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フルトヴェングラーによるモーツァルトについての記述はそれほど多くはないが、いくつか紹介したい。まずは、『フルトヴェングラーの手記』(芦津 丈夫・石井 不二雄訳 白水社)からである。

1929年
「(中略)作曲の天才が、意識的にせよ無意識的にせよ、その時代の演奏様式をつくり上げたのである。ヘンデルのオラトリオ、ハイドンの弦楽四重奏曲、モーツァルトのオペラ、ベートーヴェンの交響曲——そのいずれもが独自の世界を意味しており、そのそれぞれによって一世代の、あるいは数世代もの感覚と演奏が導かれ、それに形態が与えられたのであった。ショパンのピアノ曲、ブラームスの室内楽、ヴェルディの歌、ヴァーグナーの、後には(リヒャルト・)シュトラウスの管弦楽——ほんの数例を挙げるだけだが——、これらの「創造者」たちがその時代の様式を造り上げたのであり、演奏者たち、ピアニストや器楽奏者や歌手や指揮者の集団は、彼らに従い、彼らの意図にの実現に協力し、彼らに導かれる以外、何もする必要がなかったのである。」

1940年
「バッハ、モーツァルト、ハイドンは自己「および」自己の時代を実現した。ベートーヴェンは、個々の作品を分離し、個別事象を創造した最初の人間であった。これは必然的に……。彼がこれをなしてから、いかなる思考によっても再び以前の状態を取り戻すことはできない(ヒンデミット、レーガー)。個々の作品の独立、すなわち芸術家の客観化。まさしく主観的なものではない。モーツァルトはどの作品においても彼自身、モーツァルトであり、ベートーヴェンはそれぞれの作品において別人である。」

1946年
「歴史の評価
 モーツァルトが評価されるのは、明らかに、彼にあっては素材の影響力が時間形態のためにきわめて弱いからである。ヴァーグナーとブラームスはさしあたり素材の近さによる犠牲である。目下、ヒンデミットの素材が全盛を極めている。これがどこまで続くかは推測するに困難ではない。だが真の確証はその後にはじめて得られるであろう。
 モーツァルトの時代によるヘンデルの拒否、ロマン派などによるモーツァルトの拒否などの例がある。しかし、いまだかつて単なる素材の立場が現代におけるほど強引に主張されたことはない。」

1950年
「『魔笛』
(中略)『魔笛』のような作品を前にして、いかなる専門用語も、いかなる類型分類も役立たないことである。それはしかじかと決めがたく、陽気でも真面目でも、幻想的でも厳格でも、悲劇でも喜劇でもなく、あえて言うなら同時にそのすべてであり、すべてを包括するものである。(中略)『魔笛』はあらゆる類型の手法を用いながらも、これらの手法は全景にすぎず、まさに手法にすぎない。一切が同時に象徴的であり、しかも生命そのもののように象徴的である。現実であると同時に非現実、幻想であると同時に実在である。それゆえ『魔笛』にあっては、これほど異質の諸要素が一つになり、これほど本性を異にする個々の部分が(モーツァルトの無比の天才によって)世界文学にも他に例を見ない仕方で統一的な全体、生きた作品に溶接されることになった。それというのも、極めて注目すべきこととして、この作品は雑多な部分の集積ではなく、芸術家の立場より見て、およそ作品のその様式における究極的な統一という意味においてモーツァルトの最も成熟した、完璧な、均整のとれた作品であるからだ。」


『フルトヴェングラー 音と言葉』(芦津 丈夫訳 白水社)の書名になっている「音と言葉」(1938年)には、次のように書かれている。

「音楽は、たとえばオペラの場合のように芝居の筋に従わねばならぬときでも、自己の権利を放棄しようとはしない。それゆえモーツァルトは、事象の造形力や共鳴する感情の底流を通して自己の内なる音楽家に働きかけるものだけを作曲し、それ以外のあらゆる要素をレチタティーヴォのなかに追いやった。しかしモーツァルトが一片の現実を音楽に置きかえ、音楽が言葉と歩調を合わせて進行するような場合でも、音楽はそれをいわば条件づきでなしている。だから彼のオペラ(たとえば『フィガロ(の結婚)』の個々のナンバーにあっては、ほとんどの場合その一部分、ほぼ四分の三だけが劇の筋に属し、残りはひたすら音楽に捧げられている。ここでは音楽が自己自身の法則に従って羽ばたき、みずから法悦に酔いしれる。その場合、言葉は果てしない、往々にして無意味な反復のうちに、否応なくこの過程に従わねばならない。」

フルトヴェングラーがモーツァルトのオペラを高く評価していたこと、作曲家としての目で冷静に作品を分析していたことがわかる。『フィガロの結婚』(原語のイタリア語ではなくドイツ語上演)、『ドン・ジョヴァンニ』(原語のイタリア語上演)、『魔笛』(原語のドイツ語上演)、これらのザルツブルグでの晩年の公演は全曲ライブ収録されたのが残っている。『ドン・ジョヴァンニ』は高く評価されて生前に記録映画も作られた程である。

