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駐ドイツ中国人外交官の「ウイグル人狩り」

BBC中文網によると、ドイツの週刊誌シュピーゲルが中国人外交官のミュンヘンでのスパイ活動について報じているらしい。ドイツ在住のウイグル人情報を収集し、数回ドイツ政府の防諜組織に拘束されたという。

亡命ウイグル人組織の世界ウイグル会議が、主席のラビア・カーディル女史がアメリカ在住なのになぜかミュンヘンに本部を置いているのは、明らかにトルコ系住民の支援を得やすいからだろう。ドイツ国内の海外からの移住者675万人のうち、トルコ系は25%にあたる173万人を占める(2006年)。ボンやベルリンでなく商都ミュンヘンに本部を置くのも、労働力としての移民が多く住むからだと推測できる。

ドイツでトルコ移民が急増したのは、ベルリンの壁が1961年に造られて東独から西独への労働力の移動が制限されるようになったのがきっかけだった。同じ年、西ドイツとトルコの間で初の移民労働力受け入れ協定が結ばれている。

BBCによると、シュピーゲルは(まだるっこしいが、シュピーゲルが記事をウェブにアップしていないので)「多くのトルコ系住民がドイツ社会の中心に入り込んでいる。主要政党はいずれもトルコ人党員を抱えており、ドイツ政治は非ドイツ系住民最大勢力の基本利益を考慮せざるを得なくなっている」と書いている。

数年前に起きたこの「事件」をシュピーゲルが今になって突然掲載するのは、トルコ系住民の存在もあるが、背景にはドイツ国内での「反中」「嫌中」感情の高まりがあるだろう。シュピーゲルは2007年8月27日号でも「中国系移民や中国人留学生が『黄色間諜(セックススパイ)』としてドイツの産業情報を盗み出している」という記事を掲載している。

何がスパイで何がスパイでないか、という「モノサシ」は時と場合(そして何より取り締まる側の必要性)によって簡単に変化する。何も中国だけが偏見の目で見られている、と言っているわけではない。それを最も如実に現しているのが最近のリオ・ティント事件だ。

スパイだけでなく、「民族自決」や「人権」だって必ずしも絶対的なモノサシではありえない。ウイグル人自身の民族意識とは別に、中華人民共和国の「侵略」以前の東トルキスタン独立運動は、新疆および満蒙、中国への影響力拡大を目指すソ連の思惑に多大な影響を受けていたし、「人権オバサン」のペロシ米下院議長が今回のウイグル騒乱で沈黙しているのは、最終的な漢族とウイグル人の死者の比率が不明だからというわけではないだろう。

通説とは異なるが、現実の世界秩序においては「法治主義>法の支配」なのだろうか?

ウイグル騒乱:亜洲週刊の「変節」

11日夜、新華社が「新彊ウイグル自治区で起きた騒乱の死者数は184人、うち漢族が137人、ウイグル人は46人」と報じたらしい(らしい、というのは新華網の中文版でも英語版でもこのニュースを確認できなかったため)。

184人がウルムチで起きた暴動の犠牲者数だとすれば、死者に占める漢族の割合(74%)は、ウルムチの人口における漢族の比率(75%)に極めて近い。一方のウイグル人の13%は人口比率(25%)からいうと少ない。自分が情報を「発表」できる立場になったつもりで考えると、漢族の数字を目一杯増やしたのはいいとして、なぜ、ウイグル人の数字を半分にしたのか。その「半分」の根拠が今ひとつはっきりしない。「下限」ということなのでしょうか?

とはいえ、こういった数字も「途中経過」として忘れられることになるだろう。最新号の「亜洲週刊」が、内部情報をニュースソースとして「死者数は380人以上」と伝えているからだ。

亜洲週刊は1987年創刊の香港の総合ニュース雑誌で、独自取材による特ダネと中共政権を臆せず批判するその論調で、大陸の南方日報グループとともに優れた中国語メディアの存在と、中国人の良識を世界に知らしめてきた。その亜洲週刊が最新号で、「新彊で100余人の漢族が殺され、西側メディアが誤報を続ける悲劇」というウイグル特集を組んでいる。びっくりした。

記事はまず、7月5日のウイグル人デモ当日にウルムチで起きたことをかなり詳細に報じている。極めて簡単に言うと、「ウイグル人の一部が暴徒化し漢族を襲った」という内容である。基本的には中国政府の主張に近く、返す刀で漢族(と中国政府)を虐殺者視しているFT、ロイター、BBC、NYタイムス、APといった西側主流メディア(みな中国取材に定評のある一流どころばかりだ)を、その社名と記事の内容を列挙して批判している。

