讃岐うどんソルボンヌ風でございます | ELECTRIC BANANA BLOG

ELECTRIC BANANA BLOG

しまさんの独り言、なんてね。ハニー。
SNSはこちらから→https://oboochang.fensi.plus/a/blink


ELECTRIC BANANA BLOG-昼ご飯

ご飯はうどんだよ、ハニー。香川ではフランス料理のザートの代わりにうどんが出てくるんだよ()。うどんは腹だからみんな嬉々として食べるんだよね()香川コ行ってもうどん。外に掛けてもうどん、家にってもうどん。結局、讃岐っ子はのうどんが一番うまい、とか思ってる人が多かったりするのかも。最近の若い様は、どうかわからないけどね。

 

うどんは何処に行っても讃岐うどんが一番、とは思っているけど、他の所に行ってもうどんはずある。別に讃岐うどんじゃなくても、手軽でそこそこ腹持ちがするので、民の味、といっても好いのかもしれない。だが、本日はイキなり超しい話から。

最近こんなのんでます。

マルクス―いま、コミュニズムを生きるとは? (シリーズ・哲学のエッセンス)/大川 正彦
¥1,050
Amazon.co.jp

世の中にはこんなにかりにくい文章を書く人もいるんだね。ちっちゃな本なのに、全然先にみません。本日は、結局昨日昼に一時間しか寝られないまま、そのまま22時間きてました。寝る前に部屋の電気を消して、ストーブもテレビも何もかも消して読書に耽るのが課になっているが、今日はアッという間に眠気が襲ってきましたよ。

仏教関係の本ばかり読んでいて、きたからってこれはないよね、とは思うけど、なんとなく自分としてはがっているんだよね。

 

去年後半から、先日まで、読む本といえば、教関係の本。まぁ、にはこんな本もありましたけどね。

バートン版 カーマ・スートラ (角川文庫―角川文庫ソフィア)/ヴァーツヤーヤナ
¥660
Amazon.co.jp

一応宗教関係っていえば、戚みたいなもんだから。一応、なるべく、史を追ってというか、仏教の始まりから、今に繋がる辺りまでをざっと俯瞰してみたんだけど、めはこの辺りです。

世界平和のために (ハルキ文庫)/ダライ・ラマ14世テンジンギャツォ
¥580
Amazon.co.jp


梅原猛の『歎異抄』入門 (PHP新書)/梅原 猛
¥777
Amazon.co.jp

でね、思ったのは、なんでも辿る道は同じなんだな、って事。仏教とか、宗教に限らず、からずっと残っているモノって、めんどくさくて、厳しくて、おいそれと近づけないもの、という印象があるでしょ?でも、それが代まで残っているということは、それなりの要があったのか、もしくはお軽に出来る道があるか、どっちかだと思うのね。

前者の代表例が、本主義で、後者の代表例が教だと思うんだ。まぁ、あくまでックアップしてみれば、ということなんだけど。

 

仏教はそれこそ仏陀の時代は、行に精を出す人が成仏出来る、悟りを開ける、っていうモノだった。それが、仏様はそんなに狭い心の持ち主じゃないでしょ、って事で、もが悟りを開ける道があるんじゃないか、という流れが現れた。それが真言宗辺りから始まる、乗仏教だと思うのね。誰でも信心した瞬間に、仏の道はける、即身成仏の考え方。それが日本では発的に流行ったのね。

でも、やっぱりそこには戒律とか、ある程度の信仰的な修行とか必要だったんだけど、イヤ、もっとな方法があるんじゃないの?っていうのが浄土真宗から始まる、力の流れなのね。仏様は本当の悲を知っている。だから、どんな人でも成仏への道をしてくれるんだよ。そのい言葉としてね、念仏を唱えなさい、と。

ざっとだけど、私はこういう風に釈したのね。この間もちょっと触れたけど、最後の親鸞の言葉を弟子が記した「歎異抄」なんかでは、クデナシこそ仏が救ってくれる対象だよ、なんていう言葉も飛び出すわけ。普通の人は、それなりの徳を積んでいるんだから、仏の力をりなくても成仏できる。でも、私みたいなロクデナシは、そのままだと地獄にちる。だから、その罪符として、阿弥陀様に向けて念仏を唱えなさい、と。