1951年
●8月6日 ウィーンフィル ザルツブルク音楽祭 ORFロトヴァイザー放送収録
モーツァルト:歌劇『魔笛』K. 620 全曲
グラインドル、デルモータ、シェフラー、リップ、ゼーフリート他

フルトヴェングラーが高く評価した『魔笛』は、伊CetraのFE-19で比較的ききやすい音で楽しめる。出演歌手が素晴らしく、巧みなテンポの設定でドラマが進む間に観客が熱狂していく様子が分かる。その中でも、ゼーフリートのパミーナとリップによる夜の女王が絶品だ。作品が要求するままの自然でチャーミングな演奏で、リップによるアリアだけでもわざわざスタジオ録音が残されたのも納得ができる。きっと、スタジオ録音でのリップの伴奏の指揮者名を伏せて聴くと、多くの人がフルトヴェングラーとは想像できないかもしれない。仏フ協会SWF-8601, 8604(2LP)で聴くことができる。音質面に優れているのと、余りにもピュアな演奏だからである。一般にステレオ・タイプ的に捉えられているデモーニッシュとか哲学的という、この指揮者への固定概念なしに聴いてみると、色々な要素のあるこの作品を的確に捉えて演奏しており、この指揮者の無邪気で明るい面を垣間見ることができる。

ところで、伊CetraのFE-19はStereo表示されているが、1960年代以降のステレオをイメージするとずっとモノラルに近いステレオで、実際に聴いてみるとステレオかモノラルかがよく分かりにくいが、確かに、奥行きが感じられるステレオ録音ではある。他にも1953年の『ドン・ジョヴァンニ』と1954年のウェーバーの『魔弾の射手』が同様な例としてあげられ、新しい録音ほど音が鮮明で立体感があるように聞こえる。Tahraから出たCD、FURT 1095-1097にも、ステレオらしいステレオ録音が収められている。CetraのFE規格で出たレコードと同じテープを使ったのであろう。このCDセットには、ザルツブルクでのウィーンフィルとの演奏で、1953年のシューベルトの『グレイト』と1954年に上演された『魔弾の射手』全曲が収められている。Tahraによると、フルトヴェングラーの友人であるアルフレード・クンツによって録音されて個人所有されていたとのこと。

『ドン・ジョヴァンニ』は、ザルツブルクでの1950年、1953年、1954年の3つの全曲録音と、1954年の映画が残されている。映画では貴重な数少ないフルトヴェングラーの指揮姿が動画で見られる。しかもカラー映像である。この映画は、本番の上演とは別に録られた部分もある。というのは、自動車と飛行機の音を避けて夜中に撮り直す必要があったのと、ドンナ・エルヴィーラの役が実際の上演ではシュワルツコップだったが、彼女の夫のウォルター・レッグの意向で参加できなくなり、リザ・デラ・カーザに代わったからである。1954年の公演の多くのLPとCDでは、欠落した終幕の6重唱を1953年の録音で補っている。その部分はオリジナル・テープで欠落しているとされている。日本フルトヴェングラー協会から音源を提供されてキング・レコードが作ったCD、KICC 1161/3(3CD)は、確かに1954年の演奏のみでできているが、1953年録音と比べて音質が悪い。

一方で、1953年の録音はとても良いし、当時最高の歌手達が適材適所に配置されている。このオペラには、悪魔が潜んだような場面もあって、特にドン・ジョバンニが地獄に落ちるに至るシーンへのドラマチックな音楽づくりは、他の誰も真似できそうもない。全体的には、暖かい人間味のあるドラマが感じられる。フルトヴェングラーの私生活でも、女性関係がかなり派手だったので、このような作品には大きな共感を持てたかもしれない。モーツァルトによって登場人物の感情が動く様子を写実的に描かれた音楽を忠実に表現していて、決して表面的に整えるようなことが一切ない。フルトヴェングラーの体調が良かったのか、場面の変わり目やテンポ感、間の取り方が上手で、どの部分を取ってみても、しなやかで生き生きとした音楽が、この作品の魅力を余すことなく表現している。メロディーの歌い方は緻密で、この作品がどのような作りになっているかがよく分かる。それを忠実に表現しているウィーンフィルは、絶妙な職人技とアンサンブルで、この歴史的な上演に不可欠な存在感を示している。小楽団が出てきたり、明るい場面では、このオーケストラならではの管楽器の音と、チャーミングなヴァイオリンが作品を引き立てている。常に、各楽器のバランスが崩れないのは、この作品を知り尽くしているウィーンフィルならではのものである。

