サックス野郎❸《 自分史[31]》 | オカハセのブログ

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1992年から1993年頃の自分史。

フェリーで川崎に着き、正月は何年かぶりに浅草雷門の前で路上ライブをする。

この頃、毎日路上演奏の上がりで凌ぐのがちょっとしんどくなっていた。今から考えるとプチ鬱になっていた。それまでは結構気を張って強気で生意気だったのですが、自転車をやめて交通機関使って旅をするうちに体力が落ちてきたせいも関係あるのかもしれない。体力と比例するようにメンタルも弱くなって来ていました。

ベンチで拾ったスポーツ新聞の求人情報のページをみて、椎名町(池袋の近く)のペンキ屋に電話して、面接して、働き始めた。アパートは親方が借りてくれた。
ここの親方はジャズが好きだったせいもあり、割と気が合い、最初は楽しく仕事していた。

休みの前の晩は、池袋の駅の近くでサックスを吹いた。
ある時客のひとりが「池袋の駅や新宿駅でオカリナを吹いてる女の子がいる。裸足で踊りながら吹いてるんだけど、凄くいいから観てみるといいよ!」と言った。
今から思えばそれはホンヤミカコさんの事だろう。僕が27~28歳の頃なので1992~1993年頃です。
多分彼女が「station」というインディーズアルバムでデビューする少し前だと思います。
残念ながら僕はその頃、彼女の路上演奏をみかけることは1度もなかったけど、すぐ近くでお互いストリートをやっていたと思うと、凄くsympathyを感じる。


 《 ★ 》

ある晩、池袋でサックスを吹いていると「俺のバンドに入らないか」と誘った人物がいた。アマチュアのバンドだけどなかなか面白いバンドだったので加わることにした。
ペンキ屋のほうは、ひとりの職人と馬が合わなくなってストレスが溜まっっていた。
もともと幼少期から引っ込み思案ではっきり自分の意見を言えない人間だった僕が、サイクル野郎を始めた頃からはメンタルが強くなっていたはずなのに、この頃になると逆戻りしてきていた。ペンキ屋も気の合う親方がいなかったら職人にいじめられてもおかしくなかったと思います。

そしてもう一つ違うアマチュアのファンクバンドにも加わった。

ペンキ屋のほうは休みがちになり、やがて行かなくなってしまった…
最初は親方が心配して「飯でも食うか?」と部屋に訪ねに来て(滅茶滅茶良い人だったのです)いたのですが、そのうち居留守を使ってしまっていた…
家賃が払えなくなったので、志木市駅前のパチンコ屋で寮に住み込みで働き始めた。

パチンコ屋では、嫌な虐めや無視を受けて(その後今に至るまでの間には、そのパチンコ屋の虐めなんて屁でもないくらいの虐めを沢山受けましたが)しんどくなってしまい、バンドには事情を話して、パチンコ屋のほうは殆んどクビのような辞め方で、電車で北上します。

そして青森県の上北町(三沢の近く)にいるカリスマロックギタリストの「隼人(仮名)」さんhttp://s.ameblo.jp/ocahase/entry-12094827241.html?frm=themeの所に転がり込む事になります。












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