の拡張によって深いところに触れた体験」という解釈のほうがしっくりくるような体験談でした。ひとによっては神とか守護霊という解釈をするかもしれないです。この方の体験の場合、どの言葉を当てはめるかのちがいでしかなくて、当てはめる言葉はなんだっていいと思います。

 

話を聴いたときランディさんはこの体験談を本に書くつもりはなかったそうです。宇宙人から伝えられたというメッセージはあまりに陳腐。『お魚も、お花も、空気も全部生きている』。こんな子どもみたいなこと、いまどきスピリチュアルなチャネラーだっていわないよって。

 

体験者はとても過酷な子ども時代を送っているんですけど、当時のことを振り返って話していても、だれのことも悪くいわなかったそうです。そりゃそうだろうなと思いました。『お魚も、お花も、空気も全部生きている。(略)みんなそれぞれだけど、同じなんだよ』。このようなメッセージを受け取るひと、というかこの言葉にガツンとくるひとは、他人を悪くいわないだろうなと。突き詰めれば他人は自分ですし。


『みんなそれぞれだけど、同じなんだよ』


後半、苫米地英人さんが出てきてUFO体験についてすぱっと答えています。『あれは、変性意識と関係しているんだよ』と。幻覚ってことですか? とランディさんが訊くと『というか、この世界はすべて幻覚なんだよ』と。そして、『UFOを見ているひとは他のもの、幽霊とか妖精とかも見るんじゃないかな』ともいっています。複数で目撃されているんですけど……とランディさんがいうと、『深い変性意識に入るひとは他のひとも巻き込めるから複数で目撃しても不思議じゃない』と答えているんです。

 

そういうケースもあるだろうなと思います。霊感のあるひとと仲良くなって一緒にいたら幽霊をみてしまった、なんて体験とおんなじ。幽霊もUFO(の一部?)もおんなじ。じゃあ変性意識なんだから取るに足らないことかというとそういうわけでもないんです。苫米地さんはこうもいっているんです。

『変性意識って言っても特別なことじゃないんだよ。人間はいつも変性意識の状態なのよ。ただ、それが深いか浅いかってことね』

わたしには苫米地さんの考えがしっくりきます。突き詰めちゃえば、変性意識も "現実" も同じ、幻覚。共有するひとが多いか少ないかのちがいでしかないんじゃないかなと思ってます。

人はなぜ見えないものを見るのか……。ランディさんは自分が納得する答えに行き着いていません。東洋思想のなかに答えがあるならそれを追ってみたいと書いて締めています。


『世界には情報が溢れている。だから、情報を疑ってかかれ。マスコミの情報など信じるなという言説が溢れている。自分の頭で考えろ。自分の感性で感じろ。なるほど、では自分の感性も疑わなければならないとしたら、私たちは何を信じて生きればいいんだろうか。』