舞台演出をすべく品川通いである。品川・・・あまり馴染みがない。

 

いや、「馴染みがない」、と冷たく言い放つよりは馴染みがあるんだと思う。仕事であったりちょっとした用事だったりで、生きてきてそれなりに何度も上陸している。それなのに、なんか、疎遠な気がするのはなんだろうか。ビルが多いからだろうか。訪れたことのある回数で言えば巣鴨とかの方が少ない気もするんだが、巣鴨の方が「こいつツレやねん」的な関係性を築いたような錯覚を持つ。

 

完全に、キャラの違いだと思う。


そう考えると、品川が不憫に思えてきた。多分、あの圧倒的なシティ感というか、大人っぽさと言うか、ビルだらけ!な感じとかに、こちらが勝手に緊張しているのだと思う。よくよく考えてみれば、水族館あるし、新幹線乗れるし、水辺も近いし、人をもてなしたい心持ちはとても強い街だ。もしかして、品川は、みんなと仲良くしたいのかも知れない。巣鴨とかに、憧れているのかも知れない。刺抜き地蔵でいいのに、ついつい、品川の奴はコージャスに王子な感じを名乗る宿とか用意しちゃう。もしかして不器用なのかも知れない。

 

品川を愛したい。四角が三つに縦棒三つ。「品川」と言う文字も、なんだか可愛いじゃないか。反対から読めば「わがなし」だ。だからなんだ。

 

とにかく、品川と仲良くなるつもりだ。

 

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月が大きい。月が多いと動物の情緒は乱れると思っている。ましてや5月。五月病のパンデミックが危惧される季節だ。「なにか新しい環境が始まって1ヶ月目をこえたあたりから」というのが、どうもメンタルやられがちってことです。我々のような舞台人は、なんだかんだ新しい現場も1ヶ月で終わるし、長めの本番でも、終わりが見えやすい。そういう意味では、あんまり五月病にはなりにくいのかも知れないなあ。


「五月蝿い」と書いて「うるさい」と読むと知った時はみんなと驚いたよね?旧暦とは思うけど、5月ごろに現れたんだろうな、蝿。だがしかし、ノイジーなものの代名詞にされてしまうとは。すごいな。「拓馬い」と書いてなんと読まそう?なんて考えちゃうよね。いや、考えないわ。




ここのところ鳩が気になる。春先っていつも鳩が気になるっけ?蟻とかは春先のイメージあるけど。


そういえば鳩もカラスもスズメも、寝ているところを見たことない。どこで寝てるんだろ。


ていうか、寝ているところを目撃したことのある相手って、地球上にあんまり多くはない。それはなんだかそんなに悪くない事実な気がする。


ちなみに自分も、人がいるところで眠るのは苦手。林間学校の時も、一番遅く寝て一番早く起きてた。

 


5月末からモルドヴァ共和国に行く。芝居の公演が決まっているのは6月前半の一回だけれど、そのあとしばらく周辺諸国を周遊する。さまざまなものを見てくるつもりだ。自分探しの旅というよりは、これまでの自分をいったん行方不明にしてみたい気持ちはあったりする。


なんだけど、それまでに終わらせようと誓っていた物事が、終わっていない。焦る。ヨーロッパまで行って日本の締切に追われてるのは切ない。がんばりたい。がんばりたいけれど、やはり現場中は現場のことで頭がいっぱいになってしまう。



スターバックスがアルコールを扱うとしたらスターバッカスというお店の名前になります。


こういう駄洒落は、Twitterで言うほどではないけど、言わないのは嫌なので、こういうところに書く。書かれた方は迷惑かもだけれど、書かれなかった文字たちの魂が行き場を無くすのは忍びない。許して。


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僕らやっぱり、手段と目的がごっちゃになりがちな生き物だ。逐一、気を付けたい。「えーと、いまやってるこれは目的だっけ?手段だっけ?」と必死で作業をする最中にも立ち止まることが大切だ。手段そのものに喜びを見出して目的化してしまうのも人間ゆえの上品な愚かさだけれどね。迷子にならぬよう、気を付けたい、逐一。


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雨も降るし地震も多いし、まさしく地球人を満喫しているなあ、と言う日々。


。。。


カンボジアに作っている井戸が間も無く完成すると連絡をもらい、現地のことを想像する。井戸が完成した暁には、そこにいこうと思っている。子供たちと共に何かをしたいのだけれど、何をしよう。何ができるか。歌や紙芝居?演劇で心を掴めるのか。一度落ち着いてよく考えてみたい。ほんとは生涯をかけて考えてもいいことのような気もする。


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さ、がんばるか


きょうも、むりしすぎず、じぶんとなかよくできるように、いきてくださいな。


あなたがげんきでありますように。