2月25日

嘘だろ、というところだが、2ヶ月にわたる劇場通いも残すところあと2日、というところにして迷子、というかバスを間違えた。車窓から外を眺めていて、どうやら初めてみる景色だぞと気付いたときには背筋が凍った。それでも確信が持てない。初めて来た時に劇団員から「ここから乗るんだぞ」と言われたことに実直に従い続けてきただけで、バスの番号や行き先についてはまったく記憶していない。大急ぎでバスの電光掲示板をみるも、当然見知らぬ行き先が書かれている。劇団のグループLINEなるものに「行き先、これで合ってる?」と質問を投げかけると、さひがしさんが「ちがう!」と連絡をくれた。とりあえずバスから飛び降り、電話をする。地図が送られてくる。歩けないことはないから歩いた方がいいらしい。その後、騒ぎを聞いた照明の三枝さんから電話が来る。公演期間中に迷子になったのは2回目で、その時も30分以上電話をしながらナビゲートしてくれた。こうして、今日はいつもより少し早く劇場に辿り着きそうだぞ!とはしゃいでいた我が心はずぶ濡れにされた。


ようやく、場所に慣れてきたと思っていたのに。油断大敵という言葉があるけれど、これか。


油断。古代インドの言葉だったと思う。スーパーに行けば「ノンオイリー」なんて言葉が立ち並ぶこの令和ではあるけれどな、油も大事、ということだよ。なんて、ひとりごちてしまう。


絶やしちゃいけないのだ。油。時たま、体が痛いときとか、気持ちが落ち込んで動きたくない心持ちに襲われた時なんかには、昔見たオズの魔法使いに出てきたブリキの木こりのニックチョッパーを思い出す。なんか、油をさすと体が動きやすくなるんだ、確か。そう考えてみると、自分にとっての油はなんだろうか。コーヒー?お菓子?音楽?散歩?......どんな時でも通用する処方箋は、いまだに見つかっていない。アブラマシマシのラーメンとか食べたらカッコ良さそうだし憧れるけど、たぶん、それでもない。


。。。。


劇団公演。朝は役に集まり、参加者のお出迎えからお見送りまで換算すると実にワンステージ3時間半、昼と夜の間は楽屋で一緒に食事をとり、また本番をやり、解散。とは言え、帰るのは真夜中だ。


だんだん、1年に2ヶ月くらい家族、という気がしてきた。もはや、わざわざ喋ることすらしないくらいの中で、いて当たり前、いなくてもそんなに気にはならない、くらいの関係だ。「おはよー」と、なんのありがたみもなく出会い、「おやすみー」と、何を恐れることもなく別れる毎日。お互いにとってシームレスな存在になったものだ。かつては互いの存在に緊張し、認められよう、とか、はしゃぐ気持ちもあったはずだ。それは、もう、ない。なんなら、たぶん我々はこれからラブシーンめいた芝居はさすがに小っ恥ずかしくてできないのだろう予感もする。言うても10数年モノのヴィンテージな関係だ。いまから同じものを作ろうとすると、こちとら50歳になりかけちまう。そしてその頃にまだみんな健在なら、我々はさらに年季の入った間柄となる。悪くない。でも気をつけよう。ワインはうまく保存しないとお酢になってしまうと聞いた。嫌いじゃないけどね、酢。劇団バルサミコ。


。。。

楽屋には、ありがたいことに上等なお菓子がたくさん並ぶ。甘党の自分には幸福きわまりない環境だし、スタッフ、語り部一同、キャッキャしながら、見たこともないお菓子のおいしさを話題にしている。身の丈に合わないスイーツの差し入れの数々に感謝です。そんな中、照明の三枝さんはアルフォートを食べていた。否定はしない。美味しいよ、素晴らしいお菓子だし、あそこに描かれた船に乗って宝物を探しに行こうと言う気持ちにもなる、だけど、だけど、なんで?いつでも食べれるじゃん!アルフォートは!


と問い詰めたら、三枝さん、「安心するから」と恥ずかしそうに笑ってた。


。。。


なぜか誰かの好意によりギターの試奏をさせてもらうことになって、いろいろ説明を受けるのだけど、さすがに父から聞いたことのあることで、後ろめたい気持ち抱きながらも初めて聞く無垢なフリをがんばっていたら、そこに父が来てしまい、ピックもないのに500円玉を用いて目の前で演奏して、ビートルズのルーシーインザスカイを歌っていた。父が歌うのは珍しいけど、元来、歌うのが好きな人でもある。と、思ってる。しかも、なんか、上手くなってない!?とみんなで言うと、嬉しそうにしていた。


という夢をみた。なんだ?

