上手くなりたい?上手いと思われたい?この違い | オカハセのブログ

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なんの文化にも言えると思ってることですが。

【自分よりも上手い人が沢山入って来ないとその文化は盛り上がりづらい】と思います。

もしも自分よりも上手い人を寄せ付けずに守りに入るイベントごとは、往々にして内輪ノリの少し気持ち悪いものになりがちなものです。

音楽に関して言うのなら、音楽が大好きな人ほどそういう内輪ノリの音楽の場所は近づきたがらないもの。

なかなかに一生懸命にやってる割には、そういう部分が突き抜けて無い保守的な人は案外多いのがこの国かもしれません。

そういう姿勢だとどうしても、表面的に上手く聴こえる守りに入る演奏になってしまうんだと思う。

耳の肥えた人や、それとは逆に一般の人には、「上手いのかもしれないけど、なんだか面白くないなぁ」ってなるんですね。

「本当に上手くなりたい」というマインドと「多くの人から上手いと思われたい」というマインドは、全く別物。

むしろ逆方向なマインドだと思う。

本当に上手くなりたい人は「自分よりも上手い人が来てビビること」こそが大事なプロセスだと感じるから。


静岡県富士市富士岡南にある、富士山と東海道新幹線の名撮影スポットにて

〈本当に上手くなりたい人〉は「本当に上手くなるためには、失敗するかもしれないチャレンジこそ大事」と思うけど、〈多くの人から上手い人だと思われたい〉という人は「失敗するチャレンジしたら、色々なことがバレる」と考えて守りに入る。

後者は、典型的な日本人の思考。

多分日本人の大半はコッチかもしれない。

試合とかオリンピックとか見てても、スター選手がギリギリの賭けでプレイしたことが失敗した時、日本人の観衆は「あー」って声を出すけど、海外の人なんかはむしろ拍手する。【チャレンジする勇気に拍手する】のです。


子育てに置き換えても学校の教育に置き換えても、この違いは大きく子供の能力開花に影響すると思う。


日本は天才が生まれにくい教育体制かもしれません。


失敗すると周りがガッカリするだけならまだしも、下手すりゃ怒られるからさ





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