朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』を9月に、10人の声優とともに上演し、昨日10月1日をもって、その配信が終わった。10月になったの!?というささやかな驚きもありながら、夏休みが終わった気持ちに今年もすこしだけ心がぐずってる。何年か後に読み返すこともあるだろうと、一応文章なんてものを書く事にした。
2021年に描いた物語だ。初演の時には絶対に絶対に、人生において長らく続ける大切な作品にするぞとカーテンコールで誓い、翌年に講談社から小説も出させて頂き、新たな俳優たちも迎えて再演もできた。そして3年目、あまりにも豪華な顔ぶれでの朗読劇。
なんて恵まれている物語だろう。この物語のおかげで喜びを噛み締める瞬間が何度も何度もあった。
どうしてそんなに大切な物語なのかということは、色々なところで語ってきた。もっと言うと、2021年の7月、8月の僕のこのブログを遡ってくれると、毎日のように創作日誌というか、魂のうめき声めいた文章が綴られている。
今回、末原拓馬やおぼんろの存在自体が初めてと言う方ともたくさん出会えるのだなと思い、作品の経緯を説明したい気持ちもあるにはあって、当時のブログのリンクを投稿したりしようかと思ったけど、中には純粋に物語を楽しみにくくなる人もいるかもしれないと思って控えた。控えつつ、自分でも心の奥底に封印していることなので、いっちょ思い返してみるか、と当時の文章を読み返してみようとしたら、あっという間に涙が止まらなくなってやめた。
劇場配布のリーフレットにも描いてあるけれど、簡単にいうと、この物語は亡き父に捧げたもので、末期癌が見つかって亡くなるまでの1年間の闘病生活、そして別れを踏まえてリアルタイムで描いていった作品です。
病床の父を楽しませようと、「ベッドに寝ている老人のところに、海を盗んで持ってくる少年がいる」と語り始めたのでした。「○○みたいな、わけのわからない夢オチになるんじゃないのww」と父がふざけたのを覚えています。○○というのは、かつて末原家で大批判を食らったあるドラマのことで、とてつもなく謎の解けないサスペンスだと思って興奮していたら、最後、「本人の気が狂ってただけ」というオチで、父と姉が怒り叫んだ、というものです。「いやいや、それはないから!」と笑ったものでした。
父と僕は、2020年の夏、病気が発覚した時に、翌年の夏には車で海に行こうと約束をしました。その後、父の病状は悪化の一途を辿っていましたが、なんか、治っちゃいそうな想像もできていて、なんにせよ、僕は僕の物語執筆力があれば、海に行かなくても海への冒険はできるような気がしていたのです。海へは行けなくとも、せめて劇場で海を見せるぜ!と、まあ、その準備をすることが、僕が悪い想像力に負けてしまわないための精神安定剤的役割を果たしていたこともあります。
ところが、父が亡くなり、執筆作業はいったん大混乱をしました。届け先のないプレゼントを創作する時間は地獄です。しかし残酷にも稽古は開始します。いや、ほんとは稽古開始前に台本というのは完成してあるべきなんですが、ね。僕は仲間たちにさまざまな思いを語り続けました。嗚咽で喋れなくなったりしつつ、
「これから死にゆく老人」としていた殿清を、「先だたれてしまった者」、すなわち、自分自身や、家族、(大人になるにつれ、ほとんどのひとがなる立場)と再設定し直しました。
この物語は、父からみんなへのプレゼント。生きろよ、と、まあ、言うだろうなパパは、と思い、息子の僕が筆を取りました。
父はプロのミュージシャンでした。幼い頃から、家の中は音楽で溢れ、いつだって演奏や作曲、アレンジをする父の姿を見ていました。コンサート、ライブ、レコーディング現場に連れて行かれることも多く、自分が物を創る仕事を始めるようになったことに父の存在が無関係とは到底思えません。僕はなぜか演劇の方へと進み、物語を産み出して公演をするようになりました。そこから、父には僕の作品で使用する音楽、サウンドトラックを依頼するようになりました。最初は、アマチュア息子のとんでもない甘えでしたが、次第に、芝居が自分の仕事と言えるようになり、最近では堂々と「タッグを組んでる」と言えるようになっていました。
