







*ライブ録音が残されている時期からのシーズン毎の集計
1942年(10月)-1943年(8月)
・交響曲第2番(4回)
1943年(9月)-1944年(9月)
・交響曲第1番(1回)
・交響曲第4番(7回)
1944年(10月)-1945年(2月)
・交響曲第1番(2回)
・交響曲第2番(5回)
・交響曲第3番(3回)
1946年(4月)-1947年(8月)
・交響曲第1番(3回)
・交響曲第2番(2回)
1947年(9月)-1948年(8月)
・交響曲第1番(10回)
・交響曲第2番(3回)
・交響曲第3番(1回)
・交響曲第4番(1回)
1948年(9月)-1949年(8月)
・交響曲第2番(5回)
・交響曲第4番(11回)
1949年(9月)-1950年(8月)
・交響曲第1番(7回)
・交響曲第3番(3回)
・交響曲第4番(3回)
1950年(9月)-1951年(8月)
・交響曲第1番(3回)
・交響曲第2番(7回)
・交響曲第3番(12回)
1951年(9月)-1952年(6月)
・交響曲第1番(9回)
・交響曲第2番(14回)
・交響曲第4番(7回)
1952年(11月)-1953年(8月)
・交響曲第1番(9回)
・交響曲第2番(8回)
1953年(9月)-1954年(8月)
・交響曲第1番(4回)
・交響曲第3番(15回)
合計
・交響曲第1番(48回)
・交響曲第2番(48回)
・交響曲第3番(34回)
・交響曲第4番(29回)
たったの4曲しかないブラームスの交響曲の中から、1曲から2曲、多いときには3曲を集中的に取り上げたのが分かる。交響曲第1番と第2番の演奏回数が多いのは、華やかな曲の締めくくりなのでプログラムの最後に演奏すると観客が喜ぶからであろう。プログラムの中での順番では、交響曲第3番のほとんどがプログラムの1曲目か2曲目に演奏されることが多かったのに対して、他の3曲は、ほとんどが最後に演奏された。演奏回数から考えても、フルトヴェングラーにとって大切な作品群だったことは間違いのないことである。
著作にも、ブラームスのことがたくさん書かれている。『フルトヴェングラー 音楽ノート』(芦津 丈夫訳 白水社)には、ブラームスについて、次のように書かれている。
1940年
「ブラームスの作品は、その一つ一つが「埋もれた財宝」の性質を持っている。この財宝を掘りおこす人は、未曾有の利得にあずかる。」
1947年
「真の解釈者は、彼の指定するあり方で音楽を聴くことを聴衆に要求する。ブラームスにおいてはシュトラウスの場合と異なった聴き方をするわけであるが、ただしこれは正しい演奏に関してだけ言えることである。
たとえばブラームスに対して要求される聴き方は綿密をきわめ、そこには音楽的なものと心的なものとが多分に関係してくるから、多数の聴衆にとっては至難のわざとなる。ブラームスの「不成功」はまさにこの点にある。」
1947年のシーズンは、戦後、4つとも演奏会で取り上げた唯一のシーズンである。「埋もれた財宝」を見せてくれる数少ない演奏が、フルトヴェングラーの演奏であることは言うまでもない。ブラームスの交響的な作品を正しく演奏するためには、プロのオーケストラでさえも、周りの奏者の演奏を聴きながらよく考えて演奏する必要があり、決して楽には演奏できない。私は、ドイツのプロの優秀なオーケストラが、ブラームスの交響曲第3番のリハーサルの際、指揮者がオーケストラにお互いによく聴き合うことを求めて、指揮者なしで演奏させて、アンサンブルが見違えるように向上したのを目の当たりにしたことがある。
巨匠の言葉にもあるように、ブラームスを聴く観客にも求められる充実した要求故に、音楽的に正しく主張したまとまった演奏でなければ、聴衆に訴えかける演奏には至らず、聴衆に求められる負担が増す結果になる。例えば、ブラームスの交響曲第2番においては、めまぐるしく主旋律を担当する楽器が変わって、各楽器の音量バランスが難しい。しかも、バックで演奏する音も、何らかの重要な役割を持っていて、指揮者はどのようなことが書かれているか、そしてそれをどのようにとらえているかを、常にオーケストラに見せなければならないのだ。
フルトヴェングラーの録音では、交響曲の構成と合わせて、転調、ヘミオラ、三連符なども勘案して、適切なテンポ設定で演奏されていたのがよく分かる。決して、「即興的に」いい加減にテンポを変化させて演奏しているわけではないのだ。テンポが変わる場所には、何らかの理由がある。
