開いてる窓から部屋に入って来た虫が、閉まってる窓ガラスに何度も何度もぶつかりながら外へ出られないという苦労?を長年しているうちに、実は薄っすらと開いてる窓が見える場合が人生にはある。
しかしその時に、喜んで直ぐにそこに行く人と行かない人がいるような気がする。
薄っすらと見えてるのに行かないのは矛盾しているように感じるかもしれないけど、いろんなことに置き換えて思い返すと心当たりがある人も多いと思う。
それは【「今まで自分がやってきた苦労はなんだったんだ…」という脳が誤動作した拘りの心理】のような気がする。
つまり悲劇の主人公をそこでやめると虚無感を感じるというマゾな状態に侵されてる。
そして【答えが本当は分かりかけているのに、未だにまだ同じことを繰り返している】という自分にも虚しさを感じる。
そうなると当然モチベーションは下がり、自分の行なっていることが急にとてもつまらなくなり、やがては【やめてしまう】。
なので。
あれほどエネルギッシュで元気だった人がある出来事を境にドロップアウトして、まわりも本人もまたエネルギッシュな頃に戻れると思いながらもなかなか戻って来れないのは、このような人生のドラマを愛するという深層心理から来るものかもしれない。
そしてもう1人のエネルギッシュだった筈の自分がそういう自分に呆れ返って、焦る… 悩む…
そのようなループから離れて、前向きな道を進むには先ず【自分はドラマの中にいる】と認識して「そんなゲームはもう終わりだ!」と心で宣言することだと思う。そして【今まで築いて来たことに拘らず「開いてる窓を見つけたら素直にそこに向かうこと」】だと思う。