おぼんろ第23回本公演

『月の鏡にうつる聲』


公演終了しました。精魂尽き果てたというか、現実との境目のようなものが曖昧になり、千穐楽からしばらくSNSから姿を消してしまいました末原です。まとめの文章はいつも苦手で、語り尽くせるわけがない思いを、せめてほんの少しでも語らうと言うブログです。


遅くなりましたが、公演へのご参加、心から感謝します。


7月頭、稽古を開始したあの頃がとても懐かしいです。「9人の劇団をつくりたい」と話したのが顔合わせでした。劇団員、客演、という壁は全く必要ないと思っていました。「客演さんに迷惑をかけたらいけない」という不安なんかかなぐり捨てて、ふてぶてしいほど仲間扱いをさせてもらおうと思ったのです。


劇団公演なのだから、劇団にしかできないような創り方をしたいと思いました。それは「効率の悪さ」です。物創りにおいて、最短距離を探さず、いちいち遠回りし、話し合い、悩み、試し、壊し、捨て、やり直す。そうやって、「初めて創るもの」を追い求める日々は幸福と興奮に満ちていました。1日1日の稽古が冒険めいた物語に満ちていました。


素晴らしい座組でした。全員の感性が混ざり合い、この作品になったのです。スタッフ含めですが、誰か1人メンバーが違えばまた違う作品になってしまったろうと思います。その不安定な偶然さに神秘を感じます。


けいごが信念と爆発力を与えてくれました。どう考えても変わり者だし、ロジカルスイッチとワイルドスイッチが予測不可能なタイミングで切り替わるのがヘンテコすぎて、だけど本人はいつでも真剣そのもので。初めて会った日からお互いのことを喋り続け、なにも包み隠さず感性をぶつけ合いました。とても尊敬していました。圧巻のラストシーン。あてがきと言うわけではないのだけれど、けいごがいたから完成したのです。ステージの上に存在することにかけてのプロフェッショナリズムは流石としかいいようがなく、どんな時でも、こちらが心配になる程に全力でパフォーマンスをする。体力が無尽蔵なのかと思っていたらそうでもなくて、ちゃんとバテているのに、それでも手を抜かない。セーブしない。その姿に、誰もが勇気をもらったようにも思います。


りゅうのすけ。天性のひとなつっこさで座組に生命力を加えてくれました。いろいろなひとの橋渡しになっていた気がする。真剣で、素直で、物怖じしない。役どころは極めて難しかっただろうに、めげずに、焦らずに、それでも怠らずに千穐楽まで努力を続けてくれました。冷静さと、情熱なのか無鉄砲さなのかわからないめちゃくちゃさが同居してて、これからもっと見極めていきたい。声の良さ、見た目の素晴らしさは言わずもがなだけれど、その素質に見合わないほどに、懸命でがむしゃらでい続けられるりゅう。今後がさらに楽しみでもあります。



ましゅう。一緒にやるのは2回目。今回は演技についてかなり細かく深い話もしました。自分の中で、今後長く付き合っていく相手だなと思えていたこともあったのだと思います。以前一緒にやったときから驚くほど実力が上がっているように思えて、目を見張りました。稽古期間中、演出意図をよく理解し、日に日に演技が熟していくことに座組一同刺激を受けたものでした。座組や作品への敬意、貢献しようという姿勢も素晴らしく、救われたものでした。頼りになった。本当に、それに尽きるのでした。


たいらさん。早稲田大学演劇研究会という、人生で初めて芝居の手ほどきを受けた場所の、大先輩。カリスマ先輩として、伝説を聞いていた存在でした。常に天然ボケで不器用な素振りで、座組の緊張を解きながら、非常に精密に芝居創りをし、稽古期間の中でゴールに行き着くための地図もしっかり描いている、馬鹿のようなふりをしながら、脚本読解も素晴らしくできている。正直、まさかここまですごいのかと改めて驚いてしまったのでした。座組における立ち振る舞いも完璧で、なるほど、少年社中という劇団が有名になったことの要因として、たいらさんの存在はめちゃくちゃ

大きかったのだと身をもって知りました。座長がひとり多いような安心感。まあ、とにかく、何より、芝居が素晴らしかった。あんな純度で板の上にいられること、なかなかない。


こうちゃん。なんかいつの間にか人生におけ?運命共同体みたいに当たり前の存在になっていて、今回も、突然電話をして拉致監禁したような状態でした。最初は、「その時期は厳しいんだよ」と言われたのだけれど、厳しくてもいいから出てね、と言ったら、結果、こうちゃん、ほぼすべてのスケジュールをあけてくれた。今回は、殺陣師としても素晴らしい才能を発揮してくれた。実は殺陣をつけるところをみたのは初めてで、演劇的アプローチを用いて高速で物語的にアクションつけてくのすごかった。様々なこと相談したし、いろいろな場面で背中も押してくれた。役も素晴らしかった。自分の立ち位置を理解し、そして、2度と忘れないような瞬間を散りばめてくる。当たり前に呼び出して本番をやって、当たり前のように別れた。また当たり前のように再会するのだと思います。


