灰色の日常の中での大事な出会い《 自分史[69]》 | オカハセのブログ

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自分史に於いては、現在のリアルを書いてるわけではなくて、あくまでも[当時のリアル]を書いています。現在の自分から見るとナンセンスと思う考えであってもそれは当時感じていた心情ということで書くようにしています。なので現在の自分がここまでのネガティブな状況にあるかは全く別な話です。逆に現在のリアルだとしたらこんなにスラスラには書けません(作家さんなら書けるでしょうが。特に太宰治はむしろそういう時期に沢山書く、笑)。


今回の自分史は2002年前後の話になります。


数ヶ月に一度ライブを演りに通っていた茨城県日立市のドラマーの「田島さん」(仮名)に、電話で「かくかくしかじかでサックスを壊してしまいました。世話になってるお店で借りたサックスは手元にあるけど、今は休みたい気持ちもあってほとんど吹いてないし、それに処方薬の副作用で吹いてもロクな音が出ないので暫く茨城には行けないです」と伝えた。


クリスマスイブの日は。例の旭川方面の彼女がアパートに来た。

知らず知らずのうちに僕の中に溜まっていた彼女に対するストレスが、些細な彼女の自己中発言で爆発して怒り「もう帰れよ!」と言って部屋から追い出してしまった。おそらく彼女にしてみれば「イブの日なのに酷い仕打ちをされた」と取ったと思うし、当然と言えば当然だ。けど僕側の気持ちとしては「我慢の限界」だった。イブの日は我慢して穏やかに過ごして、後日に改めてちゃんと話し合いをしようという余裕もなかった。

そしてそれから二度程会ったが間もなく別れて、そのあとは二度と会うことはなくなった。

彼女がいなくなったら、保っていた理性的な箍も外れて、担当医には強い薬を処方されるようになり廃人化が進んでいった。前回の自分史で「アカシジア」が発症したと書いたのはこの頃のこと。


ある日の夜、ススキノ交差点前でヘロヘロな音(精神科の処方薬の副作用)でサックスを吹いていると、1人の女性が目の前に立ち止まって、酷い僕の演奏を真剣にきいていた。その頃の僕のサックスは絶対に人が立ち止まって聴くようなものとは思えないので不思議に思ったが、感覚的に彼女は僕の闇(病み)に気づいているようだった。


そして優しい笑顔で話しかけて来てマクドナルドに誘われてコーヒーを飲みながら話をした。

とは言っても僕は明らかに薬の副作用で喋り方や表情はまともじゃなかった筈なのだが、最初から分かっていて、おそらく「元気になるように励まそう」という気持ちだったのかもしれない。

彼女の名前は「サラ」(仮名)としておく。

サラは、こんな酷い音出してる僕の「好調時の演奏」をイメージ出来る鋭い感覚を持っている人なのかもしれないと想像する。何故なら謙遜ではなく、好調時の演奏と比べて見る影もない本当に酷い演奏に成り下がっていたのだから。

サラに連絡先を訊かれたが、これは逆ナンとかではないのは確かだった(明らかな症状が出てるキチ○イの僕をナンパする人もあまりいないはずだし…)。とても気持ちの真っ直ぐな人だから。

当時僕は電話が無かったので、住所とそれから歌声喫茶「トロイカ」の電話番号を教えておいた。


日々の暮らしぶりは、処方薬のせいで何をしてるのかよくわからないような日常だった。処方薬のおかげで悩むことも無い代わりに判断能力も低下していた。ボーッとしながらスーパーに行くと5回に一回くらい、特にすごく欲しいわけでもないチョコレートなどをポケットに入れて○引きしていた…
人として崩壊していた。

ある日、アパートに帰って来ると隣の夢ちゃんの部屋に1人の男が来ていた。仮名で「ケンヂ」としておく。しばらくはケンヂと親友と言える深いつきあいになった。


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