【長文】ホームレス芸人オルカ | オカハセのブログ

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 前に4回に渡って投稿したオルカの記事を編集し長文を投稿。
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オルカは「ザ ノンフィクション」に10年以上前と1年前に出ました。「ザ ノンフィクション」の内容にはやらせはあまりないと思う。あの通りの人間です。最後にオルカに会ったのは、僕が40歳の時。それ以来彼とは会っていません。10年以上前の時の取材撮影期間はおそらく僕がオルカに最後に会った頃が含んでいると思います。おそらくTV局との約束なのでしょう。オルカの口からはTV出演を匂わせる話は一切ありませんでした。
この時の放送の直後、何年も彼は消息不明になりました。



初めてオルカと出会ったのは自転車の旅をやめてサックスを持って交通機関を使って旅をして数年経った頃(多分僕が26~7歳の頃)。数ヶ月故郷に帰って(北広島。札幌の隣り)旅を小休止していた時。パントマイムの@君から電話が来て「マイムの仕事で札幌に行くんだけど、長谷川さんのところに止めてもらえないかな?」と言う。「北広島は札幌から電車で30分でそこから歩いて30分くらいかかるところに住んでるけどそれでも構わないなら良いよ」とOKした。@君の札幌での仕事は1日だけだったけど3~4日泊まっていった。残りの2~3日は@君のパントマイムと僕のサックスでストリート(路上ライブ)。昼間は大通り公園夜はススキノ交差点でストリートをやった。大通り公園でやっていると見るからにホームレスないでたちのオルカが声をかけてきた「俺も夜はススキノ交差点で創作ダンスを踊ってる」と言ったこの頃オルカはパントマイムとかではなく、覆面をせずに創作ダンスをしていた。僕等は「夜はウチらもススキノ交差点でストリートやるから夜にまた会おう」と言う事になりました。
夜はウチらの道路向かいでオルカは踊っていた。僕はオルカの踊りを、「全然上手くないし、とてもカッコいいとは思えなかった」が、@君は見ている視点が違った。「彼は凄いよ!」と言う。多分感性の豊かな@君はオルカの内から湧き出るエネルギーみたいなモノを見ていたのだろう。
確か夜中の2時過ぎまで路上ライブをやってからオルカと@君と3人でロッテ○アで話しをした。その後@君は東京へ帰って行ったが、僕とオルカはことある毎にいっしょにコラボしたり、稼げた時は一緒に飲みにいったり(今よりもずっと景気が良かった)、北広島の家にも泊まりに来た。
彼がホームレス芸人になった経緯は「ザ ノンフィクション」の動画で説明してあるのでここでは省くが、社会不適合であることは間違いない。
彼はとにかく風呂にもほとんど入らない。彼に初めて出会った当時(24年くらい前)はバブルがハジけた直後ではあったけどまだまだ今に比べると良い景気だったので、風呂にも入れない様な稼ぎではない。酒で一晩の稼ぎを使ってしまうのだ。僕は「人前でパフォーマンスをするんだから芸人としてのマナーだろ。せめて公園の水で体を拭いて着替えるくらいはしたほうがいいぞ」と言ったけどあまり改善はされなかった
どちらにせよ彼と僕は同じ穴の狢と思っています。
ポジティブな言い方をすれば「ソウルメイト」なのだと思う。
ある時オルカは「ちょっと半月くらい、道内を旅しながらストリートやろうと思うんだけど、長谷川さん一緒に回らない?」というので、僕も回る事にした。
僕は釧路湿原に行きたかったので、それだけを希望して後はオルカのペースに合わせて回った。確か帯広市と釧路市に行ったと思う。釧路湿原の茅沼駅に野宿して午前中は丹頂鶴を眺めて、昼には茅沼温泉でゆっくりする。どっちもマイペースが好きなので、僕は先に札幌に帰りオルカは釧路だったか?にもう少し留まるという事に。その後彼は北見と旭川を回ったようだ。
そして冬がやって来る前に僕は南に向かってまた旅を始めた。
数年が過ぎる。
僕は29歳の時に、長旅が終わって青森市に在住していたのだが、32歳くらいの時に札幌に帰って来た。
僕は札幌市内にアパートを借りて、そこからストリートに通った。
再びオルカに再開した。
時々オルカをアパートに泊めて、近所の銭湯に連れて行ったりした。
ところで↑の10年前の動画の中でもでてくるが、サックスを全国の路上で吹いて来てつくづく思う事がある。札幌のススキノ辺りを歩いている若者たちは、全国の繁華街の中でも路上パフォーマンスに対しての露骨な嫌がらせする連中が特に多い。大阪とか博多とか熊本は気性は荒いけど、フレンドリーで礼儀がある若者が多かった。それに対して札幌はあの動画の様な「チャラいガキの冷やかし」が多い。人間としてサイテーだ。ダサい!
あまり地元を悪くは言いたくないが「世の中を舐めている」連中が結構いる。札幌の恥だと思ってる。
動画で「お前そんなに金欲しいの!」を見た時「いるいる。こういう奴多かったなぁ」と思ってしまう。
最初は僕はオルカみたいにホームレスになる事はないと思っていた、オルカも僕のことをそう見ていた様だった。ところが世の中の景気が悪くなっていってストリートの実入りが悪くなるに従い家賃が遅れがちになって行く。アルバイトをするが、どこも何故か続かずすぐにやめてしまう。やめたあとは疲れ切っていて何か月も次のバイトも探さないしストリートも怠けがちになる…
最終的には35歳くらいの時にアパートを夜逃げしてホームレスになる。結局僕もサックスを吹くホームレス芸人になる。気が付いたらオルカの仲間になっていた。

