●あらすじ●
窓から入ってきた少年は、男の目の前に瓶を掲げて言った。
「海を盗んできた」
瓶の中に閉じ込められた海を見つめた初老の男性は、この少年に見覚えがある気がする。
「ベッドにつかまって」と少年は優しく叫んだものだから、男は慌てて従った。
瓶が床に叩きつけられ割られると、中から海は溢れ出し、ベッドは大海原に浮かんだ。少年は言う。
「お前を裁きの場に連れてゆかないといけない。」
「俺が何をした?」
「夏休みの宿題をまだ提出していないだろう」
「・・・いつの話だ?」
「小学3年さ」
「バカ言うな、俺は今年で59歳だ」
「なんてこった!だったら早く提出しなければならないな。さ、シーツを帆にして風を受けるんだ」
男は困ってしまった。
「今夜は眠り薬をたらふく飲んだ。せっかく、死のうとしたのにな。」
目の前に広がる海は、あまりに美しく輝いていた。
おぼんろ最新作は、夏の夜に繰り広げられる老人による不思議な海の冒険譚。
今を生きろ。今、ここにある美しさに目を凝らせ。それでダメなら想像するんだ。心の底からのしあわせ願いながらに。
●コメント●
1年ぶりの新作です。幸せの権化みたいな物語を創るにはどうしたらいいのだろう、と日夜考え続けてます。
素敵で大切な1年でした。世界がどうであろうと、僕は愛する人を愛し続けたし、毎日を一生懸命過ごしました。
人には言えない悲しみや怒りをこっそりどこかで叫びたくて物語を創ることもあります。でもそれはとっても自分の心に余裕が残っている時のことで、本当のところ、いまのぼくには、そんな余裕がない。神様は、泣いても許してくれない。嫌なことを本気で嫌だと言っても、淡々と時計の針を回し続ける。ならばせめて、僕の大切だと思う人を笑わせることが、いま僕のしたいことだと思いました。
この文章を発表したこの瞬間から初日の8月12日までの間、僕にもあなたにもたくさんの出来事が起こります。それでも、何が起きても、僕はこの作品をあなたに届けます。届けられるように、創り続けます。それが僕のお祈り。生きる手がかりだから。
僕は幸せなのです。僕を幸せにしようと命がけで戦ってくれた人たちのおかげです。だから僕は、いかに自分が幸せか、どれほどに幸せを願うことのできる僕になれたかを、ちゃんと伝えたい。2021年8月、ただただ、大笑いをしたい。この先いつか泣いても泣いても忘れないような、大笑いをしたい。
目を凝らす、この瞬間の世界の美しさに、過ごしてきた時間の美しさに。もしも何も見えなかったとしても、僕らには想像力がある。一番きれいな瞬間を想像する。
おぼんろ第18回本公演。お会いできることを心から願ってます。
キンキラキンのラブをあなたに。
あなたがくださったものだから、上等にしてお返しします。
末原拓馬
おぼんろ本公演、随分と久しぶりです。昔は、僕を知っている人は、イコールおぼんろを知っている人、みたいだったけれど、いまはぜんぜんそんな事はないかもしれません。
どうか、観に来ていただけたらとおもいます。僕の外部の仕事を通じて僕のことを知ってくださったあなた、どうか、ほんの少しだけの勇気を振り絞って、会いに来てもらえたら幸せです。
心を込めた作品をご用意しています。まだ悩んでいただいても大丈夫ですが、8月12日から17日、いちおう、スケジュールチェックだけしておいて欲しいと願っています。
描きたいこと語りたいことがありすぎる。毎日少しずつ、記します。
情報公開、父と一緒にツイート開いて幸せに笑いました。父の音楽も同時に公開したのです。リアクションしてくださった皆さん、ありがとうございます。動画が5500回も再生されてる!って、数が、嬉しかった。僕らには嬉しかったのです。ありがとうございました。ほんとうに、ありがとうございました。
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『黒と白』。マルートはハルートのことがとにかく大切。物語で描かれる「好き」「大好き」「愛してる」って、とってもとっても想像はつくのだけど、でも実際、僕らが肉体を通して、時間というものの中で抱くそれらは、とっても複雑だ。
好きだから、どうしたいの?大切だと、どうするの?
感情は、言葉じゃ表現しきれないし、見た目だけでも示せない。
誰もが想像できることだし、誰もが持っているものだけれど、誰も理解も支配も制御もできないもの、それを、無理矢理にでも呑み込んで、外に放っていく。僕は、俳優に託された使命というのは、そういう、生半可な人間では行きつかないことな気がしてる。
探し求め続けたい。
遠くから真っ黒な雨雲が近づいてきて、頭上まで来たからついにびしょ濡れを覚悟したのに、雨を降らさない真っ黒な雨雲だった。嘘の、見た目重視の黒さ。日焼けサロン雲。パリピ雨雲。
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ごーきと初めてラインした。やさしかった。鏡うつしみたいな役だけど、たぶん、たしかに、我々は似ているのだろうな、となんとなくおもう。似ている部分をたくさん見つけたいなとおんなじくらい、違うところをたくさんみつけたい。
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お祈りをたくさんしてる。お祈りの方法はたくさん知ってる。教わったものとか、自分で編み出したものとか、いろいろ。ちゃんとしてる必要は感じてない。超常的なことがおきないなら無意味だった、と思うほど生半可な気持ちで祈っちゃいない。同時に、気持ちや念が、なにかものすごい奇跡を起こすと思わないほど、マヌケでもない。世界を科学や物理で分析し切れると思ってるほど、神様に対して無邪気じゃない。
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寝ても寝ても寝足りないような、起きても起きても眠くならないような、そういう感じ。
夢の中は妙に現実的で、醒めてからの現実はあまりに夢みたいだ。
夢見心地、と、現実味がない、は、同義語じゃない。「現実的だ」ということばは生やさしくて、「的だ」というからには現実ではない。
現実だ。
それが一番怖い言葉かもな、って思う。でも僕らは、現実を求める。
それがわかってるのに、非現実の、つくり話を、またもや、やろうとしてる。
現実から逃げる場所じゃない。現実を生きてく時に、ポケットに隠し持ち続けられる、非現実だ。
根も葉もないつくり話は、実在するか。
実在する。だから、僕らの現実の世界に、作用する。
つくるのに材料はいらないし、無限につくれる。僕らはいくらでも世界を変えられる。そんなことを、考える。
今日は、書きすぎそうなので、このへんでおひらきにします。朝までずっと文字を打ち続けていてしまいそう。
おやすみなさい。
6月25日を、どうかどうか、覚えていましょう。僕は今日、今日を覚えていたくて、途中、メモをとりながら生きていました。そんな暇あるなら、全力でいまを目撃して、心が動くだけ動かすんだ、と思ったけれど、それでも、忘れることが怖くて、メモをしていました。宝物しか転がっていない世界でした。宝物は、あんまり増えると稀少性が減って価値が下がると思われがちだけれど、本当の宝物は、何が起きても永遠に宝物なのだ、と思いました。
だめだ、またたくさん話し出したる。ごめんなさい。
おやすみなさい。
また明日。どうかどうか、お願いだから、また明日。おやすみなさい。
おやすみなさい。