ちょっと解釈違ってるかもしれないけど、そんな感じだと思うのね。念仏をえるだけで、免罪符がもらえる。国へいくことが出来る。これはもう、願ったり叶ったり、って葉そのままだね。

 

だが、ちょっとて、と。結局仏教の大きな流れの中で、唯一見逃してならない大則がある。それは、きているこの世は苦しみの世界だということ。そして、わたしたちは、死んでからしか仏できない、ということ。現世は、成仏するためのラトリアムの時間に過ぎないのだということ。これは、どんな宗教でも、一して変わらない主張なのね。

つまりね、仏教っていうのは、めの宗教だと思うのね。人は生きている限り、ずっとしみ続けるんだよ。どんなことがあっても、いつかは苦に化するんだよ。その時、人は悲しんだり、悩んだり、怒ったり、いろんな事でちひしがれるわけだ。でも、それをめていつか死ぬ日のことを考えなさい、と。死んだら苦しみのない世界にいけるように、のある対処をしなさいと。認める、って事は、つまりはめるって事だと思うのね。

あぁ、やっぱり世は苦しみしかないんだ、とね。

 

認め、諦め、そしてそれはすことに繋がるんだと思うんだよ。対象がれる、不利益をる。それに対して、わき起こった感情を、自分で確認して、自分の内で理して、そして対象も、そして自分も、許す。その南書が仏教なんだと思うんだよね。こういう言い方をすると否定しているみたいに聞こえるかもしれないけど、仏教は結局、視線をらすことで、負担を軽減する宗教だと思うのね。イヤ、仏教といわず、世の中の宗教って、んなそうなんだと思うよ。

 

私は、その方法論は、今の時代には逆に要なんだと思うんだ。物の見方を変えて、良い方向へいていく、ということは、今結論が簡単にでてくる時代で、それに弄されている現代には、必要な考え方なんだろうと思うんだよ。

 

でも、だからといって、既存のモノにられる必要もないと思うんだよ。何度もここで言ったことなんだけど、仏教でいう悟りの境地とか、そういうのって実はは自分の中にあってね、そこに触れることが大事なんじゃないか、って思うんだよね。

それにはまずは自分を圧倒的な力ですることよりも、なやかに認めてあげることが大切なんだと思う。去年末ちょっと触れたけど、自分の中にダイブしていくとね、いな自分ばかりが見えることもあると思うんだ。でも、それを大きくんで認めてあげる。してあげる。そういうことができればね、もっと生きることに向きになるんじゃないかと思うんだよね。

 

その意味で、ダライ・ラマの著作はとても強になった。そこには践の方法が書いてあってね、自分の中にダイブしていく正しい道を教えてくれる。別に、神様が現れたとか、別の世界にいくことが出来たとかじゃなく、他人にしく出来る自分、それを見つけるための方法が書かれてあったと思うのね。

 

私なんかは、天下無敵のクデナシだからね、別に神様が夢枕に出てくるよりは、半綾瀬はるかが出てきた方が嬉しいと思うわけ。別にお金が一杯欲しいとか、そういうことよりも、たされた毎日が送りたいと思うわけ。快の少ない毎日があればそれでいいと思うのね。

実は、マルクスにる前に、こんな本を間に読んでみたのね。

物質をめぐる冒険―万有引力からホーキングまで (NHKブックス)/竹内 薫
¥914
Amazon.co.jp

これを手にしたきっかけはケンさんの本で、めて量子論とか読んでみたい、と思ったのね。

リアルファンタジア 2012年以降の世界/山川 健一
¥1,400
Amazon.co.jp

ケンさんの本でも言ってたみたいに、今空間という認識がめられようとしていて、なんと、この本の最後にも「色即是空」という言葉が出てくるのね。宗教が見た世界と、現実にある世界が合していくような、そんな予感がしているんだよね。その記憶は、多分自分の中にまれていて、わたしたちは忘れているだけなんだと思うよ。

 

なんてね、結局宗教って、分かり易い学だから、どれどれ格的な哲学書とはどういうもの、って読み始めて砕したことを告白してみました。宗教なんて自分でれば好いんだよね。私なんか欲を律する方向ではなく、欲を華して浄にする方法はないもんか、なんてな考え持ってますから。まぁ、マルクスもその一でして。そこら辺のことは、ず~っとになってから、って事で。

 

それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。