おぼんろって本番の時、白塗りで目から涙が溢れてるメイキャップなんだ。これ、ファッションではなくて、「世間て涙に溢れてる」て僕が思ってるから。

僕はひときわ落ち込みやすくて、泣き虫だ。だから落ち込みやすい人の気持ちはわかる。そういうひとに、なにかしてあげられたら嬉しい。

「涙なんて存在しない世界」を描くのもエンタメのひとつのやり方。だけど僕は違って、世界が残酷なことも悲しいことだらけなのも認めて、その上で

じゃあ、どうやって生きる?

てことを探すことにしてる。これは、だって、僕自身がそうやって生きてるから。

コロナ、すごいね。

どこのビョードロが創り出したのか知らないけど、得体の知れぬクグルが流行りはじめた。

公演やイベント中止について世間でも話題になってるけど、でも、この話題は、今日はおいとくね。とてつもなく長くなっちゃうから。

ハッキリ言って、コロナのことは僕にはわからない。それは、科学者とか、お医者さんに任せるしかない。僕には薬は作れないし、感染について詳しく調べることはできない。政治家のようにお金を使って素晴らしい対策を練り出したりもできない。

僕は芸術家だ。僕は、僕が為すべきことをする。

「落ち込まないで」

って言いたい。そんなこと言っても僕自身がすごい落ち込み症なんだけど、でも、こんな今だからこそあなたには、なるべくトンチンカンに、あっぱらぱーに、楽観的に、オメデタイ奴でいて欲しい。

恋人がいたとする。3日間会えないことを不幸と思うのも自由だけど、3日後に会えることを想像して幸福に感じるのも自由。

僕らは世界を物理的には変えられない。

だけど、世界の見え方は変えられる。世界との関係性は変えられる。世界の感じ方は変えられる。感じ方がすべてだ。

誰が首謀者かはわからないけど、誰かが手ぐすね引いて、僕らを落ち込ませよう、落ち込ませようってしてくる。だけど、落ち込むもんか、だ。

僕も3月のとてつもなく楽しみにしていたイベントがいくつか飛んだ。僕の周りにいる大切な人たちの中にも同じような境遇のひとがたくさんいる。経済的損失もすごいけど、問題はそこじゃない。

落ち込んじゃうんだ。
悲しいんだ。

一生懸命準備していればいるほど。
楽しみにしていればいるほど。
大切であればあるほど。
誰かのためであればあるほど。

気力もなくなりかけて、ゾンビみたい。


どうか、落ち込まないでいて欲しい。


イベント関係のことばかりじゃない。病気が蔓延すると、みんなの心はとにかく乱れる。負の感情はたくさんある。よくわからない病氣がどこにもかしこにも潜んでこっちを狙ってる気がして、なんだか、常に怖い。なんでよくわからないんだ、って、そのことが腹立たしい。絡め取られる。嫌な気持ちに、絡め取られる。

絡め取られないで欲しい。
その方が、幸せだから。

でも、難しいんだ、これが。本当に、難しい。自分で自分を元気にできるひとも中には居るだろうけど、僕は違う。落ち込んだら、もう、ただただ負の感情の底なし沼に沈んでく。

助けてあげられるのは、周りの人。

君が落ち込んでいる時に、君の友達は元気だったりすることもあるだろう。逆に、友達が落ち込んでいるときに、君は元気なこともあるかも。そしたら、友達の前で、ひたすらふざけてやればいい。

ハッキリ言って、落ち込んでくるときに隣でふざけてるやつは本当にウザいし、そいつが自分を慰めようとしてると思うと腹が立ったりする。それを自分もわかってるから、僕らは歳をとるごとにひとを慰めたり励ましたりするのが怖くなる。

だがしかし、ひるむもんか、とばかり、底なし沼の中に手をズブズブ沈めて、友人を救えるような僕でいたい。

自分のためには頑張れなくても、僕らは大切な人のためだったら頑張れてしまう。このまま僕を助けようとしたらお前も底なし沼に沈んじゃうぞ!と思ったら、沈んでる方もおちおち沈んでいられなくなる。それでいいんだとおもう。

落ち込んでる人を見かけたら、なるべくアホンダラな方法でもってして、ウザがられてもいいからちょっかい出そう。オススメはもちろん会うこと。隣で一発芸とかね。愚痴を聞くだけでもいい。その暇なかったら、メール、ライン、電話。費用対効果はたぶん最高だよ。あなたにはすごい簡単なことでも、相手にはとてつもない救いになる。

合理的ではない?くだらない?

だからどうした。

非合理的でくだらない手段で世界を美しくしていくのが、我々なんだ。