歩いていたら高級料理屋の前に差し掛かって、ぁぁ、俺はこんな店に入ったことはないぞと思った。悔しいなあ、というよりは、この世界にまだ秘境があると知るトキメキに似ていて、「いつか自分はこういう店にいくのかな。どうかな。誰と行くのかな。」と想像をする。別にこの店に行きたいわけではなくとも、行くのを楽しみにしたいのである。

フと見ると、入り口に、魚のヒレを貼り付けた板があった。
自分は料理を一切しないので、食材を目撃した時の第一印象はどこまでも「死体」だ。思わずギョッとする。丸ごとの死体というのも恐ろしいが、バラバラの死体というのもそれなりに恐ろしい。「生きていない」というのはなんとハイクオリティなことか。

それにしても、どういう意図だ。どこぞの部族が自らの力で狩った猛獣の獣を飾るのに似ているのだろうか。それとも、自分が食に疎いだけで、このような高級店に足しげく通うような人間にとっては舌なめずり待った無しの光景なのだろうか。

ひれ酒、というのがあるのは知っている。熱い酒の中に魚のヒレを沈ませると風味がよくなるというのだ。

そのヒレはどれほどの海水をかいて来たのだろうか。おそらくは生まれてから死ぬまでの片時も休むことなく、水をかいてかいて、どこかへ行こうとしたのだろう。その、ヒレなのである。地球の約7割もの面積を誇る海の水をかき混ぜ続けた魚のヒレが、コップ一杯の酒をうまくすることなど難しいはずもない。海に波が起こるのは、きっとおびただしい数の魚たちが必死にそのヒレで水をかきながらに泳ぐからである。

これがもし、人間を食べる専門店であればどうか。いや、こんな想像は残酷で悪趣味だが、もし自分がなにかしらの巨大な生き物(人間かも知れないが)に捕らえられ解体され、彼らの料亭に並ぶとしたら、どの部分を飾られるのか。酒に沈められるのは、どの部分か。

ヒレと対応するのであれば、手か、足だろう。前に進むための部位という意味では足のほうが近しい。たくさんの地面を踏みしめてきた足だ。地球が回るのは、地上を闊歩する生物たちの足音のせいだ。

だがしかし、個人としては、酒に沈めるなら手をお勧めしたい。

人間の手は、素晴らしい。人間は愛するものをみつければ手を用いて触れようとする。頭を顔を、体を。そして愛する者同士は、手を繋ぐ。尊敬し合う者同士も差し出した手を握りしめ合い友情を誓う。そんな手なのだから、酒をうまくするくらい難なくやってのけよう。魚のヒレにも劣らぬ貢献を果たせる気もするのだ。