7月8日の日記を書いている途中で意識がなくなってしまった。自覚はなかったけれど、疲れていたのかもしれない。でも、せっかくだから、忘れてしまいたくはない日だったから、投稿します。

 

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7月8日。

誕生日。パパの告別式でもある。

 

告別式前夜、父のお別れ会の輝きぶりに心はちゃんと火照りながら、母と姉と倒れるように帰宅した。で、こんなこと言ったらなんだけれど、次の日が嫌で仕方なくて、眠ろうか眠るまいか悩んで夜中に散歩とかし続けたけれど、丑三つ時を越えたくらいから、どうにも体力の限界になって、寝ちゃった。

 

朝は早くて、バタバタ。家族全員、忘れ物したり、なんだり、たくさんドジで、大丈夫か、たどり着けるか、と言う感じで、だけど、どうにかたどり着いた。パパは一晩、祭儀場でお泊まりだったわけだけれど、ホテルとか、たまに泊り先でひとり過ごすのは集中力高まって好きだといつも言ってたし、ひとりで泊まるのも機嫌よかろうと思った。だって、祭儀場は、相変わらず、完全に花畑だった。

 

パパのためだけに用意された花畑の前で、ママの写真を撮る。うちの母は美人だ。昔は絶世の美女と誰もに称されていたようで(いろんな人から噂を聞いた)、父がお気に入りの母の若い頃の写真は、あたり一面のコスモス畑の中で笑う母。その後も、ポピー畑に行ったり、なんだか、花畑に母をつれて行くのが好きだった。祭儀場に突如現れた花畑の前で美しく、悲しそうだけれど、でも、パパのことを思ってどうにか笑う母を見て、ああ、なーんだ、これ、パパがママに贈った花畑なのか、と思った。パパのためにプレゼントをしたつもりが、パパからプレゼントされてたのかもしれない。完璧な関係になった者たちにとって、贈り物って、贈りながら贈られて、贈られながら贈っていたりするようになる。「もらってあげる」。そう言うもんだ。

 

ごめんなさい、いくら日記とはいえ、あんまりいろんなことを生々しく書きたくはないぞ、と思ってはいるのだけれど、頭の中のことを自分で検閲かけて文章化するのがうまくいかなくて、なんだか、ごめんなさい。つらつらと、書きすぎたり、書かなさすぎたり、しばらくそんな風だと思います。

 

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告別式とかについては、実はあんまりよくわからない。そう言うの大事にしないと、と言う人もいるけれど、とにかく、すごくすごく、やりたくなかった。「告」て言う時は、なんだか緊張感がすごい。ちゃんとしろよ、と言うかんじ。やったが最後、後には引けぬぞ、と言うかんじ。やだ。そう言うのを一生懸命に避けて生きてきたって言うのに。泣きそうになりながら、必死に「告別式」を漢字分解する。「別れを告げる式」。えーーー。。。別れ、か。うーん。別れ?ううむ。別れか。じゃ、まあ、なんか今日は、あんまり深く考えないでおこう。

 

別れを告げる気は、あんまりない。死んだ人とはお別れしないといけないと言う考え方が、そもそもソースが怪しい。水道橋のGロッソと言う劇場で、本番を終えた時刻に父は危篤に陥った。偶然と思う方が不自然だ!と、僕はこれを、必然と捉えたい。で、もし必然だとしたら、それはなぜか?と言うと、父がGロッソで行われていた公演の終演時間を、何かしらの方法で知り得たと言うことになる。どうやって?わからないけれど、テレパシー的な何か?もしくは、幽体離脱?え?本番見てた?わからないけれど、何かしら、肉体という概念からしたら解明できないような何かが、起きていたように思う。父の肉体は、まあ、多分、実際、どっからどう見ても、動かなくなってたけど、でも、なんか、それだけのことかな、と思ってる。だから、別に、別れなくても良いと思ってる。パパはオバケになった?わかんない。なってればいいのに。夜に墓場で運動会はしなくてもいいけど、日がな一日、ずっと音楽室で演奏会をやるがいい。

 

非科学的なことも言いますよ。

そもそも、僕ぁ物語の人なんだから。

 

 

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葬儀場で父のお別れ会が話題になったと聞いて、ちょっとすごく嬉しい。ライブが話題になるのはとってもいい。いろんなスタッフが「すごいですね」「ちょっとのぞいてもいいです?」って、わざわざ見にきていたらしい。まあ、LED照明ビカビカ光って、爆音鳴り響いて、中は花畑で、ロックライブ繰り広げられてるんですもん。前代未聞だそうだ。しめしめ、って思う。ちょっと交通の便が悪いところで、タクシーを利用してくださった方も多かったようなのだけれど、駅からこの場所に向かう人があんまり多いから、タクシーの運転手さんが「今日、何かあるんですか?」って言ったって。ロックフェスです。とびきりパワフルな。

 

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友引だったんですよね、7月7日。この日に火葬すると、友達を引っ張ってっちゃうよ、みたいな日。だから、たまたま、葬儀場が、いろいろ自由に借りれた、って言う幸運もある。さすがはパパ。

 

