とっても地味な薄汚れた猫がいた。
薄汚れた猫はあまりに地味だったから、
どこにいても、いないようなもの。
誰にも気にかけられない。
朝方にゴミ捨て場なんかに寝てた日には、
うっかりゴミと一緒にゴミ収集車に投げ込まれてしまいそうになる。
おかげで、食べ物をちょいと失敬するときなんかは便利でもあった。

そんな地味な猫が、
森で出会ったクジャクに恋をした。
首に傷のあるクジャクだったが、あまりに美しく思えた。

クジャクの心をつかむには、
クジャクみたいに美しくならなくちゃならぬとおもったもので、
家を建てている大工の親方の目を盗んで、
トンテンカンテン音のする傍らで、
バケツに入ったペンキに、
ぴいちゃぴちゃ、ぴっちゃぴちゃ。
体を浸した。
青、赤、黄、緑、橙、水色、紫・・・
ぴいちゃぴちゃ、ぴっちゃぴちゃ。
虹色の猫になった。

虹色の猫は、
胸を張って森に入り、
クジャクに挨拶をしにいった。
クジャクは猫があまりに美しいものだから大喜びをして言った。
「わあ、なんて美しいのでしょう。」
猫は嬉しくていまにも喉がゴロゴロなりそうだった。
しかし、クジャクが次に言った言葉に、ギクリとした。
「素敵なあなた、さあ、あなたの歌を聞かせてくださいな。」

クジャクたちにとって歌声は見た目よりも大切なものだったのである。
クジャクたちは、歌声に乗せて、愛を語らうのである。
猫は、クジャクたちの歌を歌う事はできなかった。
自分が、ガラス窓をひっかいたような声でしか泣く事が出来ない事を、
猫はよく知っていた。
「美しい猫さん、いったい、なんの用でここにいらしてくださったの?」
猫は、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。

虹色の猫は、何も言わぬまま、
おずおずと森から出て、
また、もとのゴミ捨て場に戻った。
雨が降り始め、
虹色の背中は濡れて、より一層色を濃くした。

猫はもう虹色なもので、
何をしても目立ってしまう。
以前のように、人間の家に忍び込んで魚を失敬する事もできないし、
ゴミを漁っているのもあまりに目立ってすぐに追い払われてしまうようになった。

何日もすると虹色の猫はひもじくてひもじくて、
倒れそうになってしまった。
町中の人間が、この虹色の猫のことを知った。
人々は気味悪く思った。

一度なんて新聞の取材が来て、
なぜ猫が虹色になったかを猫に尋ねた。
猫はここぞとばかりに、クジャクへの思いを訴えた。
その訴え自体は真実であったが、
新聞には「野良猫の分際でクジャクに恋をしたおぞましい猫」
とおもしろおかしく書き立てられてしまった。
それ以来、猫は人々から隠れて生きなければならなかった。
虹色の猫の居場所は、どこにもなかった。

実を言うと虹色の猫はあれから何度も森に出かけたのだが、
あれ以来、クジャクはどこかへ姿を消してしまっていた。

数ヶ月がたったある晩、ゴミ捨て場のゴキブリが、
動物園の噂をしているのを聞いた。
首に傷のあるクジャクが人気を集めていると言うのだ。
そのクジャクは長い間ずっと動物園の人気者だったのだが、
ある日、檻が壊れていたのを見計らってクジャクは逃げ出した。
飼育員たちが必死に探し続けたところ、
しばらくして森に居るところを発見され、
ようやく連れ戻されたと言うのだ。
檻から逃げ出す際に金属にひっかけて首を怪我していたが、
なんのその、動物園に復帰するや否や、
以前のような人気を博していると言うのだ。

虹色の猫は息が止まりそうになった。
喜びなのかはわからない。
しかし、少なくとも、
クジャクが居る場所がハッキリしたと言う事が、
猫の心臓を高鳴らせた。

しかし、ゴキブリたちの話には続きが会った。
大人気のそのクジャクが、
どういうわけか、
明日を最後に動物園からいなくなると言うのだ。
それを最後に、クジャクは遠い町へと連れて行かれる、と。

虹色の猫は居ても立ってもいられなくなった。
なんとしても、もう一度、会いたい。

猫は、
あの晩、森でクジャクに会いに行ったのにも関わらず、
自分の思いを伝えずにクジャクの元から帰った事を後悔していた。
あれから、試しに誰もいないところで歌を歌ってみたことがある。
何度挑戦しても、自分でも耳をかみちぎりたくなるような歌声だった。
虹色の猫は情けなくなった。
そんな歌声を聞かせれば、
クジャクは自分のことを本当に嫌いになってしまうかも知れない。

けれど、猫は、クジャクに会いたかった。
猫は、クジャクの歌を聞いてみたかった。
聞いた事などなかったのだ。

気付くと虹色の猫は、
夜の中をえんえんと動物園に向けて走っていた。
ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ、走っていた。
本当にクジャクはそこにいるのだろうか?

虹色の猫は、走り続けた。

しかし、猫は、クジャクには会えなかった。
町中で気味悪がられている猫が走っているとなっては、
子供たちや酔っぱらいが、石を投げた。
虹色の猫の体からは、血が滲んだ。
赤の分量が増えて、より不格好な姿になった。

それでも猫は走り続けた。
しかし、いよいよ動物園の近くに辿り着くものの、
虹色の猫は目立ち過ぎる。
すぐに警備員に見つかって追い払われた。
少し間を置いて、別のところから忍び込もうとしたが、
やはり、見つかってしまう。
あまりにしつこいものだから、
ついに棒で殴られてしまった。
虹色になる前の地味な猫だったころは、
どこにでも簡単に出入りができたというのに・・・

傷が痛み、空腹も限界のなかで、
虹色の猫は、透明になりたいと願った。
もう、誰からも姿がみえない猫になってしまいたい。

虹色の猫は、自分の皮を、歯で食いちぎり始めた。

ペンキが染み込んだ毛皮がはがれたその下には、

なにもなかった。

強いて言えば、光だ。
青白いような、淡い光が、
虹色の猫の皮の下には立ちこめていた。

月明かりの中、
虹色の猫はついにすべての皮を剥いでしまった。

猫はもう、猫の形はしておらず、

ただ、そこには青白い光が、
ふわふわと、
膨らんだり縮んだりしていた。

そしてそれは風に吹かれて、
どこかに飛んで行った。

もうどこにも、猫はいない。
剥ぎ取られた虹色の毛皮を、
月明かりは、地面を同じに水色に染めていた。

動物園の中。
首に傷のあるクジャクは歌っていた。
クジャクは明日を最後に、
遠い町の動物園へと運ばれて行く。
つがいになるクジャクが居る場所で、卵を産むのである。
すこし怖いような気もするけれど、
楽しみな気もした。
向こうの動物園はとても立派だ、と飼育員も話していた。

風が、雲なんてみんな吹き飛ばしてしまった夜。

歌を歌っていたクジャクは、
おかしな音を耳にした。
ガラスをひっかいたようなひどい音だった。

青白い光が、
飼育小屋のそばにふわふわと浮いていることを、
クジャクは気付かない。

いつまでもいつまでも、
おかしな音は聞こえていた。