ところで、交響曲第2番については、録音が3つだけ残っていて、演奏自体はどれもが素晴らしく、よくぞ残っていてくれたと思えるが、本来、良い音で聴けるはずのロンドンでのスタジオ録音は音のバランスが酷いのが残念である。決して音自体がぼやけているわけではなく、高音部ははっきりしているのだが、中音が余り聞こえなかったり、ティンパニの音がかなり遠く聞こえて自然なオーケストラの音には聞こえない。録音マイクに神経質になった巨匠がマイクの位置を変えさせたのが原因と言われている。LPで聞ける音は、78回転盤を不自然に繋ぎ合わせているという問題もある。
交響曲第2番
1945/1/28 ウィーンフィル ウィーン楽友協会(RRG収録)
1948/3/22-5 ロンドン・フィルハーモニー キングスウェイ・ホール(ロンドン)(Deccaスタジオ録音)
1952/5/7 ベルリンフィル ミュンヘン ドイツ博物館 (バイエルン放送収録)
この中で、フランクの交響曲と共に、大戦末期の最後の録音の一つとして残されたウィーンフィルとの演奏は、フルトヴェングラー自身が身の危険を感じてスイスに亡命する直前の演奏である。フランクのレコードVox PL-7230と同様に、仏フ協会AWF-7301は若干高めのピッチでテンポも速いカッティングなので、若干レコードの回転数を落とすと正常になる。ドイツ帝国放送のシュナップによるマグネットフォン録音で、当時としては音が良く、コンサートの記録としては十分に楽しめる。一番新しい1952年のベルリンフィルとのライブは、フルトヴェングラーの考えがよく伝わって来る録音状態で、3つの中では最も鑑賞に向いていて、模範的な演奏を聴くことができる。
ウィーンフィルとロンドンフィル、ベルリンフィルのライブを聴いてみると、第1楽章でティンパニを加筆しているのが分かる。
・第134小節~第136小節(ベルリンフィルのみ)
・第227小節~第229小節
・第233小節~第235小節
・第284小節のフォルテをピアノに変えて第296小節目から2小節に渡るクレッシェンド
交響曲第3番
1949/12/18 ベルリンフィル ベルリン ティタニア・パラスト (RIAS収録)
1954/04/27 ベルリンフィル ベルリン ティタニア・パラスト (RIAS収録)
1954/05/14 ベルリンフィル トリノ(Auditorium RAI di Torino)(RAI所蔵)
亡くなる直前の1954年に、フルトヴェングラーは盛んにこの交響曲を演奏していて、新たな模索をしていたかのように思える。3つのライブ録音の内、1954年のベルリンでのライブが最も音が良くて聴きやすいのだが、演奏自体は、1949年のライブの方が集中した迷いのない演奏だ。全く比類のない演奏である。大戦中の1944年10月にマグネットフォンによる放送録音の時に、この交響曲第3番を「ホールの大きさに合わない」という不可解な理由で曲目の変更を申し出たのは、もしかしたら、この曲に、演奏上で解決するべきなんらかの課題を感じていたのかもしれない。
1949年の演奏では、交響曲第2番のように、フルトヴェングラーがティンパニを加筆してドラマティックに演奏していたが、1954年の交響曲第3番の演奏では、第1楽章の提示部のリピートをせず、ティンパニの加筆をやめた。第4楽章第301小節から第304小節にかけてのヴァイオリンの旋律の補強は、1954年の2つの演奏でも行っている。最晩年の演奏では、若干、ゆったりとしたテンポで各楽器の音を十分に響かせながら、ティンパニの音量も落としているように聞こえる。1954年の演奏の方が録音が新しいせいか、録音状態が良くてはっきり聞こえるが、1949年の演奏は、より引き締まった演奏に聞こえる。バランスもテンポも全く問題が無いにもかかわらず、最晩年の演奏には、何かが上手く行っていないと感じるのは私だけであろうか。
1949年のベルリンフィルとのライブで確認できるティンパニの加筆部分は次の通りである。
第1楽章
・第192小節~第193小節
第4楽章
・第45小節~第47小節
・第74小節~第75小節
・第83小節~第87小節
・第186小節~第188小節
・第216小節~217小節
・第227小節~第229小節
