裁判員制度 | ELECTRIC BANANA BLOG

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しまさんの独り言、なんてね。ハニー。
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星群だよ、ハニー。ほら、外を見てごらん、この世のわりかってぐらい星が降っているよ。って、です。今、ペルセウス座流星群の大日だそうで。一時間に30個ぐらいられるとか、見られないとか。下弦の月が出ていますが、一晩中屋根にっ転がっていれば一個ぐらいは見られるんじゃないの?

 

さて、そういうわけで、これからいで屋根に登らないといけないので、本日はササッと。

テレビが壊れていたこのの一週間。その話は昨日もちょっとしたし、くわしくは明日するけど、何せ報が手軽には入ってこない状況で。それなのに世間は大ぎで、中でも裁判員制度による初の裁判があったのね。また、今日も二例目の判決がたみたいで。

 

今日はササッと行くので、結論から言っちゃうけど、私はこの裁判員制度、制度自体は大成です。細かいことにいろいろと問題はあるかもしれないけど、一般人が裁判というモノに加するというのはとても好いことだと思います。私が絶対に裁判員に選ばれないから責任に言っているんじゃないよ。良識家の一般人の皆さんは、どんどん裁判に参加して、どんどん死刑やら懲役刑に犯罪者を送って、地獄の業火に落とし込んでやってください。

 

裁判っていうのは、正な場、という絶対原則がある。それはどういうことかというと、そこには害者がいて、害者がいるってこと。その両者を等に見て、どっちが悪いか、どれぐらい悪いかを判断する場所だと思うのね。

そこになんの知識も経験もない人間をり込むということは、先入観がない、という一点に尽きると思うのね。そこにい罪を、という検察が言いたいこと言って、刑を、という弁護士が言いたいことを言う。どれをって、どれをてるか。そこにがあるのかどうか、いろいろと判断をしないといけないと思うのね。そこに前例ではどう、とか、この間こういうコトがあったからまぁ今回はコレぐらいで行くか、とかがらみとかいろいろ。そういうのを除出来るというのは進歩だと思う。

 

でも、いざ裁判員になっちゃったら、誰かの罪を定しなきゃいけないわけだから、それは逆に言うと、その人そのものの資質を問われると思うのね。決断力のない人は、まずはポイルされるだろうし、その決断に自分がどれぐらいの志を持って下せるかっていう、自分に対する自信みたいなモノを意識させられると思うのね。

のない人に、重い罰を与えるわけにはいかないし、罪のある人に軽いを示すわけにもいかない。そもそも間が罪に対して罰を下すって、なんなんだ?というところまできっと話は至るはず。

 

そこで必ず沸き起こってくるのが、意識の化だと思うんだ。私は常々このブログで、被害者意識を捨てろ、加害者意識を持って事に当たれ、と言いけてきたけど、そういう道がね、見えてきたような気がするのね。

まぁ、一番分かり易い例で言うならね、裁判員は合議の結果、刑です、っていう判断を下すこともこれから必ずあると思うのね。つまりなんの知識もなんの関わりもない人が、裁判員に選ばれた、というじ運だけで、人の生殺与奪に関わるってことなのね。

それは制度とか、多数決による合意とかで、下した判決を証してくれるだろう。でも、確実にその裁判に関わった人は、誰かをすことになるんだよね。人の生き死にを下す決断に、どれだけの人が絶対的念を持っていられるだろうか?そこまで極端でなくても、悔をしないということはないだろうか?

 

それが訓練されるのが、常だと思うのね。単なトレーニング、今自分がある状況は、他人のせいか?自分のせいか?制度のせいか?それとも自分が選んだ結果なのか?そこをとことんまでき詰めて考えてみる、ということで見えてくるものがきっとあると思う。

 

裁判員制度導入を見るように、自分たちがんだ政治家達が形作ろうとする国の形というのは、つまりは体的に国を動かす、という方向にどんどんシフトしていっている。小泉構造改革が示したのは、そういう国の形であるし、遠い世界の話と思っているかもしれないけど、日本という国がえている外交問題、憲法改正の問題は、全部主体的に行動する、という解決の道を進めている。

それはとりもなおさず、主権者たる国民一人一人が、自分のことは自分で決する、少なくとも他人のせいにはしない、というい国民を目指しているということだと思うのね。

 

ただ、それは、きっといつかポキロリッとれてしまう。しなりのある竹はなかなか割れないけど、鋼はトレスに簡単に折れてしまう。そういうことがいつかこる。そして、それはすでに格差社会とか、そういう形で置いてけぼりを喰らう、という形で実に現れ始めているのね。

またしてもそれを、政治家が悪いとか、い出す人がいる。うじゃないでしょ?選挙でんだあなたが悪いんでしょ?選挙にかなかったあなたが悪いんでしょ?

 

裁判員にはなりたくねぇ、という人が多いのは、結局そういう事への発だと思うのね。ただなんとなくイヤだから、という感じだけなら、さっさと裁判員になってりこめられられればいいんだよ。それが嫌なら今すぐ、動を起こすべきだと思うね。

 

私がもし、裁判員になったら、わず死刑()。もしくは刑通り。なんなら求刑よりい罪を出しちゃう。そういう裁判官も実にいるんだよ。だから、私は対に選ばれないのね。

 

なんてね、今日は歯医者だったんだけどついにた子を起こされて痛んでもないところが痛み出して往生してるよ、って言ってみました。まぁ、加害者意識をもっと持つべきという主張は大きなトレスを産むんだけど、もうそうじゃなきゃ人間はやっていけないんじゃないかなぁ、と思うのね。人間同士の係ならまだしも、人間と地球とか、環境とかの関係からすると、人間がきている限り、何らかの害を与えているというのは現実問題だからね。もうげられないところまで来ている。だから私はうだけ言ってげ続けるのね、って事で。

 

それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。