クリスマスイヴの夜はワンマンショウだった。吉祥寺スターパインズカフェにて。もはや実家。「スターパインズはライヴハウスとして由緒正しいところだ」と聞いて育った幼少期。まるで実家の一つみたいにこのライヴハウスに入り浸っている今の自分が不思議。

クリスマスに関するスタンスは人それぞれだろうけれど、好きに過ごせばいいと思う。クリスマスだけじゃない。どんな日であろうと、誰もが幸せになろうとして、自由に過ごすのがいい。もしも、クリスマスイヴを少し特別に思っていて、一緒に過ごしたいと思ってくれる人がいるのなら、俺はそんなみんなとそばに居られる場所を創って、持ち得るいくつかの物語や音楽を贈ろうと思った。

 

 

この国では、よほどのことがない限り、みんながサンタクロースのことを考えたことがある。贈り物をもらったことがある人も多いだろうし、会ったことがある人もいるだろう。いつの間にか疎遠になってしまった人もいるだろうし、最近では酒を酌み交わすようになったり、もしくは、憧れすぎてサンタクロースに弟子入りして、今や自分がサンタクロースになった、っていう人もいると思う。

 

一億総勢サンタクロース。

 

俺は自分が人間として生まれた理由も、神様がなんで人間を創ったのかも、想像はできるけれど、知らない。それとおんなじで、みんな、なんかよくわからないけど、サンタクロースやってる。でも、それが素敵な存在だと知っているからこそ、こんな自分がサンタクロースでいいのかよ、とも思う。俺だってそうだ。「クリスマスイヴにみんなに物語や音楽を贈りたい」だ?どの面下げてそんなこと言えるんだよ、って言われたら、立つ瀬もない。でも、そう思うんだから仕方がない。愛に資格は必要ない。あってたまるか。

 

俺は、ほとんどの人がクリスマスの意味や大切さなんて知らないこの国で、なんかみんながサンタクロースを愛してて、なんかみんながサンタクロースとして誰かを幸せにしたいって思う、その現象をすごい好きだ。宗教なんてどうでもいい。サンタクロース教で十分。クリスマス教で十分。バカで結構あさはか上等。そこに神様はいる。生まれてしまうように思うんだ。

 

この夜は、グランドピアノとマイクだけステージに用意してもらって、ほとんどプランも立てないでそこにいることにした。心のままに行う雑談と、ピアノと、弾き語りと、物語の朗読。即興での歌とか物語もあったね。吉祥寺って人によってはそれなりに遠いから、終電を気にして、なんとか2時間半で終焉。よくできました、だ。前は3時間半くらいやってしまって、怒られた。時間の感覚のなさは自分でも呆れる。

 

やった朗読は『西暦12019年の冬』という、保健所にいる野良犬がサンタクロースを待ちわびるという物語。ある時に飛行機に乗っている時に天から降って来たおまじないみたいな詩があるんだけど、その詩から始まる物語を、4バージョン創ったことがある。この夜やったのは、愛し合ったけれど恋人(犬)が先にガス室送りになって死んでしまうことになった野良犬たちが、自分たちはきっとソウルメイトだと思い込むことにして、輪廻転成の果てにまた会おうと約束する物語。

 

他のバージョンについても、フリートークで語った。

もう一つの朗読は『世界で一番長い贈り物』っていうやつ。ある少年が毎年クリスマスの朝にサンタクロースからもらうプレゼントを楽しみにしてる。そのプレゼントで、パパと遊ぶのが最高の時間だからだ。なんだけど、この年は、サンタクロースが来るのが絶対に嫌だと思ってる。なぜなら、今年は、パパがなぜかどこかに行ってしまったからだ。
 
どちらの朗読も、かつては独り芝居でやったものを、朗読でやってみた。最近、朗読が好きだ。贈った相手が想像力をたくさん使って、自分の物語にしてくれる。俺はおそらく日本でも有数の独り芝居の名手だと思うから、俺をみて感動してくれるのも嬉しいんだけど、言葉だけを頼りにみんながみんなの心で物語の中の光景を想像して、物語の中の体験を思い出にしてくれる、それも素敵だと思うようになった。
 
