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ブラームスについては、フルトヴェングラーによって記されたものが割とたくさんある。当時のブラームスがどのように人々に受け止められたか、また、フルトヴェングラーによってブラームスの音楽がどう捉えられていたかが分かると同時に、我々がブラームスをどう聴くかの参考にもなる。『フルトヴェングラーの手記』(芦津 丈夫・石井 不二雄訳 白水社)には、次のような事が書かれている。

1932年
「ブラームスは生存中から誤解され、軽視され、取るに足らない作曲家と評されていましたが、それはいささかも彼に被害をもたらすことはありませんでした。被害を――もちろん往々にして致命的なほどまで――もたらしたものは粗悪な演奏にほかなりません。」
*宛先人不明の手紙の下書き。

1936年
「厳格な古典的芸術作品が、最終的には、かつてそれを真に体験した者にとって、すべてのスラヴやラテンの作品、一見はるかに色彩と生気に富む作品に対して優位を占めていることは注目に値する。ここにブラームスの神秘的な、すべてに反抗する力、生きた関連の深みに発する力がある。」

1937年
「ブラームス
 ある特定の方向に向かう現代のコンサート聴衆のためだけでなく、人間すべてのためのもの。人間は今日、確かに五十年ないし百年前とは異なったものになっている。だが人間は依然として人間である。ここに人間の中心点、彼の存在と力の根源がある。各時代の隠語が――それはある一つの秘密共同体においてのみ認識を容易にし、それだけにその他一切のものを遠ざける――ブラームスを親しみやすく、分かりやすくしているのではない。彼は、行為の真の巨人として世界全体に、自己の時代に対抗している。しかも今日、最もよく演奏される作曲家となっている。」

1939年
「ブラームスは――彼の音楽の演奏回数、普及度と人気に関して言えば――ヴァーグナーとヴェルディに並んで十九世紀後半の三番目の偉大な音楽的世界現象である。このことは、彼が流行のオペラではなく厳格な絶対音楽とリートを書いていただけに、なおさら注目に値することである。」

1942年
「有機的に――つまり自然そのものとひとしく――形成し得るという感情は、広く他のすべての感情の埋め合わせをする。不成功、生涯にわたる誤解や排斥、最も辛いことである人間との別離、これらの一切に対して、それは埋め合わせをする。そこには時代からの名状しがたい自由、自然や神のなかでの名状しがたい安らぎが存在する。もちろんブラームス以来、音楽でこれを実現した人は皆無であり、それ以前でもごく少数である。これこそ私の目標であり、おそらく若干の犠牲を払うに値する目標であろう。」

「ブラームスの場合、それぞれの小節が聴き手にこう言っているかのようだ。「私があなたのお気に召すかどうかは私の知ったことではありません。私はありのままの私であり、私は生きて、私自身の生命を楽しんでいるのです。」たとえばヴァーグナーの場合と、いかに異なることであろうか。」

1944年
「ブラームスの偉大さは彼の厳格さにある。彼の作品の一つ一つが、大小を問わず、可憐か悲劇的かを問わず、いわば鉄の締め金で結合されている。」


ブラームスの音楽が、次第に聴衆に受け入れられるようになったのは、フルトヴェングラーを含む優れた演奏家達が、ブラームスの作品に素晴らしさを感じて、真摯な姿勢で演奏に打ち込んだのが背景にあるであろう。また、フルトヴェングラーは、自分の交響曲を作曲するにあたって、ベートーヴェンとブラームスが成し遂げたような交響曲を作曲することが目標だったことが1942年の記述から読み取れる。交響曲と序曲については、アマチュア・オーケストラでも楽しむようになるまでに、一般に受け入れられてきているが、プロの世界では、巨匠が演奏したり、定期演奏会などで日頃の研鑽を披露する、最高傑作の交響曲群として考えられている。

フルトヴェングラーの演奏記録の中では、『悲劇的序曲』『大学祝典序曲』のような割とポピュラーな作品が比較的に若い頃にだけ演奏されていて、『ハイドンの主題による変奏曲』が生涯にわたって演奏されたのは、なぜであろうか。録音だけでも、次のように、たくさん残っている。しかも、録音状態も良いのが多い。


