例えば、パンダはパンダなのにパンダらしくないことを恥ずべきじゃないし、自分がいかにも典型的なパンダだったとしても、胸を張ればいい。みんなちがってみんないいし、みんなと同じでも、いいよ、あんた。
やりたいよーーに、なりたいよーーに、やればいい。自分と仲良しなあなたのことをみんな好きよ。
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初日が開けた。開くもんだな。すごい。睡眠不足を自慢するのは中学2年生で卒業したけれど、ほんと連日睡眠不足で、終わって帰宅すると清々しいほどに眠くって、眠かった。
演出助手というのは基本的に初日を終えたら幽霊になってスケルトン状態で僕らを見守ってくれる(もう来ない)存在なので、たつきともしばしの別れ。
帰りに「ありがとう」の変幻活用を繰り返しながら感謝を伝えようと思っていたんだが、もはや2人とも体力ゲージが真っ赤で、極めて残エネルギーゼロ%に近く、外で隣に座りあって空を見上げてしまった。同じ戦いを共に潜り抜けた者同士、言葉はあまりいらなかった。ブラック現場め。
「はやくねてくださいね」
としきりに言われた。たつきはいつも隣で心配性。今日も、「末原さん肌弱いから」と言って化粧水と乳液を持ってきてくれた。「明日から僕いないんですよ!?」としきりに小言を言い続けてた。いたらいいのに。
「朝、来ましたね」
と言われた。
「読んでますよ、ブログ。言ってくださいよ!」
と言われた。だから今度は
「すごいな、これが、夜から逃げずに朝を迎えに行って出会った夜だ」と言った。目の前には、どうみてもハイセンスとは言い難いものの、誰かをワクワクさせたい一心で煌々と輝くイルミネーションが光を放っていた。
演出卓で照明に照らされるうまい棒。食べ物として、自ら「うまい」と言う名を背負う潔さに美を感じる。
エンゼルクリーム。昔はこれ一択だった。最近は、実は他のも美味しいと言うことを知っているのだけれど、やはり生クリームという存在には惹かれてしまう。味なのか?もはや、生クリームとちう概念を食らってうっとりしないだけかもわからない。生クリームは、幸せな場所にしか住み付かない。
ミスドは緊張する。やはり、高級ファーストフードな気がしてしまう。いつもはおかわり自由のカフェオレを飲みながら執筆なんかをする。なぜかミスドの時だけカフェオレを頼みたいのはなぜなんだろう。カフェラテとカフェオレの違いについての説明を、何度聞いても覚えられない。それにしても、何もかも値上がりしてるとは聞いたけど、ドーナツもすごいんだね。「自分は何も変わってないんですけどね」と言ってた。
さあ、クチコミで動員を伸ばさねば借金だ!という包み隠さない真実はあるけれど、はっきり言って今回の作品、観劇のハードルはかつでないほどに高い。クチコミが広がるのも難しい。呪法劇のルールがあるからだ。
でも、いいのだ。なんか、ほんと、人にたくさん見て欲しいし、赤字は困るのだけれど、本当に観たい人がだけが足を運んでくれるようになりたい。
「ぜひお気軽に」とこれまで言ってきたけど、そりゃ、演目によっては本気でそう思ってるけれど、実際には、そんなに軽い関係は求めてない。こっちは、参加してくれるゲストのことを重く重く愛して作品用意してる。
「僕と軽く付き合ってくれ」と言う交際は、そりゃ、「どうであれ、そばにいたいんだ!」と言う文脈には存在するかもしれないけど、あまりに自分が傷ついていく。作品が可哀想だ。
なので、気軽というか、重く重く、気が重いなあ、くらいで出会う方が、今後長くお互いを幸せにできる気がする。
ただし、恋の始まりはどんなときも軽率であって欲しいとは思ってる。考えすぎたらよくない。ただ、互いのことを軽く見てはいけない。
お客様は神様だなんて思ってなくて、恋人とか家族のように思いたい。両想いでありたい心持ちですのよ。