先月の「六四」20周年でも、亜洲週刊はこういった西側メディアと歩調を合わせるように中国政府を批判する特集を何週にも渡って掲載した。昨年のチベット騒乱報道も基本的にはニュートラルな姿勢だった(ダライ・ラマ14世のインタビューも掲載している)。その亜洲週刊が今回の事態ではこれまでとうって変わって西側メディアと対決しようとしているのは、いかなる訳か。

亜洲週刊の言う通り、今回の事態は中国政府が言っていることが正しいのかもしれない。そうであれば、亜洲週刊という「物差し」は一貫してブレていないことになる。この雑誌のこれまでの軌跡をみるに、そうであってほしいと信じたくもなるが、逆に亜洲週刊という「物差し」が変質した可能性はないか。

中国政府と関係の深いあの李嘉誠率いるTom.comが2001年に亜洲週刊の株式の5割取得を宣言して買収を始めたが、それもうまく行かず結局親会社の明報集団が06年には買い戻したらしい。

亜洲週刊の編集諸子の大半は自由なメディア人であると同時に、中国人でもある(より正確には漢族だが)。これまでも時折「中国人アイデンティティ」が吹き出すことはあった。だが、これまではある程度メディア人としての抑制が効いていたのが、今回は完全にたがが外れている気がする。

「民族衝突」と言ってしまうのはあまりにも簡単だろう。もちろん、異民族同士がヒートアップすることは往々にしてある。だが少なくとも「大所高所」から冷静に判断できる能力があるからこそ、メディア人はメシが喰える。西側メディアが偏向しているなら、なぜ偏向するか分析するのが仕事なはずだ。ああ、あんなに好きだったメディアを非難しないといけないなんて!(今週号の編集方針は部数のためではないと思う。何となく)。

「中国政府によるウイグル人虐殺」なのか

今さらながら、ハンチントン博士の「文明の衝突」は名著だと思う。冷戦が終わったばかりの1993年(エリツィンが保守派の立てこもった連邦議会ビルを戦車で砲撃し、自民党が初めて下野した年だ)に書かれ、その後に起こる西欧の衰退とイスラムとアジアの勃興をおおむね正確に言い当てている(文明域地図で新疆を中国に入れているのは違うと思うけど)。

今回ウイグルで起きた事態も、この「教科書」に沿って考えればそれほど複雑ではない。博士が存命ならきっと、「中国文明域とイスラム文明域の間で起きたフォルト・ライン(断層線)戦争に他ならない」とフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿しただろう。

言い換えれば、「アジアvs.イスラム」戦争ということだ。それまで対西欧というベクトルを向いていたイスラムの矛先が、「(いろんな意味での)成長兄弟」であるアジアの方を向いた。経済格差とか差別とか中国語の強要とか、今取りざたされているのは表面的な出来事にすぎず、本質はあくまで中国アイデンティティvs.イスラムアイデンティティという「文明の衝突」である(イスラム圏にほとんどまとまりがないのは今回も相変わらずだが)。

当事者を除く「ギャラリー」たち(特にアメリカ政府)が今回わりに事態を静観しているのは、相手がイスラムであることもあるが、昨春のチベット騒乱と違って「強権的な中国共産党政府vs.ウイグル人の市民」という構図にすっきりはまらないことが原因だろう。漏れ伝わるニュースを聞くかぎり、あくまで中心は「漢族vs.ウイグル人」のバトルロワイヤルであり、武装警察が漢族の尻馬に乗って積極的にウイグル人を攻撃している、という情報は少なくとも当事者以外からは出ていないはずだ(もちろん中国政府に不利な情報が中国からすんなり流れ出るとは思わない)。

漢族によるウイグル人差別はあろうし、「二等市民」扱いを受け続けているウイグル人たちの憤懣やるかたない気持ちも分かる。しかし、広義に差別されているという話と、「中国政府がウイグル人を虐殺した」と言うことは別だろう。

今思えば2005年の反日デモも、明らかに日本文明域vs.中国文明域というフォルト・ライン戦争だった。ハンチントンは「文明の衝突」で、フォルト・ライン戦争は「一時的には完全に収まるが永久に終わることはめったにない」と書いている。一時的にでも収束させるためには、「当事者がこれ以上(死や破壊に)我慢できなくなる」「第一次レベル以外の当事者が介入して戦闘を終わらせることに利害と影響力をもつ」という二つの条件を満たす必要がある。

さて、独立した一つの文明域と認められるわが日本はどうすべきか。あくまで第一次レベルの当事者にとどまるか、「利害と影響力」をもつ第二、第三次レベルの当事者になるのか。「当事者」サマはやっと重い腰を上げたようですが。