こんにちはニコニコご無沙汰しております悲しい皆さんはどんな梅雨を過ごしていますでしょうか…?私はいろいろな理由で、泣きたい気持ちで仕事をしておりました不安

 ガーンガーンガーン真顔

 脳が焼けつくような炎症を実際に感じたのは人生初体験でした。つまり、ストレスがかかりすぎたようです。変な言い方ですが、希死念慮よりも静かな生々しい極限(能が全く働かないのに身体だけが生きている辛さ)に抗わず、身を委ねてして夜を過ごし昼を過ごしているうちに…


アラ。なんかもういっか。


台風一過。

仕事行こ。

という実感でした。

 私の脳内で何がどうして
どうなってるのか…
   人体の神秘。
   脅威の小宇宙。

そして
仕事を注意深く。
しかしそんな自分に違和感。

職場でパニックになり泣き出すのを堪えながら、無理やり不自然に笑い。

ドヨン。

とした梅雨の空の日。私の精神もドヨン。

と。

前方から誰かが泣いていました。見るとランドセルをしょった男児。私は一瞬、
(アタマまっ白 思考停止)
次の瞬間、彼に声かけしました。
『近所のおばさんだけど心配しないでね、…泣いてるね…辛いね…どこか痛い?…おうちに誰かいてくれてる?』


 矢継ぎ早に尋ねられた彼は、私と視線をはっきり合わせてくれました。涙が絶え間なく流れ続けて。彼は全身で今、自分はすごく辛い…
みたいな感じにして泣き叫んでいました。

私は泣きたい気持ちがどこか吹き飛んで、母性的になった気になり、かがんだ彼を腰掛けるよう励まし、かいがいしく顔の涙や口もとをティッシュで拭き取りました。

 やがて男児のお母さんが来てくれて、彼は途端にしっかりした顔つきに。あとから知りましたが、弟さんがいるそうで、お母さんに甘えないタイプかも…とふと、彼のことを自分のことのように親近感が沸きました。



和食






 私も幼いころから、辛い時には母よりは周りに頼っていたものでした。
 弟や妹のために母の胸はあったから、私は泣くときは、小学生男児のように道端や公園で…


 あの頃の私は、家の外では泣いて泣いて、逆に家では普段通りを装おって大丈夫なふりをして。

 うつ病に倒れたときも同じいきさつ。

 今も私は、道端で歩きながらこっそりとしか泣けないおばさんになりました。

 家族に頼れない。
 弱みを打ち明けられない。
 そんな自分にどうやら私は
 ドヨン(虚無感)を感じた矢先に、小さな私と似た男児。
  
 

 今。
 こうしてブログを書いていて。泣きつかれたあとのように清々しい気持ちです泣き笑い愛飛び出すハート

 人と人は出逢いにより、これまで、またこれからも、どんな変化を遂げるものなのでしょうか…ちょっと不満

 私は誰にとっても、出逢いが良いようにはたらくような人生だといいなぁ目がハートと願っています指差しキューンキューン愛飛び出すハート

 うまくまとまったかは、自信がありませんが、最後までお読みいただき本当にありがとうございましたひらめきドキドキ