曲が降りて来ない理由 | オカハセのブログ

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先月、コルトレーンの命日と同じ日(7月17日)に癌であの世に旅立ってしまった大切な友人…いや大切な兄というほうがふさわしい…に付いて少し書いてみる。

彼は東北の田舎町に生まれ死ぬまでそこに暮らしていた。
僕が彼に初めて会ったのは24歳頃。
もう30年近い昔だ。

彼はホンモノのロックギター弾き。
彼は手作りのライブハウスをやっていた。
その店で初めて彼のギターを聴いた時はあまりの凄さに開いた口が塞がらなかった。

彼の家族のこともあるからあまり詳しくは書けないのは残念だが…

とにかくそのギターサウンドは何かに取り憑かれたかのような集中力だった。
もうそのサウンドは当然聴くことは出来ないし、死ぬ前に会うことも出来なかった。

彼が亡くなったと訊いてからは、もともとだらしない生活習慣は更に酷くなった。
何事もやりっぱなしの中途半端に。

友人のライブも何個かすっぽかしたりした…
その友人達とは、もう今後の繋がりは切れてしまうのかもしれない。

ラインで繋がってるオカリナ友達のお陰で完全なひきこもりにはならずに済んでるのが幸い。
ネット社会も弊害ばかりではなく、逆にこのように孤独から解放されるというメリットもあると感謝した。

彼ならきっと僕に曲を降ろして来ると思ってたけど、そんな感覚は今のところ全く感じない。
多分それは僕が更にだらしない生活習慣だからだと思う。
何もしてない人間には何もやっては来ない。

これでもなんとか歯をくいしばって日々を過ごしてるけど、そんなものは甘えだ。

この生活態度なんとかしないと、自分はもう終わりそうな危機を癌じる。


長谷川孝二