めばちこ。
ものもらいのことだってね、関西で。
関西人てすごい。日常の言葉の中に冗談みがある。「ものもらい」は、まあ、自分の作品に登場するキャラクターの名前みたいと思ったりもするのだけど、カテゴライズするなら「みなとみらい」「さむらい」「カレーはからい」など、ストイック寄りの音感だ。
めばちこ、て。
「目のここにできた、このこれ、なんか変だから、変な名前で呼ぼうぜ」
というスタンスが垣間見れすぎる。
もしくは
「目のこれは、つらい。ひとは社会的な生き物で、どんなに心の中に無限の宇宙世界が広がっているにせよ、やはり外界と繋がる自分の姿形にはこだわってしまう、だから、自分の目が腫れ顔が悪いと思うと気分も落ちがちだ。せめて、目のこのこれを、音だけは楽しく呼ぼう。なんと名付けようか?ううむ、駄菓子のような名がいいな。わたパチみたいな、驚きと甘みと楽しさに溢れるような名前がいい。もしくは、下町のナポレオンみたいな名前もいいな」
というスタンスかもわからない。
めばちこ。
ふざけてるって素敵だ。何事も冗談にしてしまうという精神的な腕力(なんだそれ)を持ちたい。
めばちこ。
オイラめばちこできました。右目に。年末だというのに。
ものもらいは、ひとにものをあげると治るのだっけ?あげる、なんでもあげるよ。取り急ぎ、愛と勇気とこういう雑文をあなたにあげるよ。
。。。。
12月30日だというのに朝から打ち合わせだ。良い、良い。いくらでもやる。
ここのところ、仲間と集まったりする。良い。素晴らしいスタッフとの新しい出会いも多い。凝り固まらず、人生の登場人物をいくらでも増やしていきたい。また、すごく昔に仲良かったスタッフと久しぶりに仕事することも増やしてる。数年ぶりに会う仲間というのは、古いが故に新しい刺激をたくさんくれる。自分のかつての良い部分をタイムカプセル的に知っててくれて、「お前はこうだよ」という、自分さえも忘れてしまってたことを教えてくれたりする。素晴らしく幸せだ。ワインよりチーズよりウイスキーより、熟成させるべきは人の縁だ。古い付き合い、というだけで価値がある。あとは、尊敬する表現者とも努めて会うなり話すなり連絡取るなりコミュニケーション取るようにしてる。良い状態な気がする。人間がたくさんいる世界に人間として生まれてきてよかった。
。。。。
そして締切に追われてもいる。ほんと、終始ハリソンフォードだ。逃亡者だ。いや、別に逃げちゃいないけど。そうだよ、逃げるイメージなのが間違ってる。向かっていくイメージにしてみようかな。あ、これは名案かも。
「いま締切を追いかけて冒険しているんだが、絶対にとっ捕まえてやる!」
おぉ。なんか、これは良い思考転換かも。
畑に転がっていたイモ?が良すぎて、キャラクターにした。祟り神に取り憑かれたイモ。タタリモと命名。ちょっとミュージックステーションの司会してそうだけど。
そう、この前、ライブハウスで、ライブと独り芝居のミックスみたいなのをやった。不老不死の化け猫になってしまった自殺志願者ネコニー・コバーンと、その親友であるドーコニー・ラブの、野良猫ものの物語。90分の作品だった。ベーシストの山内薫さんがサポートに来てくれた。贅沢にも、一緒に演奏してもらったら、本編中の音楽も手伝ってもらった。パパの親友だ。20歳くらいからの。だもんで、たくまは生まれた時からの縁だ。なんか、先月のある夜、0時もすぎた頃に電話んしてしまい、近況など話してたら、「手伝おうか?」て言ってくれた。本番、それはそれは幸せな時間だった。自分本人としては、もっと、もっとがんばろうとも思った。
自由であろうと思います。「もういい加減答えを出さねば」なんで思考が一切正解ではないんだな、くらいのことはこの一年でようやくわかったような気もして、おもいつくままにやりたいことがやるべきことなのでしょうとやっています。応援ありがとうです。チグハグなところはごめんなさい。
ジュロコロ基金。いよいよカンボジアに井戸ができそうとのことで、看板が必要となり、そのためのジュロコロを描き直した。大地に映えますようにと色を多く使った。
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いよいよ2022年最後の1日だけれど、特別に思ってもうまくいかなさそうなので、通常営業を志す。
大晦日の夜は母とワイン飲もうと話してる、家で、蕎麦すすりながら。紅白歌合戦はもうさすがに何もわからなさそうな予感するから、映画でも観るか?観ないんだろうな。
おやすみなさい、みなさん
よくがんばりました
ねろ、ねろ
ねるまでおきて
おきてるのにあきたら
おきるまでねろ
いいゆめみれますように
はつゆめ、というのもあれだけど
ゆめみおさめ、もどうかすてきに
おやすみなさい