1943年12月12-15日 ベルリン・フィル 旧ベルリン・フィルハーモニー (RRG) ライヴ録音
1943年12月18日 ウィーン・フィル ウィーン楽友協会 (Electrola) スタジオ録音
1949年3月30日、4月2日 ウィーン・フィル ウィーン楽友協会(EMI) スタジオ録音
1950年6月20日 ベルリン・フィル ティタニア・パラスト (RIAS) ライヴ録音
1951年10月27日 北西ドイツ放送交響楽団 ハンブルク・ミュージックハレ (NDR) ライヴ録音
1952年1月27日 ウィーン・フィル ウィーン楽友協会 (ORF) ライヴ録音
1954年5月4日 ベルリン・フィル パリオペラ座 (ORTF) ライヴ録音

フルトヴェングラーが演奏会で取り上げたハイドン変奏曲を、ライブ録音が残されている時期からのシーズン毎の集計をまとめて見ると次のようになる。

1942年(10月)-1943年(8月)(1回)
1943年(9月)-1944年(9月)(8回)
1944年(10月)-1945年(2月)(0回)
1946年(4月)-1947年(8月)(1回)
1947年(9月)-1948年(8月)(2回)
1948年(9月)-1949年(8月)(0回)
1949年(9月)-1950年(8月)(14回)
1950年(9月)-1951年(8月)(1回)
1951年(9月)-1952年(6月)(4回)
1952年(11月)-1953年(8月)(0回)
1953年(9月)-1954年(8月)(8回)

同じ期間中の合計
・交響曲第1番(48回)
・交響曲第2番(48回)
・交響曲第3番(34回)
・交響曲第4番(29回)
・ハイドン変奏曲(39回)


当然、この曲はフルトヴェングラーのお気に入りの作品とみなして良いであろう。変奏で演奏される内容が、各楽器の活躍馬面があるなどのオーケストラ音楽としての面白味があって、なおかつ多様な音楽が盛り込まれているので、各楽器の持ち味を発揮させるフルトヴェングラーの実力が発揮できる作品と言える。

残されたライブ録音の中で、2つについては、次のように、「ブラームスの夕べ」、つまりブラームスだけで構成されたプログラム全体が録音で残されている。コンサートの記録を見てみると、同じ作曲家の作品だけで構成されたプログラムは、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスがあるが、それほど数は多くなく、録音が残されたのは幸運である。

<プログラム>
1943年12月12-15日 ベルリン・フィル 旧ベルリン・フィルハーモニー (RRG) ライヴ録音
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
・ブラームス:ピアノ協奏曲第2番(アドリアン・エッシュバッヒャー(Pf))
・ブラームス:交響曲第4番

1952年1月27日 ウィーン・フィル ウィーン楽友協会 (ORF) ライヴ録音
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
・ブラームス:ヴァイオリン、チェロとオーケストラのための協奏曲
(ウィリ・ボスコフスキー(Vn)エマニュエル・ブラベッツ(Vc))
・ブラームス:交響曲第1番

ブラームスの世界へと誘う最初の作品に、何れも、序曲ではなく、「ハイドン変奏曲」が選ばれている。一つのテーマが多様な内容を表現しながら発展していく様子が、明るいか暗いかが余りにもはっきりしている二つの序曲よりも、変奏しながら交響的な面白さを少しずつ聴衆に聴かせられる「ハイドン変奏曲」の方が、ずっとコンサートの開始の作品として相応しいと、巨匠が考えたのではないだろうか。

