今日書く記事内容を、僕自身も年末年始にゆっくりと考えて内観しようと思っています。
大切な人が自ら命を絶った時、残された多くの人は、一度は。
①
「私(僕)のせいで亡くなったのかもしれない。きっと私(僕)が全て悪いんだ」
と考えてしまう場合がかなり多いと思う。
そしてそんな自分の心を守るために(人によっては最初から①を通過せずに)。
②
「きっとあの人のせいで亡くなったんだろう。アイツがあの時○○しなければこうはならなかった。アイツが全部悪い」と考えてしまう人も多いし、ほとんどの人は一度くらいはこの考えに陥るかもしれない。
僕も同じ。
でも実は亡くなった魂が報われるのは。
③
生前に関わった全ての人が、心が壊れない程度に(後悔ではなくて)少しだけ責任を感じる。そしてその責任を皆んなで共有することがいちばん良いのかもしれない。
もし【自分自身が、亡くなった魂だと仮定】して読んでみてください。
詳しく書きます。
①
生前関わっていた誰かが「私のせい僕のせいで亡くなったんだ」と気を病めば、自分自身が亡くなった魂ならばとても辛く無いですか?
②
またそれとは逆に、「きっとアイツのせいであの人は亡くなったんだ」と怒りをあらわにすれば、自分自身が亡くなった魂ならばとても辛く無いですか?
ましてやそこで争いなんかが起これば「自分が4んだせいでこんなことになってしまった…」って、とても申し訳ない気持ちになりますよね?
だいたいの人は【「自分を責めるのは良くない」と周りに言ってもらいながら立ち直ることが多い】はずですね。
だけど、中には②「きっとアイツのせい」と考えてしまう人も一定数いる、、。
いや殆どの人は一度①を感じてその次に②に行き②で感じる怒りを収めるために【「忘れる」「考えないようにする」】んじゃないかと思うのです。
だけど、それは自分が亡くなった魂になったつもりになってよくよく考えてみたほうが良いのかも知れない。
亡くなった魂に取って「忘れる」「考えないようにする」は決してベストな向き合い方では無いように思うのです。
だから
③
関わった全ての人が自分の心が酷く痛まない程度に「こうすれば良かったのかもしれない」と責任を感じ、関わった全ての人同士で【健康的にそういう会話をして共有するのが1番魂が報われる】のではないでしょうか?
もしも自分が亡くなった魂だとすれば、「自分のせいにして心を病んだり、誰かのせいにして争いをしたりされるよりも【ひとりひとりが誤魔化さずに少しずつ自分に責任を感じることによって、みんな自分のことを真剣に考えて話し合ってくれているんだ】と分かれば成仏出来るのかもしれないと思うのです。
亡くなった魂の冥福を祈るのなら、なるべく早く③の心のスタンスに行くことが良いのではないかと思います。そして③によってその人たちの結束が高まれば、亡くなった魂も本当に報われるんじゃないでしょうか?
これを、亡くなったあの人に関わった皆んなに伝えたいし、その中に既に気が付いてる人がいるなら発信して欲しい。
僕は亡くなったあの人に関連したFB友達登録を殆ど解除してしまったので、この文章は読んでもらえにくくなっております。
なんらかの形でこのアメーバブログのこの記事を、その人たちも読んでくれたら良いなと思っています。
因みに僕は、頭では③にならなければダメとわかっているのですが、今は②の段階だと言うことは否定できません。
だから年始の最初の15日間はメンタルを徹底的に休めることにしました。
そうしないとかなりヤバい状態なのが正直なところです。
死者を追いかけて行きそうな自分がいます。
でも必ず③になります。
時間は必要です。