リュズタンに関しても、父はサウンドトラックを創ってくれました。劇中で使われた音楽たちは、なんと父が医師から余命を告げられてから創った音楽たちです。「楽しい作品がいい」と父はいい、自身が大好きな南国の海を思わせる明るい力に包まれた音楽をたくさん創ってくれました。本来ならば脚本ができてから音楽を制作してもらうのが筋なのですが、筆の遅い僕を父は待ちきれず、どんどんと音楽を創り始めていました。これは、まあ、良くないけれど、良くあることでした。音楽にインスピレーションをもらって筆を進めたと言うことがこれまで何度もあります。さあ、7月4日、父は僕ら家族に看取られて天国に還っていくのです。公演まで1ヶ月。劇中で使う、音楽たちを遺して。
そんなこんなで、執筆は、父の音楽を聴きながら進めると言う物でした。音楽が自分の御守りになっていたことは間違いありませんでしたが、とことん父の喪失に向き合うには時期尚早すぎたとも思いました。もう、頭の中に思考と感情がぐっちゃぐちゃになった物です。演目がこれでなく、サントラ制作者が全くの他人だったら、「今は父のことは忘れて作品に没頭しよう!」と自分を奮い立たせもしたのでしょうが。今となっては、あの時期に、逃げずに物語を描いてよかったと心から思っています。
翌年に再演。
そして小説化。児童書として出版するため、いくつか設定を変えた部分もありました。支えてくださった編集の磯村さんには生涯感謝をし続けます。
朗読劇リュズタン。別現場で共に闘った声優たちとの再会、初めましての出会い、どちらも嬉しかったです。
どんな演出にするかと言うのは、みんなでやっていくうちに決まっていた部分も多いです。出演者からの提案で作品がグッとよくなることも一度や二度ではなく、劇団稽古をしているような心待ちにもなったものでした。
「朗読劇」とは銘打っているものの、独特なジャンルの舞台作品となったように思います。驚かされたのは、皆さんの、キャラクター造形の早さと物語読解力のすごさ。シーンや全編、各キャラクターの解釈については稽古の中で何度となく話すのですが、1伝えると100返ってくると言うあんばいで、役者とはこうあるべきだと感じたのでした。
はやく、また会いたいと心から願ってます。リュズタンまたやろうね!とも言い合いながら別れたし、他の作品でも、また。
キャストそれぞれを褒めちぎる文章を描いたのですが、卒論みたいな分量になってしまったのでいったん消しました。ほんとにみんな素晴らしかったし大好きでした。
一回一回が生のセッションで、もっともっと観ていたかったです。物語がみなさんの遊び場にのっている感じが嬉しかった。
眠る前のBedtime Story、修学旅行の夜の怪談話、お話し会のように、集まって物語をやり合ううちに別世界にのめり込んでいってしまうのが良いと思っていました。ある意味、儀式。
あ、あと、本番出演する役者たちが集まるまで、81プロデュースの若手声優たちが一緒に稽古をしてくれました。この出会いもまた特別なもので、数年後にはメインキャストに入ってくるのかな、なんて楽しみにしている自分がいます。
SUMiRE-sueとしてたくさん絵も描きました。様々なグッズや、メインヴィジュアル、それと、舞台美術のパネルです。衣装も手掛けました。SUMiRE-sueというのは僕のイラストやアパレルなどをやる時の名前です。
(スミレというのは、僕が女性として生まれてきたらつけられる予定だった名前です。姉が考えたそうです。姉は、僕がこの星でもっとも強く崇拝する女性で、リュズタンを小説にするときもたくさん力を貸してくれました。)
様々なアートワークまで手掛けさせてくださったこと、実行委員会のみなさまに感謝しています。思い入れのありすぎる作品、作業することがが祈りそのもののようでした。衣装作りは裁縫の得意な母の手も借りました。実は父のことについてあんまり会話するとまだまだいつでも心が決壊しそうな僕らは、ケラケラとしたテンションでしか父の話をできないでいます。ただ、劇場に父の音楽が流れる度に、なんだか父が得意気な顔をしている様が思い浮かぶものです。こういうのも、なんかいいな、と。
長々と、とりとめもないこと描いてしまいすみません。まだまだ描きたいことたくさんあるのですが、とりあえずは、ここまで。
また会おうね、と心に誓い、次を楽しみにしましょう。
どうかこの物語がいつまでもあなたのものでありますように。リュズタンという物語を知る人がたくさんたくさん増えて、この物語の中で僕ら仲良くなれたらどんなにか素敵だと思っています。
どうか、明日もあなたが素敵に目覚めることができますように。
またね。