ウィーンフィルとの演奏は、管楽器が他のオーケストラとは違うこともあって、ベルリンフィルのとは違う楽しみがある。とりわけ、戦後の1952年の録音は素晴らしく、AltusのCD ALT077/8には、LPではバラバラになって発売されていたのがまとめられて、続いて演奏されたブラームスの二重協奏曲と交響曲第1番と共に、この日の演奏会のすべてを聴くことができる。Altusはウィーンフィルのアーカイブのオリジナル・テープを修復してCD化している。また、このブラームス・プログラムを含むLPセットまで出した。木管楽器の音を鮮明にとらえた録音は、楽友協会のステージ近くの座席で聴いたオーケストラの音を思い出させてくれる。まさに、オーケストラの楽器の音はこのようなバランスで聞こえた。LPでは、EMIのブラームス・管弦楽作品セットである独EMI 1C 149-53420~6Mに、この日に演奏された「ハイドン変奏曲」と二重奏曲が収められている。力強い音質で名演を堪能できる。「ハイドン変奏曲」について、ウィーンフィルの演奏で一番録音が良いのはこの録音で、一番のお薦めである。二重協奏曲は、まともな音質で聴ける唯一の録音である。続いて演奏された交響曲第1番は、この日に演奏された他の2曲よりも遅れてレコード化された。仏EMI 2701241は、他の2曲と同様に素晴らしい音質で楽しむことができる。国内盤では、日東芝EMI WF60021で二重協奏曲とハイドン変奏曲、WF60072で交響曲第1番を聴くことができる。つまり、2枚で演奏会全体を聴くことができるが、2枚両方を揃えて手に入れることは、今となってはかなり難しいだろう。

興味深いことに、ウィーンフィルとの最初の商業録音にハイドン変奏曲が選ばれた。フランス協会から出たSWF-7601/2では、2枚目の片面一杯にアウト・テイクスが収められていて、録音にあたって微妙に違うテンポでいろいろと試していたのがわかる。ウィーンフィルとの初めての演奏会でも、フルトヴェングラーは、ブラームスだけのプログラムでこの曲を選んだ。

●1922年3月25・26日 ウィーン楽友協会 ウィーン・フィル、ウィーン楽友協会合唱団
「ブラームス没後25周年記念演奏会」
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
・ブラームス:合唱と管弦楽のための『運命の歌』
・ブラームス:交響曲第4番

やはり、プログラムの最初の作品でハイドン変奏曲を選んでおり、巨匠が、かなり早くからこの作品がコンサートの開始に相応しいと考えていたことが分かる。

写真:
´↓フルトヴェングラーが始めてウィーンフィルに客演した「ブラームス没後25周年記念演奏会」のプログラムとチケット
きゥ屮蕁璽爛垢痢屮魯ぅ疋麒兪婉福廛侫薀鵐攻┣顱SWF-7601/2(2LP)共通ジャケットには、曲目などが記された発行部数が手書きで書かれたカードが入っている。
EMIのブラームス管弦楽曲セット独EMI 1C 149-53420~6M(7LP)
<セットの内容>
・ブラームス:交響曲第1番
(1947年11月17-20日  ウィーンフィル ウィーン楽友協会(EMIスタジオ録音))
・ブラームス:交響曲第2番
(1952年5月7日 ベルリンフィル ミュンヘン ドイツ博物館 (バイエルン放送収録))
・ブラームス:交響曲第3番
(1949年12月18日  ベルリンフィル ベルリン ティタニア・パラスト (RIAS収録))
・ブラームス:交響曲第4番
(1948年10月24日  ベルリンフィル ティタニア・パラスト(RIAS収録))
・ブラームス:ハンガリー舞曲第1番
(1949年3月30日 ウィーンフィル ウィーン楽友協会(EMIスタジオ録音))
・ブラームス:ハンガリー舞曲第3番
(1949年4月4日 ウィーンフィル ウィーン楽友協会(EMIスタジオ録音))
・ブラームス:ハンガリー舞曲第10番
(1949年4月4日 ウィーンフィル ウィーン楽友協会(EMIスタジオ録音))
・ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
(ユーディ・メニューイン(Vn))
(1949年10月7日 ルツェルン音楽祭管弦楽団 ルツェルン クンストハウス(EMIスタジオ録音))
・ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
(エドウィン・フィッシャー(Pf))
(1942年11月8日 ベルリンフィル 旧フィルハーモニー (RRG収録))
・ブラームス:二重協奏曲
(ウィリ・ボスコフスキー(Vn)エマニュエル・ブラベッツ(Vc))
(1952年1月27日 ウィーン・フィル ウィーン楽友協会 (ORF収録))
・ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
(1952年1月27日 ウィーン・フィル ウィーン楽友協会 (ORF収録))