劇団員のりんぺいさんが昔「朝一番の水は、こくんと飲むのがいいらしい」と言ってたのだけど、いまだに、「こくんと飲む」がわからない。自分なりに、こくんと飲んでみてはいるんだけど。毎朝、水を飲むたびに、これで合っているのか?と思う。
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武士とジェントルマンのブログを書けないでいた。言いたいことありすぎるし書き溜めた文章もあるのだけれど。声優のみなさまがとにかく面白かった。稽古初日が松風さんという方だったのだけれど「声優という生き物は怪獣ばっかだぞ」という意味合いの末恐ろしきことを宣言して帰かれたせいで、そこから先の日々は緊張感があった。だがしかし怖い人はいなく、結果、みなさん流石とばかり面白い方々だった。
そう、演出部、制作部というのは偉そうに踏ん反り返っているように思われがちだけれども、日々、繊細な緊張のなかで現場を用意している優しくか弱い生き物なのです。出会った際にはよくいたわってあげましょう。
いやー、みなさんよくしゃべる、しゃべる。演出家は、言っても本番前にウォーミングアップをするわけでもなし、場内をウロウロしながら話し相手をさがしてたりするのだけど、本番前の演者にあまり話しかけてはいけないなと思いつつ、伝えたいこともあるので演者のみなさんに会いに行くと、あぁ、こちらが焦るくらいにマシンガントーク始まる率の高いこと、高いこと。メイクされながら手品を始める御仁までいらっしゃる始末。楽しい日々でした。
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榎田ユウリ先生、お会いできて本当に幸せな気持ちだった。編集さんを通じて何度か台本のやり取りはしていたのだけれど、そのやりとり、とてもクリエイティブな相談になっていて、心から作品創りを楽しむことができた。
今回のスタッフワークは本当に素晴らしいものだった。全員が、美しいものを創るために才能を惜しみなく発揮し、強い結束で立ち向かった。観客の想像力があって初めて完成する物語。しっかり受け取ってもいただけたようで嬉しい。みなさま、スタッフに拍手を。
この公演についてはまた書きたい。
2月8日
翌日から、芝居小屋で作品創りに明け暮れる。休みなど微塵もないけれど、楽しいのでよいや。
通し稽古もしたし、作品についての解釈を仲間と深める。演出家としてのあり方は外部とは全然違う。
それにしても、物語の中にはいくらでも宝物が埋まっている。アイヌのひとはクマを神様と思っているから、殺したらぜんぶ残さず食べて使うという。感謝と尊敬の念をもってしてわ、これでもかこれでもかと宝探しを続ける心が大切。
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2月9日
倒れそうだ!
2回目の初日だというのに、なぜこんなにたいへなのだ?準備が間に合わず、首や肩が凝り固まり、自分が倒れるんじゃないかとナーバスだ。体力自体はあるのだけれど、どうやら経験上、疲労が声に悪影響を及ぼす。その恐怖で、リビングデッドを逃れてデパートで食糧を漁るが如くスリルを胸に秘めている。
新しいグッズをいくつか出すことになり、たくさん関わっているのだけれど、分量を間違えた。手作業こそが最高の贅沢と思うので手作業を判断に盛り込んだはいいけれど、時間がかかる。武士ジェンの間から計画的に始めておけばよかったというIQ60000なご意見は最もだけれど、余裕ないほど地獄のスケジュールだったし、やはり、ひとつひとつ目の前のものだかに集中して愛を注ぎたい。
作業に追われ続けているのだけれど、稽古もしたいし、俳優として自分も調整したい。そんなこんなで、初日に間に合わないものも幾つかあり、申し訳ない。。ほんと、ごめんなさい( ; ; )
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出先でどうしても水を飲まねばならず、やはり躊躇したけど、悩んで買った。
いや、これ、ジュース!?水じゃない気がする。雰囲気は、マスカットガムを噛みながら水を飲んだ、という感じ。ミスった。
コロナ辛かった、現場のケータリングというのはどんどんと減ったのだけど、水だけはあったりする。で、この前の現場の衣装さんが「わ!この現場いろはす!?やったー!」とはしゃいで声を上げた。そこから、スタッフたちで水談義が始まった。果たして一番いい水はなにか?!と。制作スタッフが「私はこの前、現場でモデルさんからすごい良いというお水を教えてもらいました!」と胸を張ったのだけれど、その水がなんだかは思い出せないでいた。硬い水よりは柔らかいのがいいよね、とみんな話したのでした。
みんなはどんな水がすき?