どちらの物語も、またやりたいな。来年も、できるかな。

 

ピアノ。メンデルスゾーンの「天には栄え」とか「戦場のメリークリスマス」を弾いた。なんか、そういう気分だった。クリスマスソングの弾き語りとか、それに日本語の歌詞をつけて即興で歌ったりとか。赤鼻のトナカイがみんなに笑われていることはなぜか?というところから紐解いて、彼の鼻が赤ったのはアルコール依存症だったからじゃないか、みたいな不謹慎な即興歌もやったよね。この日は、ちゃんと収録したり配信したりする自信がなくて参加者の撮影オールオッケーにしてたから、後ほどツイッターで流れてる動画(#末原拓馬 #ディアサンタ で、たくさん見れるよ)で自分をみて驚いた。無我夢中で記憶がなかったてのも出し、こいつよくでまかせでこんな歌創れるな、って自分でも思うよ。何かしらの天才なんだろうね。

 

撮影オッケーなのは別に大盤振る舞いでもないし、出血サービスでもない。俺は路上でやってたのがそもそもだからね。写真や動画の撮影を規制するなんて考え方の方がトリッキーだ。撮られて困るような生き方はしてないし、撮られたことで希少性が下がって自分の価値が落ちるなんてことは全然ない。夕焼けもお月様も山も川も綺麗だけど、誰のものでもない。物語の中の末原拓馬もそうであれたらいい。

 

なんというか、最高の夜だった。嬉しかったよ。2年前は毎月絶対にワンマンの公演をやってた。『ひとりじゃできねぇもん』てシリーズで、死ぬほど忙しいスケジュールを縫ってやってたからヒーヒー言ってたけど、月に一度、好きで自分勝手な表現する場があったことがどれほど幸福だったかって今改めて思う。2019年はありがたくも脚本や演出の方で忙しくもあり、俳優として参加させてもらえる舞台もチケットソールドアウトがほとんどのものばかりで、なかなか参加者とも顔をあわせることができなかった。ひとりの表現者として成長しているとは思うから孤独に打ち勝って戦おうと誓っているけれど、でも、たまに自分が何を相手にしているのかわからなくなることもある。アンプ担いで路上に立って、観てくれる人間と名乗り合って喋って芝居して、握手してハグして、また会おうな、っていうのが、多分自分の一番当たり前な性質なんだろうね。

 

たった一晩だったけど、こうやってみんなと遊べたこと、感謝する。十分すぎるほどにメリーなクリスマスだった。ありがとう。心から、ありがとう。また、こうして会いたい。

『あっぱらぱークリスマス』もやった。俺がすっごく大切にしている曲。とにかく、しのごの言わずに幸せになればいいじゃんか、っていう、俺たちなりの革命の歌だよ。パパが来てくれて、ギターを弾いてくれた。すごすぎて痺れたよね。この人、50年以上ギター弾いてるんだぜ。今でも深夜2時くらいまでギター弾いて遊んでる。頭おかしいけど、でも、常軌を逸してるからこそ、あんな音で、あんなリズムで演れるんだと思う。世界で一番尊敬している人が二人いるけど、その一人はパパだね。もう一人はママ。
 
サンタクロースへの愛と感謝をずっと語る夜だったからね。なんでかは謎だけど、パパがそばにいて涙ぐんだよ。
贈り物の数々、本当にありがとう。いまさらだし、直接言えないことも多くて申し訳ないんだけど、プレゼントや手紙、本当に嬉しい。交通費もかけて来てくれて、チケット代だって払ってくれているのだから「こんな気遣いしなくていいよ!」と言いたいところだけれど、まんまとちゃんと喜んでる。プレゼントも手紙も、思いを込めて、時間をかけて用意してくれたのがわかるから。心を強く支えてもらっています。本当に、ありがとう。
 
また会おう。って、思ってる。片想いかしら?
 
来年は今年の何倍も忙しい予定だけど、でも、時間をひねり出して、こうやってみんなとハチャメチャに遊べる日、どうにか作ろうと思ってる。
 
ありがとう。またね。
 
キンキラキンのラブをあなたに。