改まって書こうとすると書けないから。雑に。
『かげつみのツミ』が終わって一週間が経とうとしてる。なにが驚くかというと、微塵も、終わっていないこと。

今回、僕としてはサプライズパーティの豪華版みたいなびっくり箱的な時間を用意したいと思っていた。なのでネタバレの仕方が難しいよね、っていう絶妙なところがあって、参加者のみんなも気を使ってくれたのか、SNS上で、すごく良い感じに感想を、拡散してくれてた。

一応、公式からぜんぶ伝えてしまうのは色気がないな、というのが僕の中の思考ラインで、「だけど参加者同士がいろんな情報をシェアしてドルグーミンの噂が飛び交うのは超素敵」というのが願いだった。隠しすぎず、バラしすぎない。これに関しては、なんか情報統制するんじゃなくて、「みんなの感じ」に任せたかった。だって、遊びって、そうだから。

公演中はとにかく作品をブラッシュアップしたい心持ちで、なるべくSNS上のみんなの言葉は見ていたけど、素晴らしかった。

とにかく余白。余白の多い世界にしたかった。現実世界にはさ、主人公と脇役なんてないんだよね。自分は自分の人生という物語しか体験できないし、その主役は当たり前だけど自分だ。


参加者に幸せを贈りたいなら、それは、幸せになるための力を手に入れてもらうのが一番だ。そういう意味で、物語りと想像の練習場みたいな公演でもあったように思う。

「ぼくらがいないと君は幸せになれないよ」って商売の方が儲かるだろうなー、とは思うけど、興味がない。公演がおわって、また次、公演で会うまでの間、みんながなるべくニコニコ笑っていららるようであって欲しい。心からそう願う。

僕はあなたを愛してるけど、あなたの家の庭に有り余るほどの花を植えて美しい景色を贈ることはきっとできない。でも、あなたに見える世界を美しくする手助けは、できるかもしれない。

結局、どんな景色も、見るのは自分。それを美しいと思うのも、醜いと思うのも、自分。そして僕らは、なるべく世界を美しいと思っている方が、幸せなんだと思う。

だもんで、今回は、こういう形態で物語を紡いだ。

千秋楽から数日。ドルグーミンの地下室はまだまだ存在してるみたいで幸せだ。もちろん僕も、僕以外のみんなも、別々の現場に散っていった。参加者のみんなもそれぞれの人生を生きているのだろうと思う。だけど、スッと目を閉じて思い出してみると、簡単に僕らはドルグーミンに戻れる。そしてそこには、仲間がいる。その安心感がとてもいい。肩肘張って仕舞えばそれまでで、馬鹿みたいな遊び方なんだけど、所詮自分らなんて子供が大きくなった者に過ぎないんだ、って、そうおもえばこういう場所をみんなでシェアして、いいことにばっかり喜んで、嫌なことには鈍感になって、なるべくみんなで馬鹿笑いしようとする、こういう生き方もいいんじゃないかなって、思う。
これからも、あなたに会える僕でありますように。明日は大打ち上げ。今からでも遅くないし、これたら来てね。顔を見たいし、ドルグーミンの話をしたい。

これは、またやりたい。次はもっとうまくやれる。そのために、今回大変だったけど、無理矢理に見切り発車した。やってよかった。

次にまたやる時は、みんなでアイデア出し合おう。好きだったところ、直して欲しいところ、こうしたらもっと楽しいよ!ってウシシシシっていう雑談。そういうの、みんなでシェアしたい。

こんなにありがとうという気持ちにさせてくれてることに、心からありがとうと思ってます。
もはやおぼんろの公演名物。いつも贈ってくださってありがとうございます。劇場にこれが届くと、あー、公演が始まるのだな、と、思うのです。
かわいいクマの花にも救われた。劇場入りした時っていつも心がざわついて、恐怖と戦っているから。お花、ほんとに助けられてる。ありがとう。