最近よく思うんだよ、ハニー。民主党はチェンジチェンジと、グルポッポー政権を誕生させて、自民党は解党的出直し、って。なんにしろ、私が勝手に民主党ショック、って名付けたぐらい、驚きの連続で過ぎた一週間。こうなると一番驚くのは、麻生さんが首相になることだな(笑)。え?って思う間に自民党が解体して、麻生さんが民主党に入って、いろいろと工作して麻生さんの続投で、って事で。そうなると誰もがビックリするだろうし、私は一生民主党支持に廻る。
さて、土曜日の夜はNHK。ドラマ「再生の町」そして「ワンダー×ワンダー」夜更けに「佐野元春のソング・ライターズ」。ところでサ、のりピーショック以来、どの女性芸能人を見ても、あぁ、いつかは覚醒剤で捕まるんだろうな、って思っちゃうんだよね。あのイメージであの結果、となると最右翼は牧瀬里穂。のりピーにはさほど何も感じなかったが、牧瀬嬢が出てきた時にはもう、鼻水が脳天から吹き出る勢いで。でも、いつかああなるんだろうな、っていう目でしか見られなくなったのはちょっと悲しい。
なんて事を言いたいのではなくて、ソング・ライターズ。これは毎回ゲストが奮っている。只今40代以降の人達には、太股がちぎれて落ちる程嬉しい企画ではないでしょうか?今週、来週のゲストは矢野顕子。未だ見てない人は、ぜひ再放送を。
ちょうど80年代前半というと、私は中学生。ちょうど音楽っていうモノに触れ始めた頃です。それまでは漫画(当時はアニメって言ってなかった)とかウルトラマンとかしか興味がなかったのが、YMOの出現で脳天をうち砕かれまして、そのうちラジオで海の向こうのヒットチャートを追いかけるようになり、いつしかギターを手にして今に至るのね。
今思うと、一番音楽を純粋に楽しんでいた頃かな、なんて思うのね。未だ自分で演奏、なんていうことは夢だったし、憧れはあっても曲を作るとか、そういうのは想像すらしてなかった。だから音楽の楽しみ、ってもっぱら聴くことだったのね。
もちろん思春期で鼻血を大量に垂れ流していた頃ですから、想像力も今よりも数段豊かで、夢と現実の境を曖昧にしていたような気がする。そのシチュエーションに音楽はとてもカラフルな彩りを添えてくれていて、今考えるととてもロマンチックな音楽ばっかり聴いていました。
ざっと上げてみると、大瀧詠一、杉真理、山本達彦、そして、矢野顕子、佐野元春。洋楽でも、ロックしているモノよりは、もっとAOR的なモノに惹かれていたような気がする。
以前にも一度お話しした通り、矢野顕子、佐野元春、っていうのはエレクラを始めてからも、ずっと追いかけていたアーティストで、どちらも初期の頃にカバーしました。だから、最初の話に戻るけど、今回のソング・ライターズはゴールデン・カードなのね。
私の音楽遍歴をエレクラでひとつの到達点とすると、中学生の頃のリスナー時代から、高校に入ってからの演奏時代、そしてエレクラ最初期の理論時代、という具合にいくつかに分けられるのね。で、今思うと、一番歌詞、っていうモノに惹かれていたのは、やっぱりリスナー時代だと思うのね。
だから、と言うわけでもないけど、やっぱり日本語しかわからないから、日本のアーティストにばっかり興味が行ってしまっている。さっきも言ったように、共感の最初のとば口がやっぱり言葉、だったのね。ちなみに今は、CD買っても解説文はおろか、歌詞カードすら読まないことが多い。ただ、聴くだけ。それが好いことなのか、悪いことなのか。
一度、矢野顕子は「ごはんができたよ」を姫に聴かせたことがあって、それからもわかるように、エレクラのカラーリングとして、けっこう重要なポイントだと私は思っているのね。今はそうでもないけど、一時期、希望の見えにくい時代に、希望を探し回る、というのをひとつのテーマみたいにしていた頃があって。その希望の原点に、矢野顕子が居る、というような気が、件のソング・ライターズを見ていて思ったのよ。
それはなにより、「あしたこそ、あなた」っていう曲があって、これがね、私の中でも絶対に追いつけない曲、っていう事になってしまっているのね。
お金持ちに所帯持ち
街を流れる後ろ姿よ
こころもち いいきもち
もうすぐ 着くわわたしの家
最初、ソングライターズを見て、この曲がパッと浮かんで、でも番組では取り上げられないだろうな、って思ったのね。それはてっきりこの歌詞って、その頃一番よく組んでいた糸井重里氏の歌詞だと思っていたからなのね。でも調べてみたらちゃんと矢野顕子作詞になっていた。
正直者に 浮気者
わたしの肩に ふれてく風よ
こわれものは この心
笑い声さえ いつか消える
世相的にね、今はけっこう苦しい時代じゃない?これは別の機会にじっくり話そうと思うんだけど、政権交替、って民主党に代わったとしても、何も基本的な所は代わらなくて、やっぱり何処かに歪みを寄せて我慢してください、という方針は変わらないと思うのよ。新しいモノへの不安と期待、その向こうにある漠然とした失望感というのは、今に始まったわけではないけど、ずっと時代の空気としてたゆたっていると思うのね。
そういう空気の中にあって、やっぱり人は希望を食べてないと生きていけないと思うわけ。いつもお腹を空かして入るんだけど。そういう感じというか、感触というか、この曲とシンクロするような気がするのね。
あしたこそ 会えるかしら
まだ見ぬあなた ほほえんで
あしたこそ、あなた 矢野顕子 (1981)
前にご紹介した「ただいま。」もそうなんだけど、何処か切ないんだよね。それはちょっと希望っていうモノに、暗い影を落とすんだよ。だけどそれが無くちゃ生きていけないわけだし。この曲が切なく、そして心に染み入れば染みいる程、今っていう状況を、省みらずにはいられないんだよね。
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なんてね、たまには音楽の話をしていないとおまえは一体何者でエレクラって革命戦士なの?なんて思われるかもね、って言ってみました。毎度、いろんなブロガーの方の愛情には感服させられます。ワガママ気ままのブログご紹介企画だったんですけどね、トラブルもなく無事そぞろ。これからのご愛顧もよろしく、って事で。
それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。