自分の意見を変更することを恥だと感じてしまう呪縛 | オカハセのブログ

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自分の気持ちの中で「あれ?俺間違っていた?」と気が付いているのに「前言撤回」出来なくて、その延長線上に行う争いは不毛な戦いでしかなくて全く意味がない。

そもそも前言撤回出来ない人が話し合いによって「私が間違っていました」ってなる事はほとんど無いので【ただただ自分の意見をゴリ押しで通す】だけのこと。

いや…もはや自分の意見ですら無くなっていて【自分を偽って争う】ことになるからひたすら不毛なだけで、議論に参加している皆んなの時間も奪っているし、その意見に真正面からぶつかってくれる人に対しても誠実さが無い。

実は世の中の人は「気が付いてるのに意見を変えられない人のほうが多い」ような気がする。


特に年配の人に、心の中で嫌味を込めて「○○さんは頑固ですね」というと「そうだよ、あたしゃ頑固だよ」ってドヤ顔されたりします。つまり「あなたは頑固」という言葉で褒められてると勘違いしているという…

正に「男たる者(女でも)、一度決めたことは最後まで変えるな!」とか「考えを変える優柔不断」というレッテルの、教育上の呪縛かも知れません。


「自分の考えが間違いだった」と気がつくのは成長だと思う。

だからそこで変えられないのは、とても勿体無い。





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