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父は闘病を隠していて、また、痩せている状態で人に会いたくないと言い続けた(入院中も、ギリギリまで、先生に隠れながら筋トレを続けていた。で、ちょっと、腕が腫れて怒られたりしてた)。だから、親しかった友人の方々やお弟子さんたちは突然の訃報に驚いて、「生きてる間に会いたかった」と口々に訴えてくださった。そうだろうな、そうでしょうよ、と思った。父よ、突然いなくなられる相手の気持ちを考えろよ、と、思う。「知らなかった」「教えて欲しかった」「毎日投稿されるお花の写真とか、元気な言葉に騙されてた」・・・人を悲しませないことをモットーに生きていた父の、だけれど、どうしても曲げられなかった、超頑固なプロフェッショナリズム。

 

ずるいなあ。棺桶の中の父は、はっきり言って本当に美しくカッコ良かった。みんなが、そう言った。父め、ついに、おじいちゃんにならなかったんだな、とおもった。我が家はいまだに両親のことをパパママと呼ぶ。小さい頃、姉も僕もある段階でそれが恥ずかしくなって「父ちゃん」とか「父さん」とか、言ってみたことがある。即却下された。「やめて。老ける。」って。老けないまま逃げ切るだなんて、・・・これが、父の生き様か。

 

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「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」の返事がわからないな、と思って困ったので、インターネットで調べてみたら「ありがとうございます」が正しい、とある。

 

でも、なんか、昨日なんかは、父はみんなのものだ、と思ったもので、悲しいのこっちだけじゃない、と思い、「こちらこそお悔やみ申しあげます」と言いたい気持ちになった。

 

または、頑張ってでも「大丈夫です!」とか「がんばらりましょう!」とか、「悔やまないでおきましょう」とか、そんな感じかも知れない。父なら「Yeah!」だったかもな。

 

「さみしくなります。さみしいです。」

 

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父の体。すごいなと思う。あの体に、指先に、50年以上毎朝毎晩かけて培った技術と知識と感性が詰まっているのだ。USBを挿して抜き出したりできればいいのだろうけど、そんなことできようもない。筆跡とか、指紋とか、声紋とか、そう言うのがなぜか全員違ってしまうように、父は父だけの音を持っていた。おそらく、僕だって、あなただって持っているのだろうけれど、父は、その自分の音を磨き続けた。速弾きだとか、トリッキーな音作りに誘惑されることなどなく、ただただ、自分の理想とする音楽を頑なに信じて目指した。人間の体って、すごいな。いろんなものが詰まってる。すごいな。価値が、すごい。すごい。これは、父だけじゃない、みんなの体が、すごい。

 

 

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誕生日の夜は、家族でお肉を食べた。鹿児島にいる友人から贈ってもらった上等なやつで、父が食べるのを楽しみにしていたやつ。冷凍庫で、時間を忘れ切った様子で氷漬けになってた。そのまま、ずっとそこで凍っていて欲しいと思ってた。何年も、何十年も。

 

母が、「たくの誕生日にたくが食べるのがパパ嬉しいよ」と言った。

もしも本当にそうなら嬉しいよ、と思いながら食べた。

 

誕生日ありがとう。

たくさんたくさん笑った。ゲラゲラ笑ながら、家族で過ごした夜。

 

3人で食事をしていてもそこまでの違和感はない。パパ今日遅いの?くらい。「何もないって証明してみろ!」って言うのは日常でもとても困ることで、何かが存在している違和感はわかりやすいけど、何かが存在していない違和感て、わかりにくい。わかりにくいままで、いてくれたらいいのにな。

 

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7月10日と11日にはバースデーイベントがある。正直、父のことを心配していて、この時期に開催することそのものにそもそも不安があった。自分が自分のバースデーイベントでみんなに祝われている時にもしも父に何かあったら?そんなの、一生僕は僕の誕生日を嫌いになる。

 

でも、僕が主催するMonogatalinaというオンラインサロンの運営チームが計画してくれて、僕は、「きっと大丈夫!」という願掛けの意味でも、ゴーサインを出した。

 

父の訃報を受けて、運営チームが「開催を取りやめるのがいいのでは」と気遣ってくれた。さんざん準備してくれてるのに、中止にするだなんて、ものすごく大変なことだ。でも、僕の心と体を心配してくれた。それに、観客だって、どんな気持ちで拓馬を祝えばいいのだ!となる、とは思う。はしゃいでいいの?どうなの?という感じ。

 

僕自身は優柔不断なので、母と姉に、相談した。

二人とも即答だった。

 

「やった方がいいに決まってるじゃん」

 

ま、そうだよな、と思った。「パパはあんたの誕生日を死んでも祝うだろうし、自分の死が息子の誕生を祝福することを打ち消すことを、絶対に望まない」と言われた。なんなら、少し、怒られた。

 

なので、やります。

僕は、自分が生まれてきたことが自慢なので、誇らしげに、明日と明後日は、「どうだ、生きてるってこんなにすごい楽しいんだぞ」と、思う存分、そこにいます。

 

2日で5ステージという物凄い詰め込みようなのだけれど、トークメインの回とか、創作しまくる回とか、各種取り揃えています。とはいえ、あんまり何をするかは決めてなくて、大量の絵とか、楽器とか、末原拓馬の体と心とか、いろいろ持ち込んで、思うがままに遊ぶつもりです。遊びにいらしてくださいな。

 

 
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とにかく、一流になろうと思ってます。
誕生日なので、抱負です。
 
自分の表現が合ってるかどうかの判断を、他人に委ねない。
誰に認められようと、自分が違うと感じていたら、違う。
自分が納得しない限りは、誰になんと言われようと、それは完成じゃない。
 
心して生きていきますので、どうぞよろしくお願いします。