りんちゃん。今回は、幾つもの役をやってもらうことにしました。本人がそう言うのが好きで得意なのもわかっているし、高橋倫平という俳優の素晴らしさをみんなに知って欲しかったのです。独特の色気と哀愁があって、観る人をすぐに魅了してしまう。仲間としては、とにかくおぼんろでは、ひとつ上の兄、と言うような立ち位置で常にお節介な目の上のたんこぶでいてくれる。「お前が誰かに気を使うところなんて見たくねぇんだよ」とたまにキレては背中を押してくれる。10年以上前、世界中の演劇界から見向きもされず、池袋の路上で独り芝居をやっていた頃、このひとが俺を励ましにきてくれたのでした。考えてみたら、どんな時でも自分のことを認め続けてくれてたのはこのひとで、この人がいなければどうなっていたのだろうとゾッとします。思えば遠くまで来たもんだ、ってモルドバで一緒に泣いた。これからも、遠くに行きたい。


めぐ。このひとがいなかったらおぼんろは、今のようではなかったでしょう。今回、実は本番中一番忙しかったんじゃないかと思います。様々な重要な役をやり、ツケ打ちなどもやってくれました。あまりに過酷なことなのに、絶対にやってくれる。やってくれた上で、「ありがとう」と言ってくれる。演劇を真に愛しているのです。そう言えば、これまでめぐみさんが弱音を吐いたところは見たことがない。何年か前から「あたしは舞台の上で死にたい」と言うようになりました。冗談じゃない、迷惑だよ、と笑って返すけれど、最悪、もしそんなことになったとしても「あの舞台のあのシーンで最期ならわかばやしめぐみは天晴れだね」と言われるように作品を創ろうと実は毎回思っている。猿彦という若い青年をやり、ビクロという年老いた病気の母親をやり、桃太郎という少年をやり......多くのファンを魅了する彼女を、仲間として誇らしく思います。


さひがしジュンペイ。「今回自分はサポートくらいの立場でいい」と、当初は気を使って連絡をくれたりしていました。たくさんの客演を迎える中、いい役なんかもらうわけにはいかないし、気にするなよ、という優しさです。けれどやっぱり、老いたる桃太郎はこの人以外には考えられなかった。不思議なもので、劇団員への愛は並々ならず持ちつつも、必要ないなら別に使わないというドライさは持ち合わせているつもりです。それはお互いそうありたいね、と、暗黙の了解で我々が持っている絆の在り方で、自分に関しても、作品がつまらなければ出てもらえない覚悟も忘れずに待ち続けています。さひがしジュンペイがいなければ、今回、作品はこれほどまでの魂を手に入れられなかったのだと思います。信じられないほどの感情とエネルギーを作品に与えてくれた。永遠に尊敬する芝居の師でありながら、お互い、まだまだ俺たちには成長の伸び代があるはずだ、と見張り合い、芝居についての話もよくする。もっと、もっと上に行きたいね、とよく話す。そうやって、共に生きていきたいものです。


たくさんのスタッフに心から感謝します。稽古場に通い詰め、その場その場で変化していく作品に寄り添ってくれた。自由に物創りをできて幸福でした。自分が最初ですべての計画を立ててから物を創るのが嫌いなもので、日々何かを思いつき、急ピッチでみんなが形にしていかなければならない。大変な現場なのだと思いますが、すべての箇所でスタッフと魂を共有できている確かな実感が、作品に魔法を与えてくれたように思います。


製作委員会である講談社、ホリプロインターナショナル、ローソンエンタテインメントにも、なんと感謝を伝えていいのかわからないほどに助けられました。自分たちはなんて恵まれているんだと、幸運を噛み締めています。


人生における、大切な一本でした。僕個人としては、自分に嘘をつかないで物を創ることができたことが大きかったです。自分の声に耳を傾けること、これからも続けていきたいと思います。


これまでのすべての公演、海外渡航、さまざまなことを経て、日々、前に進めています。応援して寄り添って、ともに歩んでくださる参加者のあなたに心から感謝します。


いま現在、はやくも、次回本公演に向けて動き出しています。やりたいことがありすぎて、焦っていますが、ひとつずつ、ひとつずつ進めていきたいです。『月の鏡にうつる聲』も、ほんとはまたやりたい。全国や、海外にも持って行きたいのです。


あなたへ。

必ず、また会いましょう。

出会えたことに心から感謝をしています。


同じ物語に参加したのだと言う記憶を大切に待ち続けながら、お互いなるべく長生きをして、これからも何度も出会いましょう。


本当にありがとうございました。



キンキラキンのラブをあなたに。