2月14日

アイシャドウを購入。


化粧をするようになったのは舞台を始めてからに違いない。ピンク色のポーチを化粧入れとして使ってる。中には色々入っていて、入りすぎてるほど、色々、何が入ってるのかわからないほど色々、入ってるのだけれど、自分で買った記憶のあるものはほとんどない。おそらく、姉からもらった。姉に化粧を習った記憶もある。なんか、「タクの顔はこうだから、こう」みたいな講習を受けた。それから、さまざまなメイクさんと出会あ、その都度知識も得るけれど、いまだ、姉の教えが根強い。


15年使い続けていた。おそらく、姉からもらったやつ、そのまま。


で、やはり、さすがに危険だろうと当たり前のことに気付いた。肌の調子が崩れたのだ。


そして、仕方ないから、買った。何を買えばいいのかわからなかったからマツモトキヨシの棚に並んでいたやつだ。急ぎだったのだ。



他人の死って、点でしかなく。なんか最近、有名な人に関しては、誰が亡くなってて誰が生きているのかわからなくなってきてしまった。「あの人が死んだと言う噂を聞いたことある気もするし、勘違いな気もする」と言う感じだ。主に音楽を聴いてる時に思うのだ。「あれ、この人、死んだっけ?」と。分かろうがわからないが、流れてくる音楽はカッコよく、まー、どっちでもいいや、と思うのだ。


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大人の人がいつまでも、伝説だった!みたいに語ってくれる出来事があるでしょ?あれがすきなの。


「信じられる?!おじさんが、若い頃、こんなもの観たんだよ!?」って、そこにいた自分が誇らしくて、語ってくれる。大雨の中で行われたグラウンドファンクのライブとか、そういうの。



あーいうものになりたい。常々思う。

流れ星的、打ち上げ花火的なことしてるのは理解してるけど、それでも、ただの1日じゃない、永遠の1日に憧れる。

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「倉庫での公演」で喜んでもらえて嬉しい。でも、「本来のおぼんろが戻ってきた!」と言う感じは実は個人的には、そんなに。


20代前半、本当に創作意欲が自分の中で暴れ回る感覚があった。持て余した衝動と裏腹に、お金はなく計画性もなく、そして公演失敗の後遺症で借金だけあった。あれこれ計画を立てるより、どこでもいいから芝居をやろう、と、路上で芝居をやった。道を歩いてる時に作品構想を思いつき、その足で歩いて「来週公演したいから貸してください」とギャラリーに突入してオーナーを説得したこともある。(初めて会ったオーナーだけど、そこであれこれ議論したことはいまでも宝物)。


ワクワクしていたのは事実だけど、「はやく綺麗な劇場でやりたい」と願って頑張ったのは事実だ。


路上をはじめ、船、工場、お好み焼き屋、デパート、地方の寺やら屋外やらホールやらなんやら、そしていくつかの劇場。これまで覚えられないくらい色んな場所で物語を紡いだ。そのどの場所も特別で、完膚なきまでに自分らしい挑み方をしてきた。今回、原点回帰と銘打ってはいるものの、最新作であり、そして、すべての過去の集大成とも思う。これからもっともっと。いろいろな自分たちになると考えると胸躍る。



2月16日

新作を創る夢を見た。借金取りに追われて現場まで奴らが来るという状況だったのだけれど、これがまあ、本当に良い作品ができて、自分でも驚いた。見たことの無い舞台だった。そうか、まだこんなものを頭の中に思い浮かべられるんだな、と、夢から覚めて思った。すごいな。まだまだ、作品を創りたい。でも、予算かかりそうな公演だった。


2月20日

なんということ。また目が腫れてる。なんだろう、ほんと。ものもらいなのか?右目がおかしい。




髪が長い。本番前に切り損ねたから、開き直って放置してる。父には褒められそうな髪型になってる。

ネコニーが南米ツアーから帰ってきて、芝居を観に来た。すごく怖がって、行きたくないと連呼しながら来た。終演後、「な、なんだよ、ビビらせやがって!」と笑ってた。案外、気に入ったらしい。でもそのあと、「ほんとは?ほんとは、どこまでが、ほんと?」と、しきりに聞いてきた。「こわいの?」と聞いたら、「こ、こわくねーし!」と怒り出してしまった。




体のメンテナンスこそが命、と言う毎日を過ごしている。休演日もあるので整体やマッサージに行こうと思うのだが、何かを事前に予約することがにがてな性分が、それを阻む。


かつて、現場に骨盤職人というマッサージ器具を持ってきた俳優がいた。その彼は健康マニアで、いろいろなものを持参しては全員に貸し出し、楽屋の健康管理人だった。骨盤職人。名前がすごい。構造はひどくシンプルだったが、効果絶大だった気もする。「職人」という言葉の持つ、実直な実力者感、憧れる。父はそう言う人だった。自分は...なんか全然、そんな感じがない。憧れるだけ憧れよう。骨盤を整え、背筋をシャン伸ばして、人としての軸をしっかりしよう。すぐに軸がブレるところが自分のブレなさと言う気もしなくもないけれど。


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ゼレンスキーとプーチンが朝食に何を食べているのかが気になる。やっぱり外国の人だからパンなんだろうか。ボルシチ?とか?パンには蜂蜜やジャムを塗るのだろうか。酒を飲むところは、なんか想像できる。プーチンはウォッカとか。ゼレンスキーはワインかな。でも、ほっこりハッピーに朝食は食べれてるんだろうか。心配だ。


戦場の葬儀屋はやっぱり大忙しなんだろうか。それとも、もう、いちいち丁寧にやってらんないよね、という風潮になって、むしろ廃業みたいになるのか。うちはいまだに父の葬いについて丁寧に丁寧に進めてる。大変なことだらけではあるけど、死んだ人のこともゆっくり考え、ときに泣きながら、穏やかに思い出抱くのも、生きてきたことの贅沢、死というものを持つ恵と感じる。どうか、ロシアとウクライナのひとも、落ち着いて死者を弔えますように。


そう言えば、ロシアの若者のウォッカ離れが社会問題になってるらしい。韓国の若者のキムチ離れも。日本の若者も、ぬか漬け離れをしている。心配だ。心配だけど、美味しいものは、毎日でなくてもたまに好きな時に食べるから、大人は心配しないで欲しい。世界の若者がせっかく戦争離れをしているのだから、ほっといてくれたらいいのにな。


すご!!!!

絶対食べれない気がする。高校の時、ラーメン二郎に連れて行かれて1週間何も食べられなくなって激痩せした男である。でも、こういうお祭り騒ぎなもの、明るくていいね。牛肉や小麦の裏にいろいろな社会問題は潜めども、食べ物ではしゃごうという態度は人間として素直でいい。


1月頭からこの芝居小屋で過ごしていましたが、いよいよ明日が千穐楽。2月いっぱいで小屋も完全閉鎖となります。すべての芝居、もっと言えば人生というものがそうですが、すべての瞬間が後にも先にも2度と起こり得ない。惜しさと寂しさに絡めとられるより、喜びと感謝を抱きながらに過ごします。


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がんばるぞ、とおもったら、劇場までのバスを間違えた。残り2日にしてなんたる失態。まずい。本番せまる。