友達のピアニストであるシモシュは、いつも近くの山みたいなところで水をくむ。ツアーで富士山付近を通る時は富士山の水を汲んで帰り、そして、家で呑ませてくれる時は、コップの中に謎の石ころを入れたら、石で濾過してくれたりする。生きてる水と生きてない水があるらしい。
魚って、もちろん海水を口に入れてく方針なんだろうけど、あれ、「飲む」って感覚あるのかな。生物みんな海から生まれたのだとして、そこから離れて、それでもやっぱり何か飲まないといけなくて頑張る人間たち、いじらしい。
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どうせ遊びだ、と考えるのがとても自分によい。生きていることそのものもだし、芝居でも、なんでも。
もちろん、美学ありすぎて、遊びの時でさえクオリティこだわりすぎて精神不安定になる子供だったのだけれど、基本的には「やりたくて仕方ない」の気持ちだ。
お金をもらってる真剣勝負の大仕事、だからこそ、くれぐれも心を遊ばせ続けないと。
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緊張感はそれなりにあるんだけど、自分は末原康志の息子だ、と思うと勇気が出ることがある。どういうことかというと、自分のスイッチの話で、「文学、芸術関係の自分」として舞台に上がるとなんかせせこましいストレスにまとわりつかれるんだが、「ロックンローラーの自分」と思うと、楽しくやれる。こんなこと言ったらロックンローラーのみなさんに申し訳ないけれど、でも、獣のように、本能のままに魂の叫びを喚き散らす、という幼き頃に憧れたステージマンたち、そのイメージが、いまでも自分を助かる。本当は何考えてたのかなんて知りやしない。でも、ふだんはさほど自己アピールなんかしないパパがライブで耳をつんざかんばかりのギターソロ始めた瞬間を思い出すと、自分はなんでもできると思てしまう。
パパ、誕生日おめでとうございました。息子は本日もみんなに天才だとなんだとチヤホヤされながら凄い作品を世の中にふりまいております。
楽屋で、兄弟喧嘩の話になった。さひがしさんとりんぺいさんにはどちらも子供が2人いて、基本的に、よく喧嘩もするらしい。たくまは?と聞かれて我がことを思い出す。
5歳上の姉がいる。確かに、喧嘩もしたことはある。あるけれど、基本的にはしなかった。姉を崇拝していたからだ。生まれてからかなり早い時期に自覚していた、自分が生まれてきたのは、姉を守るためなのだ、と。確信していた。調教されたという説もあるけど、本心だし、それが幸せでもある。姉が幸せに生きていくための弟だ。なんとなく、こういう思考回路が、いまでも自分の根幹をになっている気がする。
でもおそらく、姉も、同様のことを考えてくれているのだと、弟は感じていた。もしも自分がドブ川でワニにでも襲われたら、姉は間違いなく飛び込んで助けに来てくれるだろうという確信があり、実際にそうだったといまでも思ってる。
ウォーミングアップをすればするほど身体がクールにダウンしていくでお馴染みのゲマニョの芝居小屋。ストレッチや呼吸のことはしないと芝居などできるはずもなく、やる。サッカー少年だった時代もバスケ馬鹿だった時代も、冬場の練習は極寒だった。凍てつく風吹き荒ぶ中でストレッチなんて当たり前だった。
とは言えヨガマットを持ってきたいのだが、持ってき損ねてる。とは言え、今持っているヨガマットは薄く、そしてひんやりするやつだ。ホットカーペットみたいなヨガマットが欲しい。そうなるともう、絨毯か。
『ゲマニョ幽霊』は成功しているとしか言えない。産みの苦しみには悶絶したけれど、やっぱりたどり着くことができた。
建物の所有者が来てくれて、芝居を喜んでくれた。とてつもなく嬉しいことだ。
しかし、どうやらもう、今月の公演が終わったらもうこの場所で芝居をすることは2度とできなさそうなことも判明した。
その覚悟ではいたけれど、寂しさ混じりの焦りを感じる。みんな今のうちに参加して欲しい。その感情でいっぱいになる。
でも、この、今しかできないということに、奇跡の種も見出してる。
雪は嬉しかった。公演を中止にするかという議論が前日からなされ続け焦ったけれど、でも、それでもやっぱり雪は嬉しい。家に帰り着いた0時30分ころ、雪遊びしてやった。雪おぼろん。
とりとめもない文章になってしまったけど。とりあえず、またね。
きょうも、よいいちにちでありますように。よいいちにちにしようね。こころのもちよう。
かぜひいたりしないように。
たくさんわらうように
ないても、わらっておわるように
けんかしても、なかなおりするように
それでは、おやすみなさいをいうまで
おしあわせにいこう