歌手も申し分ない。最高の当たり役、チェーザレ・シエピによるドン・ジョヴァンニは期待通り素晴らしいし、ドンナ・エルヴィーラはシュワルツコップによる非の打ち所のない歌唱が聴ける。重唱のアンサンブルもぴったりで、表現が豊かである。エレナ・ベルガーのツェルリーナの若々しい声は、この作品の喜劇的な要素を高めている。ウィーン初演に向けてモーツァルトが追加して作曲した第一幕のドン・オッターヴィオのアリアは、アントン・デルモータによる感動的な歌が聴ける。それぞれの歌手のアリアも、思わず聞き惚れるほど素晴らしい。どの歌手ものびのびと、歌いやすそうに歌って、最高の歌唱を聴かせてくれる。ザルツブルクの歴史の中でも特筆すべき上演記録だろうし、この作品の最も素晴らしい上演の一つではないだろうか。フルトヴェングラーのモーツァルトの素晴らしさは、この録音と、これからふれるベルリンフィルとの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』が最も分かりやすいだろう。LPは、CDよりもこの上演の暖かいサウンドや、チャーミングな魅力、そして何よりも音楽の感動を伝えてくれる。フランス協会とセンターとの共同製作によるSACDでも、残念ながらLPには及ばない。この演奏の感動と真価を伝える伊チェトラ FE-23は、1953年録音の唯一のLPである。まさしくファンにとっての至宝だ。

1950年
●7月27日 ウィーンフィル ザルツブルク音楽祭 ORFロトヴァイザー放送収録
モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』K. 527 全曲
グラインドル、ゴッビ、デルモータ、シュヴァルツコップ、ゼーフリート他

1953年
●7月27日 ウィーンフィル ザルツブルク音楽祭 ORFロトヴァイザー放送収録
モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』K. 527 全曲
シエピ、シュヴァルツコップ、グリュンマー、デルモーター他

●8月7日・11日 ウィーンフィル ザルツブルク音楽祭 ORFロトヴァイザー放送収録
モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』K. 527 全曲
シェフラー、シュヴァルツコップ、ゼーフリート、ギューデン他

1950年の『ドン・ジョヴァンニ』は、タイトル・ロールをゴッビが歌っていて、歴史に残るような当たり役シエピとの比較で余り評価されていないが、それほど悪くはない。全体的には、女性の歌手陣が素晴らしく、フルトヴェングラーは絶妙なサポートでドラマを進行させている。どのように歌ったらよいのかがフルトヴェングラーとウィーンフィルのメンバーによる伴奏で暗示のように示されているので、歌手達はさぞかし歌いやすかったであろう。例えば、アントン・デルモータが歌う第1幕のドン・オッターヴィオのアリアは絶品である。指揮者がこの偉大な作品に感動しながら上演しているのが、特によく伝わってくる部分である。大きな音になると音が割れる事もあるものの、演奏内容を知る事ができる程度の録音状態には達している。

フィッシャー=ディースカウが自伝で、ドイツ語上演と伝えられて出演を断ったのを後悔したと伝わっている『フィガロの結婚』も同様で、気合いの入った序曲やドイツ語の重さを感じることもあるが、それぞれの場面で登場人物の心情をよく音楽で伝えているし、場面と場面の繋ぎも見事であり、録音としては、たった一つしか残っていないフルトヴェングラーの上演記録から学べる事は多い。

『ドン・ジョヴァンニ』のような作品の演奏が高く評価されたからだろうか、フルトヴェングラーの演奏には短調の作品が合うと多くの人に思われているせいなのか、ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K. 466は、フルトヴェングラーの代表的な名盤の一つと考えられている。確かに素晴らしい演奏だ。ところが、交響曲第40番も短調なのに、ウィーンフィルとのスタジオ録音は評価が分かれている。他の演奏では聴くことができないような深刻さと独特な音色がその理由であろうか。モーツァルトを神格化せずに、同僚の作曲家としての視点で、楽譜に書かれていることを素直にこの作品を見つめた演奏だ。アンサンブルが難しい曲として知られているが、さすがウィーンフィルでアンサンブルの問題は起こっていない。アンサンブルよりも内容を重視したフルトヴェングラーの演奏姿勢がウィーンフィルの持ち味とマッチして生まれた名演だと思う。

<プログラム>
1954年
●5月15日 ベルリンフィル ルフェビュール(P) ルガノ・テアトロ・アポロ スイス・イタリア語放送(RTSI)収録
・ベートーヴェン:『田園』交響曲
・モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調
・R. シュトラウス:交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』

写真:
´▲廛薀呂妨渋犬垢襯┘好董璽鳩狆譟1787年10月29日、ここで『ドン・ジョヴァンニ』がモーツァルトの指揮によって初演された。木造の美しい劇場の中に入ると、まるでタイムスリップしたかのようである。当時はノスティッツ国立劇場と呼ばれていた。
『魔笛』伊チェトラLO-9(3LP)
ぁ慄眦』伊チェトラFE-19(3LP)
ァ悒疋鵝Ε献腑凜.鵐法抂縫船Д肇 FE-23(4LP)
Α悒侫ガロの結婚』伊チェトラ FE-27(3LP)
А悒疋鵝Ε献腑凜.鵐法抂縫瓮蹈疋薀 MEL-713(3LP)
┘團▲龍奏曲第20番が収められているUnicorn WFS 11。Side 1はEMIに録音されたハイドンの『驚愕』交響曲である。このレコードはEMIの協力のもとに再発売された。