3月16日

世界が遠のいていく感じがすごい。そう思っていたのだが、最近じゃ世界が遠のいていく感じさえも遠のき出して、「感じが消えていく」を感じてる。


人間は幼少期の味覚が一番鮮明で、だんだんコーヒーやビールを飲めるようになってしまうのは、感覚が鈍っていくおかげだ、と聞いたことがある。どうなんだろう、それ。別のものを味わえるようになった、という意味では、鈍麻したというよりは変化したのだと言い張ってみたい。母にノンタンを読んでもらい心の中に極彩色の荒波がぐるんぐるん暴れ回っていた幼きあの頃を懐かしくも思う。だが、今だからわかる感覚も大切にしたい。「最初はポールの曲が良いと思うけど、歳を重ねると、だんだん、ジョンの良さがわかるもんなんだよ」と父から言われたのはまだ小学生だったと思う。ビートルズの話だ。わかる、わかる。いまなら、わかる。かつてはわからなかったその言葉の意味がわかるようになったんだ。いいじゃんね。


でも、一瞬だけ昔の感覚に戻れるスイッチみたいなものを持っていたら、どれだけ素敵だろう?なんてことも、思わなくもない。


コブシのはなびらきざんだサラダなら

なにもかけずに夏の夢見る



ゆうべ、線路沿いにひと駅歩こうと思って歩いていたのに、気がついたら線路が消えていた。そんなことあるんだろうか。「敷かれたレールの上を行くなんて嫌だぜ!」というパンキッシュな脱線願望は一度も抱いたことないのに、気付けば知らないところを歩いてる人生な気がする。


ゆうべ。あたりを見渡して駅探しあちこち必死で歩くも、線路はもう見つからず、仕方がないので歩き続けたら今度は全く違う線の駅についた。


父のようにならないようにね(まっとうな人間になってね)、という母の教えはほんのりかすかに我が家にはあった。模範的な、褒められるような子になるのがよかろうと、素直な自分はちゃんとそのゲームを楽しめる才能もあったのだけど、とにかく、保護者会だとかが嫌だった。終わって帰ってきた母に、信じられないほど叱られるからだ。学校の先生や同級生の親御さんからうちの母親によからぬ連絡や呼び出しがあること非常に多く、悩み多き子供時代を過ごした。グレたいなんて微塵も思ったことない。どうしたら真っ当に見えるか、怒られず、母を悲しませず、敷かれた線路の上を丁寧に歩き続けられるか。真面目にやってるのに、いつもうまくいかない。方向音痴なことも関係してるのだろうか。大袈裟だな。


発掘された。小学校の学芸会の写真である。ハーメルンの笛吹きの、笛吹き役。主役だ。今にして思えば、である。

そう言えばこのときも、脚本や演出について先生に意見しては無視されていた。「ペストを終わらせたら100万円」という御触れがあるんだけど、その金額も気に食わなかった。「命懸けの任務だろうに、100万円でおかしいと思う。」と食ってかかった。なんかいかにも「小学生の劇だし大金といえば100万円」という安易さが嫌だったのだと思う。円、てのもなあ。いまだったら「金貨66枚」とかの表現を提案するかな。でもこのとき先生が「100万円だって、なかなか稼げないもんだよ!」と反論してきて、子供心に「大人って大変なんだなあ」と思った。なんか、切実なものを感じた。


他にも、演出や演技のことをいろいろ言ってたけど、ほとんど聞いてもらえなかった。そりゃそうだよな。学芸会はなんのためにやるんだ、と、そこを理解していなかったのだ、こどもだったのだな。こどもだったんだけど。


でもそのままプロになったわけなんだから、間違ってなかったんだろうな。何してるんだろうな、いま、先生たち。


生まれてこの方出会った人たちみんなに会ってみたいと思うこと、たまにある。


相変わらず人形を作ったりもしてる。

大変だ。毎日誰かと会ったりもしてる。モルドバ

関係者とのコンタクトもたくさんとっている。そして今月中に脚本の締切が実に3本。なかなかだ。だがしかし、絵を描いたりという時間も大切にしている。学校みたいに、1時間おきにチャイム鳴ったらいいのにな。強制的に教室移動をさせられたりしたい。とは言え、それもそれで向かないのもわかってる。難しい。


。。。。

桜が咲きはじめているね。でも、それだけじゃない。美しい花がたくさんある。ミモザとか、いいよね。見つけるとうれしくなる。


さんかんしおん。油断すると風邪引くからみんな気をつけて。


今日もあなたが幸せでありますように。