「おいしい」も「痛い」も幻想だった
 
おもしろい本。
わかりやすい言葉でとっても深いことが書かれているように思えました。
 
感情・思考・身体を観察しているひとは読むとおもしろいんじゃないかと思います。アプローチがちがうだけで、似たようなことが書かれています。初期仏教にも近い感じがします。そういうことにはまったく興味がないよってひとも、副題に少しでも興味を持つのならおもしろく読めるのではないかなと思います。
 
内容を簡単にいってしまえば、すべてはイリュージョンですよ、ってことです。この世に確実なものなんてなーんにもない。あなたが感じているすべては幻想だということを、脳神経科学や認知心理学から導き出した本です。

心は幻想です。自分が自分だと思っている思考や感情、感覚は反応です。これは認知心理学とか脳神経科学じゃなくても、自分の思考や感情を根気よく見つめ続けていればだれでも気づくことなんじゃないかと思います。
 
なんだそれと思ったとしても、この本を最後まで読めば、もしかしたらイリュージョンなのかもしれないと、ちょっとくらい考えるかもしれません。
 
わたしもイリュージョンなんだろうなと思っています。一人ひとりが別々の世界(観)を持っていて、それぞれの世界(観)が重なった部分を現実と呼んでいるに過ぎないんじゃないかって。その一人ひとりが持っている世界は、この本がわかりやすく説明しているようにイリュージョンなんだろうな、と。
 
どうかしていると思われるかもしれませんけど、多分その通りで、どうかしているんです。でも少し考えてみてほしいんですけど、現実って自分の脳で知覚したものです。当然、脳は一人ひとりちがいます。じゃあ現実って? こんなふうに感じるようになったのは、わたしの場合は、多分、ヨーガがきっかけだろうと思います。
 
この本でもヨガのことが出てきます。感覚遮断(アイソレーション)タンクに五回くらい入ると、ヨガの修行僧が数十年かかる瞑想状態に到達できると、ヨガの修行僧が話したらしいです。
 
感覚遮断タンクに入ると、名前の通り感覚が遮断されるので、深い瞑想状態に入りやすくなると思います。適当なことをいうと、ここでいわれていることは変性意識なんじゃないかと思うんです。本のなかでも書かれていますけど、この体験は悟りとは関係がないと思います。驚くような体験であることは間違いないですし、きっかけにはなるかもしれないですけれど。
 
じゃあ悟りってなんだろうというと、すべてはイリュージョンだと見抜いて本能を超越しそこに完全にとどまることなんじゃないか、とこの本には書かれています。すべてはイリュージョンだと気づくことは、お釈迦さまがすべては「空」だと悟った境地を垣間見ているのではないかと。そうだとするなら、この本を読んで「すべてはイリュージョン(かもしれない)!」と思うことは悟りを遠くからチラッと覗いたということになるんですかね。
 
悟りとか瞑想とかいうと、宗教っぽいと思われるかもしれませんけど、そういう本ではないです。まったく違います。当たり前に受け入れている自分の感覚のふしぎさに気づくとてもおもしろい本です。