散歩して水溜りを撮影してた。さむい。ついに、さむい。

みずたまりは、きっとおもう。

「わたしを撮ってるの?私にうつっている光をとってるの?どっち?」

「光を飲み込んだ君を撮ってる」


その光は朝になったらもっと大きな光に飲まれる。明日の夜にもまた似たように光るけれど、それは今夜の光とはもう別の光。


水溜りはたぶんその頃、もう、かわいて、いない

水溜りの中に入り込んだ光は光で、いろいろなことを思う。実物への妬み、実物から解放された安堵感、水溜りへの、信頼、愛、恋心、不安、共依存、刹那的な関係性に関する憐憫、倦怠感、水の冷たさへの安心、窒息の心地よさ、逆さまな自分への戸惑い、閉塞感、数時間後の想像、数時間前の懐かしさ、夜の美しさ、夜の優しさ、哀しさ、嬉しさ、寂しさ、痛さ、あたたかさ、幸せ、いろいろなことを思う。


水溜りに飲み込まれた光が泣いて涙をこぼして水溜りすこしだけこっそり大きくなる。


こっちからあっちに向けて撮っているからここに、あっちのものがうつるので、それを逆さまにしたら。そんなのは、成立しない。それが不思議。当たり前か。でも、不思議。不思議なことが当たり前なこの世界が不思議。

脚本監修で参加したこのドラマ、とても好調とのこと。撮影現場には参加していなかったので、映像になったものを見てみると不思議な気持ちにもなる。

名前が呼ばれたり書かれたりするのは、名前をくれたひとたちが喜んでくれそうな気がして、よい。


そういえばこの前、「名字分布チェッカー」みたいのをみつけて、やってみた。末原はそこそこに珍しかった。でも、母方の名字のほうがもっと珍しかった。


さらに、今日、『キャガプシー』という過去公演について取材してくれた古い記事を調べようとした。全国からゴミや不用品を送ってもらい、それで衣装と美術を創ったことも話題になった公演だったので、「ゴミ 末原」と検索してみたら、末原産業というゴミ業者のサイトが出てきた。なんか、うれしかった。遠い親戚のあなたのことを思います。ゴミについての物語は、本当に多く描いてきた。問題意識があるのだ。DNAがそうさせたのかなぁ


人形を作りたい。布の端切れが欲しいと思う。買うのは、なんかいやで、世界にこんなに布が溢れているのに、捨てられまくってるのに、わざわざ、新しい布を買って切り裂くことにすごく抵抗あって、よし、じゃあ、あんまり着なくなった服を潰して人形に着せよう!という、古き良き日本ぽいことをしようとするのだけれど、服を潰す勇気がもてなくて、だめ、別れたくない、いまのままの君でいて欲しいんだ、と、古い服抱いてわんわん泣いてみるようなトンマなタクマ

オボロン、すきだ。推したい。オボロンの物語などとともに世に広めようと思っていた時期もあるというのに。語尾に「ぼろん」がつくオボロンがTwitterを運営しているもので、公式Twitterもぼろんぼろん言ってるんだけど、もう、最近ファンになったひとなんて、「なぜ!?この劇団、どういうこと!?」ってなってるとおもう。


未来のこと考える暇があったら今のこと考えたほうがいい、というときが、ある。


一方で未来のこと考えて、だからこそ、今を大切にしろ、というときも、ある。


今を輝かせるために、未来のことを想像しろ、というときは、いつもだ。


想像ってのは、未来のためにするんじゃない。いまを輝かせるためにするんだ。


。。。。


今日何日?13日か


と母に言ったら


「そぉよぉ、13日の水曜日ぃぃぃぃ」と、ホラーっぽく言われた。


。。。。



大切な過去をそのままにしておきたいという気持ち強すぎて、過去に手を触れたくない。だけど、そうすると過去は過去のものになってしまって、どんどん命を弱めてく。大切な過去だからこそ、手を加えて、変えていってあげる。それが唯一、過去をいつまでも遺せる方法なんだ、と、納得する。僕らもうあの頃の未来を生きてしまっているんだ、それは、仕方のない、そして素晴らしいこと。受け入れたい。受け入れるんだ。受け入れたい。


過去のために生きたいと願う自分は、どうしてもいてしまう。でも、たぶん過去は、未来のために自分が存在していたいと、きっと思う。遠い未来に過去として思い出される今の自分として、そう思う。

。。。


遅くなってしまった。水溜り撮影会のせいだ。こんな時間にお休みと言っても、きっと、おはようのタイミングで読む人多いと思うのだけど、でもいまこの瞬間に眠りにくい誰かのために、いまは、おやすみをいう。朝読む人、おはよう。おはやう。きょうもがんばろう。


今から眠る人


おやすみなさい


あした、おはようをいうために、

おやすみなさい


あさって、おはようをいうために

こんや、いま、おやすみなさい


来年の今日、おはようをいうために

こんや、いま、おやすみなさい



いま、たのしくねむるために


おやすみなさい

ということばを、


おまじないのように


せーのっ


おやすみなさい