深夜まで作業だったもので、朝方の更新。

 

昨日はサウンドトラックのレコーディングだった。ご存知の方も多かろうけれど、おぼんろ劇盤の音楽監督は末原康志、実の父が担当している。自分の創った物語に父が音楽を添えるというのは不思議なものだけれど、そんな物語を創る自分が形成されたのは父のおかげなのだという気もする。

 

何ヶ月も前から物語を伝え、父が作曲をしてデモ音源を創った。それをスタジオ入りして、極上のミュージシャンたちの演奏でレコーディングする。レコーディングスタジオのようなところは子供の頃からたまに父について遊びに行ったものだったけれど、まさか自分のために父を連れて行くことになるという日が来ようとは。

 

朝早くから父と2人車に乗ってスタジオにいく。

 

ミュージシャンたちは極めて豪華だ。

Guitar & 末原康志

Bass 山内薫

Piano & etc 片山敦夫

Violin 今尾千香

Recorded, Mixed & Mastered by 天童淳

 

連日他人の褌で相撲をとってばかりで申し訳ないのだけれど、日本のスタジオミュージシャンたちの中でもトップの中のトップ。そんな肩書きはともかく、とにかく、レコーディングの有様が魔法を目の当たりにしているようで驚愕する。音楽のすごさを言語で表現するなどと言う無粋な真似はしないが、地下にある音楽スタジオの中に物語と景色、感情がいっぱいになった。

 

これまでの公演での楽曲も、いつだって音楽ひとつで物語に引きずり戻される、御守りのようなものになってきた。音楽は、繰り返し聞かれ、口ずさまれるたびに魔力を増して命を得て行くんじゃないかと拓馬は個人的には当たりをつけてる。

 

テーマ曲は極めて明るい。半年ほど前に父と打ち合わせた時に、今回の『メル・リルルの花火』の概要を伝えた。正直に包み隠さず丸ごと言うと、今回の物語の世界の中で巻き起こっていることたちは、決して生易しいものではなくて、その中で誰もが痛みと苦しみを伴って生きている。

 

だからこそ、涙が出るほどに明るく幸福で、能天気な美しい音楽をテーマにしよう決めた。

 

レコーディング中、なんどもなんども涙を流した。幸福な涙だ。はやくみんなに贈りたい。ただただそればかりを思う。物語が終わった後も、独立した音楽として、長く長く、人の心の寄り添って欲しいと思う。

 

日付変わってからもレコーディングは続いた。

どうか『メル・リルルの花火』の音楽が、たくさん愛されますように、なんてことを願う。

 

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世界のわけわからなさは加速していくばかりで、物語の中よりも物語のようだ。けれど悲観しても批判しても仕方がない。不平不満を言っても現実は押し寄せてくる。

 

僕らは闘って見せる。いくらでも。だけれど僕は今回の一件、命の危険を前提にして極めて冷静だ。

 

自分の人生に関しては無鉄砲を武器にひた走ってきた。どれだけ貧乏をしようと構わないと思ってきたし、自分が負債を抱えても構わないという博打をしてきた。二階から飛び降りて右足首を粉砕骨折したこともある。芸術のためなら恐怖さえも麻痺させてきてもいいと思ったし、一か八かテントを建てた時もその博打は清々しい気持ちだった。だけれど、それは全て、賭けに負けた時の痛みが自分にだけのしかかる場合だったからだ。

 

大切な人の身を危険に晒す博打は是が非になろうともしてたまるものか。

 

そして、僕は自分が物を創る責任を他の誰にも託さぬのと同様に、自分たちの幸福を医学にも、ウイルスにも、政治にも託さない。大切な人の幸福だけは、他人任せにしない。そのために、考えに考えて考え抜いて道を想像して、切り拓くための苦労は、それは、上等な苦労だ、大歓迎だ。

 

万に一つも参加者を病気に晒さない。それと、参加者に準備していた公演が突如中止になった悲しみに、参加者もカンパニーのみんなも、晒したくない。僕は演劇は演劇人のために存在する必要はないと実のところ思っているけれど、それでも、友人たちの笑顔を守れなくて何が芸術家だ、とも思う。

 

「ピンチをチャンスに」なんて言葉もあるけれど、正確にはピンチもチャンスも世界にはなくて、現実があるだけなのかもしれない。現実の中でどれだけ、絶対に成したいことを見極めて成していくかだ。それが容易な時も困難な時もある。それでも僕は、僕らは、大切な人の幸せだけは絶対に諦めない。神様が交通どめしたくらいで諦められる道なら、ハナから進まないほうがいい。

 

唯一つ言えるのは、大切にしたいと思える周りの人間がこんなにも多いことは、僕に渡された最高のラッキーだ。そんなことを思った。