去年の2月28日にオルカのその後のことが放送されていたのを去年の秋に知った。

2016 年2月28日放送分の「ザ・ノンフィクション」は前半の半分くらいは前回分のあらすじでした。佐呂間の母親に会って別れるところまでです。
そして後半は前回放送されなかった「その後」から去年(2016年)の1月までの取材分です。
あの後、釧路で稼げずに1ヶ月も足止めを食ってしまったようです。その後札幌でホーレスの支援施設に入居するものの、約束を守れず自堕落になり施設を出ることになります。
それからパタリとオルカとは連絡が取れなくなり消息不明になったようです。
そしておそらく一昨年の暮れか去年の初めにオルカの従兄弟を通してオルカの消息がわかります。札幌に住んでいました。生活保護です。ここ10年の間どこで何をしていたのかと思うと胸が痛くなります。オルカの母親は6年前に胃癌で亡くなりました。兄弟から従兄弟を通して連絡が来ても母の死に立ち会わず葬儀にも出席しなかった。兄弟からはボロクソに言われます。「お母さんは兄貴のせいで死んだんだぞ」と責められ罪悪感で尚更オルカ自身が「俺は母親に会いに線香をあげに行く資格はない」と心を閉ざしてしまった。札幌のアパートの部屋の中は飲み切った合成酒の空のパックが山積みに…
僕が少しだけ安心したのは時々街に出て大道芸をやってることでした。それが無かったら廃人になってしまうから…  
今も廃人スレスレの境界だと思うけど。

とにかくオルカが生きてると知って安心した。
何度も彼が死んだという噂が流れてるから…
13〜4年前にもススキノ交差点で大道芸の最中に倒れて血を吐いて救急車で運ばれたという噂が流れた。
しかもその後「東札幌病院」で死んだという噂までまことしやかに流れた。
でもその後の10年くらい前に渋谷の駅前で偶然みかけた。ちょうど最初のザノンフィクションで代々木公園でオルカが生活していた時だ。
僕「お前、死んだって噂が流れてたんだよ」
オルカ「えっ!嫌だなぁ(笑)」
僕「死んだっていう噂は俺も信じたぞ〜」
「なんでまた?」
「いやお前は自覚してないだけでみんな『オルカは酒で身体がボロボロだ』と言ってる。だって相変わらず合成酒飲んでるんだろ?」
当時のオルカの寝ぐらの代々木公園で朝方まで話をして別れた。
多分その後にザノンフィクションの取材が始まったと思います。
その後札幌に帰ってきてからも何度か会いました。
それからは会って居ません。
ホームレスの支援施設に入居したけど稼ぎの半分を入れる約束を守らず酒で消えてしまうのが続き、結局年明け早々に路上生活に戻りそのあと連絡が途絶えたらしい。
支援施設を出る前の映像で「選んだ道だからしゃあない。ちゃんとした部屋借りてちゃんとした仕事付いて……そういう夢は見たけど…そんな夢ばっかり見る。できるわけないのに」と涙声になっていた。このオルカの言葉を聞いて「甘えてる」とか「怠けてる」とか言う人もいるだろう。「乞食は3日やるとやめられない」という言葉を一般の方達は信じてると思いますが、一体この言葉の出どころは何処からなんでしょうか?オルカが「できるわけない」夢を見る理由はホームレスが体力の限界に来てるからなのだ。甘えてるからホームレスになったのでは無くメンタル面での障害なのだ。だから、真っ当な生活が普通にできる人が「甘えてる」と考えるほどオルカの境遇は楽ではないのです。部屋借りて仕事に付いた上で休日にゴロゴロするほうがよっぽど【怠けられる(?)】のです。ホームレスが怠け者とは一概には言えず、むしろ【やれるものならまともな部屋とまともな仕事が務まるのならどんなにか楽だろう】と考えるホームレスは多いと思います。しかしそれでも母親の所へは帰らないということ自体がおそらくオルカの心の深い闇の部分なのだと思います。
オルカの場合「深い業」という言葉が一番しっくり来ます。
実は僕もオルカもそう変わらない。
ただ僕のほうが多少したたかで、オルカのパントマイムよりは多少上手なオカリナやサックスを吹くだけのことです。オルカは例え下手でも(ごめんよオルカ、笑)そのパントマイムで生きていくしか無い境遇なのです。だからオルカのパフォーマンスから何かを感じる人もいるのです…
10年経った現在オルカが生活保護者だと知り、正直なところ僕はかなり安心しています。彼は今まで社会不適合なのにもかかわらず上手いとは言えないパントマイムで「稼がなければならなかった」。
人間視点から見れば「働かざる者食うべからず」ですが、愛の視点から見ると「苦労して今まで生きて来たのだから少し身体を癒しなさい」ということではないかと思っています。「働かざる者、だけど食って良いんだよ」と。
個人の「苦労」と言うのは他人にもわかる場合があるけど、個人の「苦悩」というものは他人にはなかなかわからないものなのです。



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