指揮者やオーケストラが変われば、オーケストラの音色は変わる。ベートーヴェンやブラームスの時代に比べて、現在は、楽器は改良されて音は大きくなっているし、弦楽器の弦の材質も変わって音量などが大きく変わっている。そのような中で、指揮者が、実際に出てくる音を聴きながら、作曲家の伝えたい内容を明確にするためにオーケストレーションに手を加えることは、19世紀後半には普通に行われていた。それは、当時、まだ楽器の改良が続いていた時代でもある。晩年のフルトヴェングラーは、恐らくは苦手としていたと考えられる交響曲第3番について、再検討して理想とする形を探っていたように思えるが、残された録音を聴いてみると、自分のやりたいようにやった1949年の演奏の方が、ベルリンフィルとフルトヴェングラーの組み合わせで出るオーケストラの音で表現するこの作品の伝えたいことが伝わってて来るように思う。
交響曲第4番
1943/12/12-5 ベルリンフィル フィルハーモニー(RRG収録)
1948/10/22 ベルリンフィル ゲマインデハウス (SFB収録)
1948/10/24 ベルリンフィル ティタニア・パラスト(RIAS収録)
1949/6/10 ベルリンフィル ウィースバーデン(ヘッセン放送(フランクフルト)収録)
1950/8/15 ウィーンフィル ザルツブルク音楽祭 (米レミントンレコード・ドイツ・スタッフ収録)
ウィーンフィルとの初共演でも演奏した、フルトヴェングラーが得意にした曲である。最晩年の録音がないが、良い音で残されている幾つかの演奏では、ブラームスの神髄を聴くことができる。残念ながら、ウィーンフィルとの唯一の録音は、残っている中では、最も新しい演奏であるにもかかわらず音質が悪い。
一方で、ベルリンフィルとの演奏は、どれも素晴らしいし、ライブにもかかわらず、何れも録音状態も良い。最も古い1943年の大戦中ライブは、LPを通常通りの再生するとピッチが高くてテンポが速くなる問題があるので、正しいピッチに修正するために、若干、レコードの回転スピードを落とすと良い。そうすると、他のこの曲のテンポと似たようになる。それでも高音質のまま、起伏の激しい名演が楽しめる。
注目したいのが、1948年に放送録音された交響曲第4番である。テープに録音された唯一のセッション録音であり、放送局の手によるだけに、当時としては音質も良いが、商業録音ではなかったためか、LPが日本のプライベート盤でしか出たことがない。ファンからの情報を総合すると、日本のプライベート盤の音源は、元はといえば、フルトヴェングラー家所蔵テープからのコピーが、色々な経路から日本にもたらされてレコード化されたケースが多いようだ。その中でも、GCL-5004/5(2LP)は、音質面も含めると、「名盤」と呼べる優れたセットである。次の2曲が収められている。
・ブラームス:交響曲第1番 1947/8/13 ウィーンフィル ザルツブルク音楽祭(エアチェック(?) プライベート録音)
・ブラームス:交響曲第4番 1948/10/22 ベルリンフィル ゲマインデハウス (SFB放送録音)
交響曲第1番については、最晩年の落ち着いた演奏スタイルになる前の貴重な全曲録音である。放送録音された交響曲第4番は、録音日が近いRIASによるライブ録音がEMIからレコード化されたことがお蔵入りの原因と思われるが、よりリラックスした雰囲気の中で演奏されたのが分かる。恐らく、オリジナルテープにはもっと良い録音で残っているのであろうが、EMIから出たライブ録音とそれほど変わらない音質で楽しめる。
ブラームスは、バロックや古典派の手法を取り入れながらこの最後の交響曲を作曲したが、内容はロマン派であり、フルトヴェングラーは作品の構成に基づいた緻密で巧みにテンポを変化させている。これは、残された5つの演奏全てに当てはまる。ため息が出るように美しい第1楽章の最初の出だしについても、作曲家とほぼ同じ時代に生きた巨匠が、作品に深く共感して生まれた表現であろう。
写真:
´▲Εーンに現存するハイドンの最後の家。ここには、ハイドンの遺品と共に、ハイドンを敬愛したブラームスの遺品を集めた展示室がある。ブラームスの最後の家は、現存していないためである。
ブラームスの遺品
じ魘繕並2番 独ELECTROLA 1C049-01532M
ジ魘繕並3番 仏FALP 543
Ω魘繕並4番 独ELECTROLA E 90995
Л┯魘繕並1番と第4番 日プライベート GCL-5004/5(2LP)