僕は物語で世界を変えたい。

でもそれは、政治的なメッセージを発信して人々の心を扇動したいとか、そういうプロパガンダ的なアレとはちがう。

物語によって世界が繋がることを考えてる。

物語村という考え方。
同じ物語を故郷に持つ者同士は、強いつながりを持つ。それは、肩書きだとか血縁だとか民族だとか宗教だとかをゆうに飛び越える、強くて優しい絆。

絆はひとを安心させる。
ひとに力を与える。
生きている意味を与えてくれる。
僕は脚本演出俳優。でも、特別じゃない。他の語り部も、一緒。物語の参加者に過ぎなくて、その中で、語り部っていう役回りも兼ねてるだけ。

僕は特権者の存在する場所は結果的にもろいと思ってる。僕らは「語り部」という役目を持ってみんなに物語を渡すけれど、それは、物語を受け取って想像して心を動かしている「参加者」のみんなに比べて偉いわけでもなんでもなくて、単なる役回り。

みんなに語り聞かせるための物語を創って準備するのに時間とお金をかけてるから一応お金はいただくけど、それはなんつうか、バーベキューのとかに先に食材買って何日かかけて調理してた組が、後から合流した食べる組から割り勘分の材料費もろもろをもらう、みたいな感じ。
こうして、おぼんろを体験したみんなは、どんどん繋がって仲間になってく。友達になってく。それが、いい。

「村」と違うのは、閉鎖的になってほしくないこと。物語を介して繋がりはアメーバ的に無限に広がっていって欲しいし、どんなひとでも受け入れる場所であって欲しい。
語り部に関しても、スタッフに関しても、そう。一度でもおぼんろに関わってくれたひとはもう僕の中で「おぼんろのひと」。好きなところで「自分はおぼんろです」って名乗って欲しい。これは、参加者のみんなについてもそう。
たくさん出会いたい。はやく出会いたい。

この命尽きるまであと何千日なのかわからないけれど、それまでに、たくさんのひとを愛したい。その場限りの恋で終わってはダメなんだ。愛にならなきゃダメなんだ。

同じ時間を共有した劇場を離れて、全員、しばらく別行動になる。それでも、ポケットに忍ばせておけるような、さみしい時に力をくれるような、そんな、物語を贈りたい。

同じ物語を持ち歩いている人が他にもたくさんいるんだ、と思うことで、少しだけ強くなれたら嬉しい。


そんなことも、おもっています。