一件落着だよ、ハニー。なんかね、処分保留で、夜に記者会見して終わりって、なんだかね。私の立場が立場だけに、言葉を選ばないとはいけないと思うんだけど、納得出来ないよなぁ。こうなると、SMAPで良かったね、としか言いようがないな。このあとの展開というか、結局仲間がいて良かったね、っていう感じで醜態が美談に変わっていく、変な道も見えてくるし。なんか、イヤだな。
まぁ、あまり他人の悪口を言うのは不健全なんだけど、たいしてネタもございませんので、つらつらと今日一日の話などを。
と言いながら、早速昨日の話になるんだけど(笑)、ケンさんのブログで、親鸞の話が出ててね。ちょうどこの間、親鸞の本を読み終わったところなので、なんとなくのシンクロ感にちょっと感動。とても刺激的な内容だったしね。
そういえばちょうど一年前の今日、四国をぐるっと一周して、結願したんだよね。それをきっかけに空海の世界観に興味を持って、約1年、あちこちフラフラとしながら、今はなんとなく、一区切り着いたような感じがしているのね。
今感じるのは、冒頭の事件の話にも繋がるんだけど、日本の政治、文化、何よりその根底をなす道徳観というモノが、仏教の影響を多大に受けている、ということなんだよね。いろんな本を読んで、けっこう教典のディープな話の本もあったりしたんだけど、そこで私は常に、常識っていうものと対峙したような気がするのね。
この一年の間でも、醜聞美談様々あったんだけど、人が感じる好い悪いの基準が、仏教の教えの中にちゃんと書かれてある。なんだ当たり前のことを言っているんだな、なんて思うこともしばしば。パッと見ると難しそうな文章が並んでいるんだけど、かみ砕いてみてみると、なんだ道徳観の羅列だな、と。
その大きな流れも、人の心と深く関わってくるんだよね。元々の仏教は、世俗と離れて修行に身を投じる人のみが、救われると説くモノだったのが、イヤ、そんなにしんどいコトしなくても救われる方法があるんじゃないか、なんていう風にどんどん教典が読み替えられてきたんだよね。そして、親鸞の説く浄土真宗に辿り着くと思うんだ。
空海が示したのは、可能性だと思うんだ。誰にでも、成仏できる資格はある。あとは気づくか気づかないだけだ、というのを説いたんだと思うんだよね。それが広まるにつれて、親鸞の世になると、念仏を唱えるだけで、成仏できる、と。別に仏教に書かれている道徳から外れても、念仏さえ唱えれば苦しみのない、幸せの世界に向かうことが出来る。まぁ、詳しく言うと、そうではないんだけど、民衆への浸透、という視点から見ると、そういう流れになるんだと思うんだよね。
つまり、めんどくさいことをどんどん排除していったんだと思うんだ。成仏、ということが仏教のゴールだとすると、その道筋が随分とお手軽なショートカットを求めていったと思うんだよね。こういう流れって、他の分野でも強く働いていて、お手軽に簡単に複雑な作業を見えなくする、もしくはそれを感じさせ無いというのは、今ちまたにまさに溢れていると思うんだよ。
その流れっていうのは簡単に言うと、めんどくさいの反対側、っていうことだと思うんだ。欲望の赴くままに流れていく、それを認めるって事だと思うんだよ。しんどい思いをしたくない方向っていうのかな。好き勝手にやっても困難な道を選んでも、ゴールは一緒。だったら好き勝手にやった方がいいんじゃなの?というのがいわゆる時代の流れなんだと思うんだよね。
それは一言で言い表すなら、堕落、だといわれると思うのね。でも、それはある意味あっているし、間違いとも言えると思うのよ。なぜかって、楽して一生暮らせるなら、それほど好いことはないと思うのね。決してストレスの無い社会っていうのは、ある意味理想だと思うんだよ。でも、敢えてその中で、ストレスのある方向に自分を向ける、という流れもあると思うんだよ。
この度の草なぎくんの事件で、私が見たメディアの反応の中で、草なぎくんを罵倒したのって、唯一鳩山総務大臣だけだったと思うのね。言い方はともかく、馬鹿野郎、何やってんだ、って言ったのって、あの人だけだったんだと思うんだ。それはクライアントだし、彼の行為で迷惑を被った当の本人だから、そういうのは当たり前なんだろうけど、他には誰も怒らなかったのね。どっちかというと、お酒飲みたくなるよね、そういう時もあるよね、ストレスっていうのが大変だよね、またSMAPを見たいよね、っていうのが主流だったと思うんだよ。
つまり、ある意味甘えの論理だと思うんだよ。どういうのかな?明らかに他人に迷惑をかけたのは事実で、それを馬鹿野郎、って怒る人がいないっていうのはあまり健全な社会じゃないと思うんだよね。警察が動いたっていうのは、尋常じゃないよ。それこそ、警察が出てきても、上手く取りなしてさっさと家に帰りなさい、っていう場合も多々あるのよ。酔っぱらい一人にかまけてるヒマなんて無いよ、っていうのが警察の本音なのね。だから、よっぽどのことなんだよ、今回の事って。
私は全く同じ境遇に立ったから、草なぎくんの心情はよくわかるんだよ。たぶん自分の想像以上の大それた事に今は当惑しているし、本当に心に響いてくるのはこれからだと思うよ。少なくとも処分が決まるまでは、針のむしろだよ。でも、そこで誰かがサ、怒るとか、突き放すとか、そうしないと、立ち直れないんだよ。それは、自分で立ち直るしかない、っていう一番過酷な試練を負わせることになるんだよ。
反省って難しい。たぶん、今はまだ、草なぎくんの中で何が悪い?というのと、大それた事を、っていうのがせめぎ合っていてね、ハイな状態なんだと思うんだ。だからああして、人前にも出られる。でも、大事なのはそれを過ぎた時なんだよ。本当に冷静になる時に、周りの状況があまりにも楽な方向に流れていると、自分とのギャップで押しつぶされてしまうと思うんだよね。まぁ、それは人それぞれだけど。
一番いけないのは、先送りにすること。大きなけじめを一度付けないと。まぁ、少なくともね、私のようになってしまってはいけない。それは強く思うよ。いつかは開き直るしかないんだけどね、私は反省する前に別な方向に開き直っちゃったから(笑)。こういう生活も好いね、なんて。ロクデナシ大歓迎、みたいな。
まぁ、それにはそこに至るいろいろな筋道があるんだけど、それはまぁ、今回は置くとして。でも、少なくとも、恐怖心は私なんかでもあるんだよ。またね、同じ事の繰り返し、っていうことに対する怖がり様は。なかなか伝わらないけどね。それはちゃんと植え付けられているわけ。それはね、少なくとも口だけでポロポロ言っている人よりは切実だし、私の財産にはなっていると思うのね。
なんてね、結局悪態ついちゃったな。でも、罪を憎んで人を憎まず。と、人は簡単にいうけど、現実はそうはいかないよ。今は被害者には大変ラクチンな世界ができあがっている。寛容な世界っていうのかな。それはある意味理想だけど、何かを置き忘れているところもあると思うんだ。いずれにしろ、今は言葉だけの自由が成立している。その質と量を考えないで、あるベクトルを持った自由だけが存在している。だから自覚症状がないままに息苦しさを感じているんだよね。そうはならない方法は、やっぱり自分の中にしかない、って事で。
それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。