劇場の入り口に絵を4枚飾ってもらえて、嬉しい。物語の一場面ではあるけれど、これは誓約には反さなかろう。
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信じられないほど寒くて困ってるのだけれど、それでも、本番始まって少し睡眠が取れるようになって、格段に元気。
冬将軍という言葉考えた人は、風刺画家なんだよね、確か。ナポレオンがロシアの寒さに負けて撤退したぞ、みたいなこと冗談めかして。実は風刺画家というもの、昔から尊敬してる。ロッカーだよね。愛してるを愛してるとは表現せず、バカをバカと罵らない態度、好きだ。ひとつ間違えればただのイジメ。最近はイジメめいたものもあるけれど。
ナポレオンの遠征、て、もはやファンタジーの世界の話だけど、ディテール想像したらやっぱり、そこにはたくさんのひとが死んだり殺したりしてるわけで、「死ぬ」にしても、血が出たり痛いわけで、即死か、即死じゃなかったら死ぬまでの時間の恐怖とかも存在してたわけで、それぞれに家族めいた存在がいただろうわけで。そして、冬将軍に守られてナポレオン軍に殺されないで済んだその誰か、そこから何年も人生を送ったわけだ。そこで、誰かを幸せにしたかも知れないし、後世に残る何かを成し遂げたかも知れない。いやいや、後世に何も残さないなんて、そもそもバタフライエフェクト的な意味合いで不可能なのだ、誰ひとり。
そんなこんなで、冬将軍を褒める。寒くて狂気の壺に閉じ込められてるような心持ちだけど、冬将軍の家の招かれてるんだ、と自分のはしゃぎスイッチをオンにする。
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戦争大嫌いで微塵も憧れはないけれど、白状すると、小さい頃にガンダムのカードダスを買ってもらった。ガンダムは、人生最古の親友であるコウヘイんちで流れてるのをチラ見したくらいしかなかったけど、カードは、やっぱ、当時、欲しかった。あんなに、何か物を欲しい時代が自分にあっただなんて不思議だ。
で、初めて買ってもらったときに出たのが、将軍ガンダムというので、キラカードだったんだ。ときめいた。ときめいたよ。ほんとに、信じられないほどに。一日中眺めて、肌身離さなかったような気がする。
光る物に胸踊るのって、カラスよろしくな動物的反応なのかな?
あれほどの心の幸せを、こどもたちに贈れる自分でありたいと思うのです。
子供たちと言えば、カンボジアの井戸、いよいよ完成とのこと。はやく会いに行きたい。上のジュロコロは、井戸の横に置く看板があるらしく、そこに載せてもらうために描いた。明るい色がいいよね、やっぱ。
暗い絵が好きだし、描く話も暗い自分だったりするのだけれど、一方で、喜ばす相手が明確に見えると、作風がガラリと変わる自覚がある。どちらの自分も恥じまい。嘘もついてない。
母が芝居観にきた。劇中歌がよかった!と褒めてくれて、うれしかった。音楽理論かじってないドシロートだからあんたの音楽は単純でいい、と言うような、褒めとディスが7:3みたいなことを前にも言われた。
やはり、生物にとって音楽というのはどうしようもないほど強力な元気の源という気がしてならない。
今年の夢は、またネコニー・コバーンを日本のライブハウスに呼ぶことなのだけれど、その時は、音楽にもっとこだわりたい。フルバンドでやったことは実は父たちのライブのアンコールで賑やかしでステージに乗り込んだ時くらいなのかな。いつかやりたいといつもおもっている。いつもおもってるのにいつまでもやらないというていたらく。
よき座布団つくった!新しいキャラクター、カタリペ。
さあてきょうもがんばるぞ。
がんばろうね。
たのしい、たのしい、たのしい
あのとき、あっちの世界で「生まれよっと!」てきめてよかったや
そんじゃ、3日目。
いくです