2月26日

千穐楽が終わってしまった。呪納式という、締めくくりの会もやった。感謝しかない。


『ゲマニョ幽霊』がモルドバ共和国の演劇祭に招聘されたことも発表できた。早く言いたいことだった。長く長く、ここを目指して頑張ってきたもので、やはり気合いは入っている。モルドバという国、ウクライナの真横に位置するということで情勢がかなり厳しい。芸術監督のペトル氏ともお話をしたが素晴らしいひとであり、大好きになった。さまざまな政治の動向に振り回されて生きてきた国の人々にとって、文化は武器であり救いなのだろうと強く感じ、自分がまず関わるべき外国はこういう場所なのだろうと強く感じた。その感情を大切にしたく、今回のために新作を描こうと心に決めた。審査の厳しい演劇祭なので、新作だと審査条件も厳しくなると言われたけれど。




千穐楽の2日後には『ハムレット』をやった。相変わらず自分は河内大和という人が好きで、幸福を噛み締める。ゲマニョを挟んで2ヶ月前。台詞や段取りの思い出しは慎重に念入りにやった。3月1日本番でいいですか?と連絡が来て快諾したのは、まさに2月が28日までということ、すっかり忘れていたからである。ちなみに、上に載せたものとかは、大和さんがデザインしているらしい。俳優バカと思っていたけれど、実はデザインなどのキャリアいるらしい。大人の感性、素敵。芝居の作り方もそうだ。


しょうごくんとも喋る。あんまりあーだこーだ考えないところが好き。心の人。実は板の上で絡むことはあまりなく、惜しい。やらせてくれい。


。。。
髪が長い。ここのところ、あまり明確に髪型の指定のない世界に生きている。なんどか「本番前なので切るしかない!」というタイミングあったものの、美容院の予約は当日まで待って様子みよう、なんてやっていたせいで、かれこれ数ヶ月、切ってもらい損ねてる。長い。切るか?不思議なもので、髪というのは伸びると切るのが惜しくなる。本番中は、サムソンとデリラ的なニュアンス感じてもう切らないことにした。本番終わった。さあ、どうしよう。こだわりはない。前髪が邪魔なことは気になるかも。

。。。
いい歳して、飲み屋にいく文化があんまりない。それは、すこし恥ずかしい。港区のバーで飲んだりというのが、芸能の世界の人間のくせに、そういうのがぜんぜんない。せめて下北沢くらいで飲んだくれろよお前小劇場の人間だろ、と思うけど、それもない。年下の友人が続々と現れる昨今、みんなそれなりに大人っぽい経験をクリアしていて、焦る。

3月3日
雛祭り。病床の父と共に創りかけた作品などあり、父が贈ってくれた音楽を聴きながら心の中が閉鎖的な大洪水になる。ハリケーンほど陽気でなく、アルマゲドンほどアニバーサリー的な強さもない、頼りどころのない激しさの中で、アーアイタイナーなんて、日頃思わないようにしていることを思う。雛祭りの代名詞的な作品を創る!と約束したが、今年も、うまく取り組めなかった。未来に持ち越す。へへへ、こちとら生きているのでな。


やたらめったら忙しいのは、先伸ばしていた仕事たちに一挙向き合っているから。たくさんの台本たち。大変なれど楽しめている。


3月5日

ゲマニョ幽霊も、モルドバ行きに向けて大幅に書き換える。8月のおぼんろ公演も動き出していている。4月に演出をやる『キャッテリア』という公演の打ち合わせも始まった。まだ首脳部にしか、出会っていないが、なんとよい空気感。猫々しいホストクラブの物語。誰かを救う物語でありたいと心底願う。


バスケしてぇ。

いまだに試合の夢をみる。


バラシの後の荷物が攻め込んできている状態で、アトリエの散らかりようがすごい。はじで作業をしたりしている。


路上時代に、「桃太郎に付き従ったミニチュアダックスのズタボロ」という役をやり続けた。なんとなく、今も、その心持ちのこってしまっている。


梅よ、咲くのか。さくのだな。


成城学園大学の演劇部が『ビョードロ』を上演したいと連絡をしてきてくれて、数ヶ月前に許可した。涙が流れるほど切実な嘆願書だった。


それを観に行った。自分の物語が他人の口によって吐き出されているという神秘に聖なるものを感じ、また、俳優たちの血だとか肉だとかの混じり合った何かを目撃した気がして胸の中が戻った。感謝の気持ちだ。美しい時間だった。部員たちみな顔が輝かしく、もっともっと語らいたい気持ちあったが。なんとなく、それをしてはいけないのではないかと思い至り、そこそこさすらって場を去ったつもり。

。。。


さあ、よる


ねむれ、ねむれ

こちら、これからまだまだ物語に入れ込む時間つづくけれども


よる、きれい


あさ、たのしみ


あなた、どうかどうか

しあわせに


おやすみなさい